第697話 大きく揺れた反動

その日は、夢にまで花火が上がった。


エルベル様たちと、みんなで浴衣を着て。

なんだか似合わないエルベル様に大笑いなんかして。

そして、大笑いしながら――ぱかりと目が開いた。

「もう――……あ、れ?」

笑みを形作ったままの口角が、ゆっくりと下がる。

暗い部屋。

静かな部屋。

あんなにも賑やかで、人でいっぱいだったのに?

あんなに大声をあげてはしゃいでいたのに?


すう、すうと心地よさそうな寝息が聞こえる。

心落ち着くはずのそれが、今この時ばかりは効果を発揮してくれなかった。

どきどきと鼓動が速くなるのが分かる。

どうしよう、ダメだ。

オレ、ダメだ。

暗闇でも見えるはずの視界が、ゆらゆらと揺らいで何も見えなくなってくる。

ひく、と喉の奥が引きつった。


『……起きたのか』

静かな声と、腕に絡んだしなやかなしっぽ。

ハッと瞬いた瞳から、たまりにたまった雫がぽたた、と2つ転がって行った。

黙ってチャトを抱き上げると、ぐんにゃりと力の抜けた身体は何の抵抗もなく腕の中に収まった。

全身で抱え込むように抱きしめ、顔を埋めて深呼吸を繰り返す。

ふう、ふう、と呼吸を整えて、ゆっくり顔を上げる。

「もう、大丈夫。チャト、ありがとう」

少しはにかんで笑った。

『何がだ』

そ知らぬふりで腕を抜け出し、チャトはぐっと伸びをしてベッドから窓へ飛び降りる。

難しい。柔らかくて、不安定な幼い心のコントロールは。

だけど、それほどにも大きく揺れる心があるから、あんなにも楽しかったんだ。


「あのね、今日……もう昨日かな? すごく楽しかったから、なんだか独りぼっちみたいで寂しくなってきちゃった」

まだ苦しい胸を押さえ、くすりと笑う。

だって部屋の中にはラキとタクトもいる。ベッドにぎゅう詰めになって眠るみんなもいる。

ちっとも1人じゃないのに、心はままならないものだ。

『なら、寂しくないところへ行けばいい』

ちら、とオレを振り返ってしっぽを揺らしたチャトが、小さな翼をパタパタさせる。

『なぜ、行きたいところを我慢する?』

小馬鹿にした声で、にゃあと鳴いた。

「我慢……してるかな? ……してるね」

言った途端、胸が焼け付いて苦笑した。

ああ、本当にままならない。

オレは暗がりに光るチャトの瞳に促されるように、心の向く場所へ転移した。


「今、何時だろ。起きてる……かなあ」

勇気が出なくて、ううん、やっぱり恥ずかしかったから。だから、直接転移せずにこっそりと暗い廊下に佇んでいる。

もし、いなかったら。もう、寝ちゃっていたら。

そう考えるだけで、期待に高まった心がぐらぐら揺れる。

そっと部屋に近づくと、確かに中にいる大きな存在感にじわりと涙が浮かんだ。

姿を見るだけで、ここにいることを確認するだけで、安心して帰れるかもしれない。そうしたら、ここへやって来たことはバレずにすむかもしれない。

気配を消して、慎重に、慎重に扉を開け、隙間から中の様子を窺った。


オレ、変なことしてるよねえ。

大人心に自覚はすごくあるけれど、子ども心はそうはいかない。

ゴト、と室内から響いた物音に飛び上がりそうになった。

長く息を吐く音がして、大きな手がデスクにグラスを置いたらしいことが分かる。

(カロルス、様……)

眠そうな顔で書類を眺め、くわあと大あくびしている飾らない姿。

急いで扉から顔を離し、深呼吸する。

(良かった。よかった、ちゃんといた……)

当たり前なのに、カロルス様がいることが嬉しくて嬉しくて、どうにかなってしまいそう。

ちゃんと、ここにいることを確認したから。いつもと変わらないカロルス様がいるから。

(大丈夫。オレも、帰って眠れる。大丈夫)

言い聞かせるように何度も繰り返した。ちょっとばかり、チャトとシロには頼るかもしれないけれど、温かな2人に包まれれば、きっともう眠れる。


よし、と顔を上げた時。

慣れた浮遊感に、咄嗟にぎゅっと目を閉じた。違う、これは、急に明るい所に引っ張り込まれたせい。

少し冷えた身体が、温かい胸に抱き込まれて溶けてしまいそう。

「……よう」

いつもの低い声が、身体に直接叩き込まれて震える。

悔しい。

何も言わずに抱きしめる腕が、包み込まれる圧迫感が、背中を叩く大きな手が――悔しい。

ふかふかの衣装に顔を埋めたまま、腹立ち紛れにばちりと分厚い身体を叩いた。

ふっと笑った気配に、ますます腹が立って喉が鳴った。

ふぐ、えぐ、と鳴る音は、どうもオレから出ているらしい。こんなに歯を食いしばっても、お口を閉じていても、鳴ってしまうらしい。

そう、これはきっとルーやチャトのごろごろいう音みたいなもの。

それをカロルス様に聞かれるのは癪に障るけれど、あのルーだって鳴っているんだもの。なら、大丈夫だ。

そういうことだから、オレは安堵して力を抜いた。



ぐっと前へ傾いた身体に気付いて、閉じていた目を開けた。

液体が瓶から注がれる小気味よい音、そして木製のデスクにそうっと置かれた重い音。

前へ傾いていた身体が再びゆったりと倒れ、預けた身体へ嚥下音が響く。ぼんやりと顎を上げると、アルコールの香りが鼻をくすぐった。

「へくし!」

途端にツンとしてくしゃみがひとつ。

「悪い、起こしたか」

寝てない、と言いたかったけれど、知らぬ間に自分の身体がふわふわに包まれているのを見るに、寝ていたらしい。

随分温かいなとよくよく見れば、それは毛布でも何でもない。カロルス様のガウンの合わせを解いて内側に入れられている。


「ん……? カロルス様、これお風呂上がりのガウンじゃない! どうしてこのままなの?!」

改めて全身を見やれば、風呂上がりのガウンを引っ掛けただけの姿だ。

カロルス様の風呂上がりガウンは、イコールタオル。身体を拭かずに羽織るんだもの。地球のバスローブほど吸水してくれないよ? 

髪もガウンも乾いているところからして、随分風呂からは時間が経っているはず。どうしてこんなだらしない格好しているのに気付かなかったんだろう。


「もう、風邪引くよ?!」

「引かねえよ、お前入れてるとあったかいしな」

それ、オレも冬場にチャトでやっていたなあなんて懐かしく思いつつ、眉を怒らせて身体を離した。

「ダメ! お風呂あがりに冷えたら簡単に体調崩すんだから!」

「酒飲んでるから冷えてねえよ」

ほらよ、とまた抱き寄せられ、確かに熱いくらいの体温を感じる。

だけど、そうやって酔っ払って凍死する人っているんだから。少しとろりとしたブルーの瞳を見上げて、ダメです、と視線で訴えてみせる。


「ふ、ならもう寝るか。お前も起きたことだし」

じっと見下ろすブルーの瞳が、どこか緩んだように見えた。

意味が分からない。オレが起きたら寝るの?? 

「寝る時だって、そのガウンじゃダメだと思うけど」

「いいじゃねえか、裸で寝るよりマシだろ」

そう……かな。

せめて、とカロルス様の襟元を着物のようにきちっと合わせた。だけど、どうせ以前の浴衣モドキみたいに起きたらはだけているんだろう。

ふと、カロルス様の浴衣姿が浮かんで、花火が浮かんだ。


楽しかったな。今度、カロルス様たちと一緒に行けないか聞いてみよう。

また花火をしてもいいな。そうだ、みんなで浴衣を着ていくのはどうだろう。

そして、エルベル様にもあの似合わない浴衣を着せてみよう。きっと、オレが笑うと顔を真っ赤にして怒るんだよ。

ついくすくす笑うと、カロルス様がふわりと笑った。いつもと違う、胸の痛くなるような優しい笑み。

「ご機嫌じゃねえか。ああ、話は明日にとっておけ、今はとっとと寝ろ」

せっかくお話をしようと思ったのに。むっと頬を膨らませるオレを気にも留めず、カロルス様は灯りを消して立ち上がった。


いっぱい話したいことがあるのに。こんなの、眠れやしない……とは言えないようで。

寝ると聞いたら、今目が覚めたところなのにもう眠りに引きずり込まれそう。

なんだか腫れぼったい気のするまぶたをこすり、小さくあくびを漏らす。

ごしごし、と顔を擦りつけて、このままガウンで寝るのはもしかするといいアイディアかもしれない、なんて思ったのだった。




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ちょっとひと息。

めちゃくちゃ楽しかったあとの寂しさ、虚無感、大人でもありますよね

幼児だと夜泣き待ったなし…

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