第579話 わがまま
街の喧騒が遠ざかって、お城のてっぺんを見るのが一苦労になってきた頃。
馬車の窓からふわりと風が入って髪を舞い上げた。
『みつけた、みつけた、ヒトの子』
『ヒトの子、今日はいた。シャラスフィード、待ってるよ』
半透明の鳥さんが、窓から入って来てはくるりとオレの周囲を回って飛び出していく。
いつも、オレを探してくれていたの?
「何かいるな。妖精か? 精霊か?」
カロルス様とエリーシャ様が示し合わせたようにオレを見た。見えないはずだけど、気配は感じるんだろうか。
「いるよ、風の精霊さんがいるよ!」
バレちゃったなら仕方ない。ぱっと満面の笑みを浮かべると、馬車内に湧き上がったそよ風が応えるようにオレの髪を持ち上げた。
「すごいわね、本当に天使様と精霊様は仲良しなのね!」
エリーシャ様までそんなことを言う。王都でもすっかりメジャーになってしまった天使教は、きっかけがきっかけだけにシャラと一緒に語られることも多いらしい。
シャラはご利益があるからいいけれど、天使教にはないんだよ……その分シャラが頑張ってくれることを祈るしかない。
『行こう、ヒトの子。シャラスフィード、待ってる』
しきりとせっつかれるけれど、今はお城に呼ばれているから……。
小さい精霊さんたちに見つかったなら、きっとシャラもオレが来ていることを知っているだろう。
「ねえ、シャラに伝えてくれる? 後で行くから待っててねって」
『いいよ、いいよ!』
『でも、シャラスフィードは待つかなあ』
「……我は待たないぞ」
ガチャリと音がしそうなかぎ爪が窓枠を掴み、不機嫌な声と共に大きな鳥がぬっと車内に首を突っ込んできた。風色の大きな猛禽……やっぱり、来ちゃった。
『待たないねー』
『シャラスフィード、いっぱい待ってるから』
きゃらきゃらと風の精霊が舞い、カロルス様たちが苦笑してオレを見た。
「お前、何を呼んだ? 圧迫感あるぞ」
「お、オレが呼んだんじゃないよ……」
猛禽の姿は人に見られないためのはずなのに、分かるものなんだろうか。
「シャラ、お城で用事があるから、オレそっちへ行かなきゃいけないの」
「なぜ。我を優先すべきではないのか」
猛禽なのに、ぶすっとむくれているのが分かって笑ってしまう。ぽんぽんと膝を叩くと、ひょいと飛び乗ってきた。実際の猛禽と比べれば小鳥のように軽い。
「じゃあ、一緒に行く? だけどこの間みたいにイタズラしちゃダメだよ。強い人の所だから、悪い精霊と間違って攻撃されちゃうかも」
「我はそんな幼稚なことはしない」
つーんとした顔を呆れて見つめた。本当にシャラ、長く生きているんだろうか。ちっとも年経た感じがしないんだけど。
「――絶対に、大人しくしていてね」
城の廊下を歩きながら、そっと頭上に声をかける。
「誰にものを言っている。ここは我の住処だぞ」
ふんぞり返っているのが目に見える気がする。カロルス様の肩に乗れば格好いいだろうに、またもや頭を跨ぐようにオレの肩へ乗られて少々不満だ。
そうそう、イイコにしていたらご褒美の約束をしなきゃいけないんだった。
「用事が終わったら、後でお花畑に連れて行ってくれる? そしたら、一緒にお好み焼きを食べようね!」
「なら、今食えばいい。今食えば大人しくする」
途端にそわそわしだした猛禽が、急かすように髪を引っ張った。ああ~~もう! シャラは絶対大人じゃない、幼児! 絶対幼児だ。
「今は無理! お好み焼きはそういうのじゃないの! ええと……これなら……」
渋々飴を取り出すと、大きなくちばしがすぐさま攫っていった。お城の廊下でクッキーとか食べたら怒られそうだし、手持ちでは飴くらいしか食べられるものは思いつかない。
そう言えば、鳥の姿で飴って食べられるの? 呑み込んでしまわないだろうか。疑問と共に、頭の上でしきりとカシッ、カチッと硬質な音が響く。
「……固い。食い物じゃない」
騙したな、と言いたげな声音と共に、頭の圧迫感が増して目の前に逆さまになった猛禽の顔が現われた。
「甘いお菓子だよ、お口の中で舐めて溶かすものなんだ」
鳥の姿じゃやっぱり無理みたい。くすくす笑って咥えられたままの飴を取り上げると、オレの口へ放り込んだ。ころり、ころりと口内で転がしてみせると、猛禽の身体がぶわっと膨らんだ。
「勝手に食うな! 我のだ!!」
そんなこと言って、ずっと咥えてはいられないでしょう。
「だって今は食べられないんでしょう? また後であげるから」
怒ってもふもふに膨らんだ身体をおざなりに撫でると、シャラが音もなく飛び立った。
「あらまあ……」
「おいおい~、勘弁してくれ」
気配に振り返った2人が声を上げ、カロルス様が額を押さえる。
「それを寄越せ」
ずいっと差し出された手の平を見上げ、オレも頭を抱えたくなった。シャラ……城の人に見られないために鳥になってたんじゃなかったの……。
はっきりとは見えていないようだけど、確かにその姿を捉えているらしい2人の視線が痛い。
飴を食べたいがために元の姿に戻った上級精霊は、打って変わって上機嫌で隣を歩いている。時折飴を転がしてにまにまする様は、こんな時でなければくすっとできたところだ。
「もういいでしょ! 他の人に見られちゃうから! 鳥になるかお花畑で待ってて!」
「我は構わん」
「オレが構うよ!」
もう! と足を踏みならしたところで、ぐんと視界が変わった。
「いいから騒ぐなっつうの!!」
小脇に抱えられ、Aランク全力の隠密状態でお城の廊下を走る。とにかく誰にも会わないうちに、と待機部屋に飛び込んでようやくひと息ついた。
「お前、毎日性懲りも無くトラブル呼ぼうとするんじゃねえよ……」
「オレじゃないよ! シャラが悪いの!」
「我に悪いところなどない」
反省のかけらもない様子に、思い切り頬を膨らませて睨み付ける。絶対、オレじゃないと思う!
ぱんぱんに膨らんだ頬を、華奢な指がそうっと包み込んでくすくす笑った。
「そこまで気にしなくても、そうそう見られたりしないと思うわよ? どうせガウロ様にはバレちゃうし、風の精霊を見ることができる人なら、むしろ悪いようにはしないんじゃないかしら」
そっか……王様に知られたら怒られるかもしれないと思ったけど、王様はほいほい廊下を歩いていたりしないんだった。いつも会っている王様や姫様が特例なんだもの。
「まあ、無駄に目を付けられる必要もねえだろう。仕方ねえな、俺らが先にガウロの所へ行ってくるから、お前はアッゼと一緒に転移してこい。それが一番安全だな」
いきなり城に魔族が行くのはどうかとアッゼさんが尻込みしたので、事情を説明してから許可を得て転移して来ることになっていたらしい。そう言えばアッゼさんいなかったな。
カロルス様が懐からなにか取り出すと、オレに握らせた。
「細かい操作は今覚えられねえだろうから、こうやって押せ。それで通じる」
トン・トン・ツー……モールス信号みたい。ボタンを押すリズムで、対になった道具へ合図を送っているらしい。
「ユータちゃんはこれが必要ないものね。管狐ちゃんが誰か、一緒に来てくれたらいいんでしょう?」
それを聞いてぽんっと現われたラピスが、得意げに胸を張った。
――道具よりラピスたちの方がずっと優秀なの! ネリスに任せるといいの。
今回は管狐部隊の新米、ネリスが任務遂行してくれるらしい。城内で活動するには生まれて間もない方が気配が弱くていいそうで、逆にラピスは強すぎるので要注意だ。
「うん! じゃあ、ネリスが一緒に行ってくれるって!」
「ネリスちゃん! よろしくね!」
きゅっと勇ましく鳴いたネリスを手の平に乗せ、エリーシャ様が相好を崩して頬ずりしている。初任務の緊張感たっぷりに、ビシリと姿勢を正しているネリスがいじらしい。
やがてお呼びと共に部屋を出た2人を見送り、大きく息を吐いて脱力した。全く、お城が苦手なカロルス様の気持ちが分かっちゃうよ。
当然のように真横へ詰めて腰掛けるシャラを見上げ、小言でも言ってやろうと思う。
「ねえシャラ、オレお城でトラブルなんてことになったら、ここには来られなくなっちゃうんだよ。偉い人に見つかってダメって言われたら、シャラにも会えないんだからね」
「……なぜだ。城で一番偉いのは我だぞ」
一瞬大きく目を見開いたシャラが、きゅっと眉根を寄せた。
「そうだったとしても! オレは偉くないから、オレより偉い人の言うことを聞かなきゃいけないの」
「…………いやだ」
またワガママを……とムッとして見上げた瞳の色に、言いかけた言葉を飲み込んだ。
ダメだって言わなかった。きっと、シャラは理解している。
泣かない瞳の奥は、透明な冬の風みたいだ。
「……シャラは、何がいやなの?」
オレの胸を締め付けるその眼差しを、シャラは知らないのだろう。
儚く消えかかった精霊の心は、こうして確かな存在となった今も癒やされることはないんだろうか。
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