第374話 戻ってくるなら
もう余計なことはしないようにエリーシャ様たちにしっかりと釘を刺し、出発の日取りも決まって、なんだかおしりがそわそわとして落ち着かない。
よし、荷物の整理をしよう。
形式上、荷物を持っていないと変に思われるだろうってことで、ちゃんと背負える荷物袋を買ったんだよ。でも、カモフラージュなので中身はタオル、タオル、タオル……いくら出し入れしてみても、やっぱりタオルばっかり。
「ユータ、出発までまだ日があるよ~今からそんなそわそわして大丈夫なの~?」
ラキが何か加工している手を休めて、くすくすと笑った。集中していると思っていたのに、どうやらしっかり見られていたらしい。
「だって、何か忘れ物とか……」
「するわけないじゃない~ユータってば部屋の中の物全部持っていこうとしてるのに~」
「で、でも買い忘れて道中で困ったら……」
「ユータは転移で帰れるんでしょ~」
そうか……どうやら忘れ物の心配はないらしい。でも、だって、落ち着かないよ。
「何もすることがないから落ち着かないんじゃない~? 依頼でも受けてきたら~?」
「そっか! 薬草でも採ってたら落ち着くかも!」
「今さら薬草採りするのはユータぐらいだよね~」
ラキの視線に気付かないふりをして、オレはさっそく寮を飛び出すと、街の外へと繰り出した。
『気持ちいいね! ぼく、走ってくるね』
『スオー、やくそういらない』
シロは待ってましたとばかりに風となって走り去り、薬草を毛嫌いするスオーは日当たりのいい岩の上にちょんと座った。
『アゲハ! 冒険するぜ! 俺様に付いてこい! モモ、しっかり俺様守って!』
『もうっ、身を守れないなら離れないでちょうだい!』
『ちゅいてこーい!』
威勢良く出ていったちびっこたちに手を振って、お守りのモモにはごめんねと手を合わせた。モモ姉さん、頼りになるよ。
――ユータ、王都にいったらラピスが色々教えてあげるの! ラピスは行ったことあるの!
「そうなの! 頼りになるなぁ」
ラピス部隊の訓練で見学していたのは、もしかして王様の部隊なのかもしれないね。
――頼りにするの! ラピス、ちゃんと覚えてるの!
ご機嫌なラピスは、ぽんぽんとオレの肩で跳ねた。
「ピピッ! ピピッ!」
こっちにもあるから、早く。ティアに急かされ、これはまた提出できない数の薬草が集まってしまいそうだと苦笑した。
傍目にはオレ一人だけど、こんなにも賑やかだ。
薬草の独特の香りに包まれ、オレはうんと伸びをした。そうだ、賑やかじゃない場所にいる一人にも、会いに行かなきゃね。
「ねえ、ルーは王都に行ったことある?」
「さあな」
つんと上げた顎の下、たっぷりとしたタテガミを丁寧に丁寧に梳いていく。スフィンクスみたいに伏せたルーは、瞳を閉じてされるがままになっていた。
この胸周りの被毛はとても気持ちが良くて好きなのだけど、落ち葉なんかも絡まりやすくて大変だ。
「行ってみたいと思わない? 面白いものがたくさんあるんだって」
「思わねー」
そうだろうと思ったけど、つれない返答にちょっと頬を膨らませた。
「美味しいものもたくさんあると思うよ?」
「……じゃあ、てめーが持って来い」
偉そうに言って目を開けると、金の瞳がオレを見下ろした。興味はあるのに、素直じゃないんだから。それとも、行くのが面倒なんだろうか。
「お土産は、やっぱり食べ物かな?」
くすくす笑って艶々になった毛皮に頬を寄せた。王都に行けば、もっといいブラシなんかもあるかもしれないね。スルスルと手を滑らせると、小さな指の間を柔らかな漆黒の被毛が通り抜け、その滑らかな指通りに満足して笑った。
とても、きれい。木々の隙間からこぼれた光が、艶やかな影に模様を描いて揺れている。吸い込まれるような黒の毛並みが、ルーの大きな呼吸につれてゆったりとふくらみ、ゆったりと沈んだ。そのわずかな挙動で、黒一色の毛並みが、きらきらと紫になったり緑になったり、まるで蝶の翅のようだ。
ルーの胸元にしがみつき、ぼうっと美しい毛皮を眺めていると、このまま1000年でも時が経ってしまいそうな感覚に陥って、慌ててぱちぱちと瞬きをした。
「ねえ、ルーは何したい? あんまりこっちに来られなくなるから、今日はルーのところで過ごそうって思ったんだよ」
「……フン、用がねーなら帰れ」
あ、ちょっとふて腐れた? 大きく揺れたしっぽを横目に、オレはぎゅうっと大きな身体を抱きしめた。柔らかな被毛を通り越して、しなやかな鋼の身体を感じるまでに、力一杯抱きしめる。
「嫌だよ、だって今日はルーと一緒にいたいと思って来たんだから、用があるでしょ?」
にっこり笑って金の瞳を見上げる。
「……締めるな、暑い」
金の瞳が逸らされ、大きなしっぽがべしっとオレの頭をはたいた。
「あははっ、そうだね~最近あったかくなってきたもんね。ねえ、ルーは暑くてもその格好なの?」
「………毛皮は脱げねー」
「分かってるよ! 人型の方が涼しくないの? 獣の姿がいいなら、散髪してあげようか?」
ルーのたっぷりとした毛皮はいかにも冬仕様に見える。見るからに暑そうだ。
「いらん! 暑ければ山へ行けばいいだけだ」
そっか、ルーのいる山は雪を被った場所だもんね、夏でも涼しそうだ。
「じゃあ、どうして暑いのにここにいるの?」
「…………ここが、気に入っている、から……だ」
どこかギクシャクと言うなり、首を傾げたオレを押しのけ、背中を向けて転がった。
「ルー?」
「………うるせー。あっち行け」
大きな身体によじ登り、遠慮なくずいずいと尻でいざって顔まで行くと、むすっとした瞳を覗き込んだ。まるで子どもみたいな言い分に、思わず口元が緩んでしまう。
「どうしたの? もう寝ちゃう? オレ、おやつ作ろうと思ったんだけど、何が良いかな?」
「……何でもいい」
ピクッと動いた耳を見つめて、もう一言。
「甘いのが良い?」
ピクピクッ
「それとも甘くないのにしようか~?」
しおっ……
うん、甘いのがいいんだね。どっちでも良くなかったんじゃないかと思いつつ、ごろりと大きなふかふか絨毯の上であお向いた。
青々と茂った葉っぱが、複雑な模様を描いて天井を形作っていた。心地良い風が木の葉を揺らして、オレの髪とルーの被毛も揺らしていく。
「王都には、こういう場所はないのかな」
「どこにだって、こんな場所はねー」
絨毯がごそりと身じろぎして、ルーの肩がオレの背中に当たった。
「ルー、それ引っ込めて」
「無茶言うんじゃねー」
「わっ!」
肩口を咥えてぐいっと引かれ、ごろりとルーが寝返りを打つと同時に、まふっと胸元に着地した。日陰になっていた毛並みが、ほてった頬にひんやりと心地良い。さっき散々ブラシをかけた美しい毛並みは、極上の肌触りだ。
「気持ちいいね」
すりすりと顔をすりつけると、どこもかしこも柔らかなふわふわだ。
「てめー、作るんじゃねーのか」
「作るって? ……ああ、おやつ!」
しっかり待っていたらしいルーに笑って、顔をふわふわに埋めた。
「何しようかな? クッキー? ケーキ? そうだ、旅の途中でたくさんおやつも食べるよね、それも作らなきゃ! ねえルー、全部味見してくれる?」
「構わん」
機嫌良く揺れ始めたしっぽに、オレの心もほこほこと温かくなった。
「どのくらい王都にいるかなぁ。ねえ、寂しいね」
「別に……てめーは転移で戻ればいいだろうが。美味い物を持ってくると言っただろう」
言ったかな? でもお土産って意味だったんだけど。どうやらその都度もってこいってことかな?
「ええ~そんな簡単にいくかなぁ。王都は人だって多いし、そうそう戻って来られないんじゃない? お土産になってもいい?」
「戻ってくるなら、構わん」
大きな口がオレを咥えて立たせると、鼻面でぐいと背中を押した。どうやら、さっさと作れということらしい。
「よーし、頑張るよ! ラピス部隊、行くよっ!」
「「「「きゅうっ!」」」」
張り切ってキッチンを展開、部隊に指示を走らせる。そろそろクッキーぐらいなら管狐部隊だけで作れるんじゃないだろうか。
「あ、ルー」
「……なんだ」
オレは振り返って駆け寄ると、大きな頭を抱き込み、忘れていた返事をした。
「ちゃんと、戻ってくるね」
ピクピクッと動いた耳が、オレの頬にパチパチと当たって、きゃあ、と笑った。
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