第408話 大きな黒いねこ
「オレがいたところではね、こういう刺激の強いのはダメって言われてたんだけどね」
「なぜだ」
「なぜって……そりゃあ、体に良くないからだろうけど」
そういえば、日本ではみんなが勝手に色々食べてしまわないよう食事に気を使ったものだけど、こっちに来てからはそれがとても楽になった。好き嫌いはあるけれど、みんなにとって毒になってしまう食べものはあまりないみたい。
そりゃあこっちの世界だって普通の動物や魔物には色々な食事情があるだろうけど、少なくとも神獣や召喚獣、妖精や精霊たちはザックリしている。多分、うまいか、まずいか、なんて基準なんじゃないだろうか。人間には毒になるものだって平気で食べられそうだ。もしかして食べてるのは栄養素じゃなくて含まれる魔素なのかもしれないね。
「ヒトはどこでだって悪食じゃねーのか」
確かに、悪食と言って差し支えないだろう。本当に何でも食べようとするもんなあ。
オレはくすっと笑って、両手で温かな体を撫でまわした。
「ダメなのはオレじゃないよ、ルーの話だよ。猫って結構食事の調整大変だったんだよ」
「俺は猫じゃねー!!」
不満げにそう言って、金の瞳がちらりとオレを睨んだ。猫じゃなくても動物の枠で……いや、ヒトの枠に入るのかな。
あれ? ヒトのくくりって何だろうね。モモたちだって普通にお話できるし、この世界でケモノとヒトの差って一体どこにあるのかな。
今日は久々にルーの所へやってきて、思う存分滑らかな被毛を堪能させていただいている。
そのための対価を平らげ、ルーは満足そうに口の周りを舐め上げた。スパイシー焼きも問題なく食べられるんだね! ルーはあんまり好き嫌いがないみたいだ。
伏せて前脚を舐めはじめたのを見て取って、ぽてんと背中をもたせかける。ふわ、と耳に当たる柔らかな毛並みが心地よくて、何度も頭を上げては感触を楽しんだ。
「――じっとしてろ」
ぽてんぽてんとやっているのがうっとうしかったらしい。大きなしっぽがばふっとオレの顔面を押さえた。
きゃっきゃと笑って仰のくように体を預けると、離れていくしっぽを見上げた。
頭上をゆらゆらと揺れる魅惑的なしっぽ。今日こそ、捕まえよう。タイミングを合わせ、さっと手を伸ばしたけれど、ヒョイと軌道が変わってしまった。右へ、左へ、視線を揺らしながら、もう一度手を伸ばす。伸ばす、伸ばす……。
何度やってもスルリと手の中を抜けていくしっぽに、むくれたオレは手近にあった漆黒の後ろ足をペシリとやった。
「いてーな」
フフン、とルーは鼻で笑った。絶対、ワザとだ。届かない位置まで行ってしまったしっぽを睨んで、オレはルーの体によじ登ってうつぶせた。
時折ざあっと鳴る草木の音。ちゃぷり、ちゃぷりと寄せる湖の波の音まで聞こえてくる。頬に触れる艶やかな毛並みを感じると、ゆったりと力強い鼓動が体に響いた。
「………」
うっとりと目を細め、視界を埋める漆黒の草原を撫でる。すうっと深呼吸すると、何もかもが満たされていくような気がした。
ただ静かに毛並みを撫でていたら、ごそりと黒いベッドが身じろぎした。大きく首を曲げてオレの姿を視界に捉えると、金の瞳が少し安堵したようだった。
「なあに?」
「……てめーが静かなのは不気味だ」
ふい、と逸らされた瞳に、頬を膨らませた。オレ、いつもそんなに騒がしくないと思うんだけど?!
「チュー助じゃあるまいし! オレ、いつも大人しいよ!」
『チュー助と比べちゃダメでしょう』
『チュー助はうるさいんじゃないよ、いつも賑やかなんだよ!』
『えっ?! 俺様どうして突然攻撃受けてるの?!』
とばっちりを受けたチュー助が涙目だ。シロのセリフはフォローになってるんだろうか?
「大人しくなんかねー! ああだこうだと逐一報告するじゃねーか」
そういえば王都のお話、まだしてなかったね。ねえ、もしかしてルーも王都での出来事、聞きたかった?
「じゃあ、いっぱいお話しするよ! だってお話しすること、いっぱいあるんだよ!」
オレはぎゅうっと抱きしめると、首周りの長い被毛に顔を埋めた。
「別に、話せと言ったわけじゃねー!」
「だって、黙ってると不気味なんでしょ? あのね、色々あったし、いろんな人に会ったんだよ!」
そこから、オレの長いおしゃべりが始まった。
うんざりとそっぽを向いたルーだけど、耳だけはちゃんとこちらを向いていた。
オレ、たくさん話すからね。だって、ルーが聞きたいって言ってくれたんだもの。
「――ね、ミックっておかしいでしょ。もう大人なのにね」
ルーの気のない返事を聞きながら、一気に話し終えて息をついた。
大丈夫、王都も楽しいよ。苦手かなと思ったんだけど、慣れると平気だったよ。
「ねえ、ルーも人の姿になって王都に行こうよ。一緒にカロルス様のお芝居見よう?」
「行くわけねー」
そう言うと思ったけど。でも、ルーはカッコイイから街を歩いたらものすごく目立つだろうな。カロルス様もルーも、ローレイ様よりずっとずっとカッコイイんだから。
勿体ないなと思ったけれど、きゃあきゃあと街の人に囲まれている二人を想像すると、それはそれでなんだか面白くない。
かっこいい二人を見てもらいたいし、ひとり占めもしたい。贅沢な考えにくすっと笑った。
「あとね、王都には呪いグッズを集める変わった泥棒がいるんだって。呪いグッズってぞわっと嫌な感じがするのに、そんなのばっかり集めてどうするんだろうね」
「ヒトは鈍感だから、普通はそんなの分からねー。悪人はよく使うじゃねーか」
「呪いグッズを?」
「ピピっ!」
そうだよ、と言わんばかりにティアが羽ばたいた。
ああそっか! ハイカリクのお店で身に着けちゃった腕輪も、大規模な人攫いの組織でも、呪いグッズが使われていたんだっけ。身に覚えのある呪いグッズを思い浮かべて、ふと思い当たった。
「もしかして……ミック、あの人さらいの組織のことを調べてるのかな」
『そうじゃないかしら。ほら、あの魔力を注いでたものだってもしかすると呪いグッズかもしれないわよ』
なるほど。オレが使ってる魔力保管庫も、最初は勝手に魔力を吸い取る呪いグッズだった。アジトにあった物もそのタイプだったから、呪いグッズの可能性が高いかもしれない。
「だったら、オレが役に立てることもあるんじゃないかな? 少なくとも他の子どもたちよりは詳しく話せると思うけど」
勢い込んで立ち上がったところで、ハッと気が付いた。
「ねえ、調べてることを悪人に知られたら、ミックだって狙われない?」
豊富に呪いグッズを持っているなら、人知れず攻撃することなんていくらでもできそうだ。
「ティア、お願い! しばらくミックのことを守ってくれない?」
途端に不安になってティアに頼んでみたけれど、ティアはぷいとお尻を向けて知らんふりしてしまった。「ええ~どうしよう、四六時中オレが付き添っていればなんとなるかもしれないけど……」
「正規の騎士じゃねーのか。解呪の装備くらい身に着けるだろうが」
ルーがちょっと不機嫌な声音で言った。
そういう装備もあるんだ! ミックは騎士? それとも補佐だろうか。いずれにしてもローレイ様のお付きなんだから、きちんと配慮はされるはず……。解呪の装備がどんなものか、帰ってラキに聞いてみようかな。
「ルーありがと! 捜査に協力できるかもしれないし、オレ戻ってくるね!」
ぎゅうっと抱きしめて、ちらっとしっぽを見る。……ダメだな、もうちょっと。
「……長い! いつまでそうしてるつもりだ?!」
抱きしめてすりすりしながら1分、2分、3分……ついにルーが声を上げた。
ふふっ! ルーの機嫌がなおるまでだよ! オレはもう一度しっぽを確認して、にこっと笑った。もう大丈夫かな? 名残惜しく体を離すと、乱れた毛並みを撫でつけて手を振った。
光と共に消えたユータを見送って、ルーは低く唸った。
「呪いを集めて、どうする……」
金の瞳は、風を写した湖面のように、ゆらゆらと揺れていた。
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