第324話 止まらない涙
「ぐすっ……えぐっ……」
ぼたぼたと際限なく流れ落ちる涙に、そんなに泣いたら喉が渇くんじゃないかと思ってしまう。
『いつまで泣いてんの……俺様だってもう泣いてないぜ!』
「だ……だっで………」
シャキーン!とポーズをつけたチュー助が、呆れたようにセデス兄さんを見上げた。
セデス兄さんがあんまり泣くもんだから、オレの涙も引っ込んじゃった。
くすっと笑ってあやすようにぽんぽんと背中を叩く。
「チュー助も無事に助けられたんだし、もう泣かないよ?」
「だっ、だがら泣いでるんだよぉ……!!無事で……よがっだねぇ……!!」
もうまぶたは腫れるわ鼻水は垂れるわ、イケメンが溶け崩れて台無しだ。拭いてあげようにもオレの背丈では届かない。
「うーん……シロ!」
『ほら、泣かないで。こんなにいっぱい泣いて、かわいそうに……』
シロがひょいと立ち上がって、ずしりとセデス兄さんの肩に手を置いた。驚くセデス兄さんに構わず、ぐいと引き寄せると、その顔を思い切り舐め始めた。
フェンリルの力は結構強い。前肢で抱き込まれたセデス兄さんが、たまらずぐらりと体勢を崩して尻餅をついた。うーん、どう見てもフェンリルに食われる人の図……。
「ちょ、待って!わかっ……分かった!も、もう、泣かない!泣いてないからっ!」
てらてらに光るセデス兄さんの顔は、げっそりしていたけど確かに涙は止まったようだった。
「さ、ラピスが止めているとは言え、何があるか分からん。チュー助が大丈夫ならとっとと出るぞ」
「ユータちゃんも大丈夫?大分魔力使ったんじゃない?」
必死だったから……思いっきり余分に魔力を使ってしまったけど、動けないほどじゃない。
「さ、チュー助行こうか!」
『あ、うん………』
チュー助が、冷えて固まった溶岩を振り返った。そのままちょこちょこと駆けて行こうとするので、慌てて捕まえる。
「まだ危ないよ!溶岩が残っているところもあるんだから。……どうしたの?」
じっと目を凝らすチュー助に首を傾げると、チュー助は少し項垂れて、なんでもないと首を振った。
「もしかして……あの精霊?火の精霊だから……平気じゃないの?」
――いくら火の精霊でも、下級の精霊に溶岩の魔素は大きすぎるの。触れたら自我が飛ぶの。自我がなければ精霊は精霊じゃないの……無理なの。
「えっ……そう、なの……」
火の精霊って火は平気なものだとばかり……。それなら、あの子はチュー助を助けるために……?
分かっていたのだろう、しょんぼりしたチュー助を抱えて、オレはそっと冷えた溶岩の上に下り立った。
……チュー助が落ちた原因の精霊。
だけど、今チュー助が生きていられる要因になった精霊。
ありがとう……君が命をかけてかせいだ数秒、無駄にしなかったよ。
助けてくれて、ありがとう。
感謝を込めて、黙祷する。
たった数秒、でも、その数秒のおかげでチュー助は助かった。
諦めきれないチュー助は、腕の中から一生懸命周囲に目をやっていた。
『あ、主!あそこ!あれ見て!』
ひび割れに覗く明るい溶岩を指して、チュー助が一生懸命オレの服を引っ張った。
「あそこに何かあるの?」
チュー助の気が済むまで付き合おうと一歩踏み出したオレを、シロがひょいと持ち上げて背中へ乗せた。
『………』
溶岩のそばまで近づいたものの、チュー助は落胆したように肩を落とした。
「……行こうか」
こくりと頷いたチュー助を連れて、振り返ろうとしたとき、ふわっと火の粉が舞った気がした。
「あ……精霊の、かけら?」
ふらりと溶岩から漂ったのは、ごくごく小さな精霊のカケラ。
『これ……これきっと、あいつだ!主!きっとそうだ!』
嬉しそうなチュー助に、ラピスが首を傾げた。
――どうしてカケラが残るの……?跡形もないはずなの……。
『生命の魔力、いっぱい。スオーもいる』
オレから溢れた魔力が、もしかして精霊さんに少しでも届いたんだろうか。だけど……。
ふよふよとこちらへ近づく精霊のカケラは、今まで見たどのカケラよりも弱々しかった。まるで、最後のお別れに来たみたいに。
『あんた、頑張れ!ほら、一緒に行けるぞ!ほら!もっと頑張れって!』
時々すうっと見えなくなる小さな炎は、意思があるかのように揺らぎながら近づいてくる。
「ユータ!それはカケラだ。魔力を渡すなよ、魔物になるぞ!」
「えっ……」
手をさしのべようとして、カロルス様の声に驚いた。
――カケラに意思はないの。魔力を吸うだけ吸って暴走するの……魔物と変わらないの。
でも……でも、このままだと消えてしまう……
「チュー助……」
『大丈夫だって!あいつ、根性あるから、きっとまだ生きてる……!ほら、行こう!』
チュー助がオレの腕から身を乗り出して、うっすらと透ける炎に手を伸ばした。
「あっ……チュー助!」
その時、伸ばした小さな手の先で、まるで水中に手を入れたように炎が揺らいで……
ふわっと消えた。
『えっ……?』
手を伸ばしたまま、チュー助が呆然と宙を見つめた。
『行けないって、思ったのかな……』
シロが悲しげに鼻を鳴らした。
チュー助はゆっくりと俯くと、オレの腕を両手できゅっと握った。
『……主、あのさ、あいつ……主に連れて行って欲しかったんだ。だから、だから………』
うん……いいよ、オレと、チュー助と、一緒に行こう。
オレは、精霊のいた空間にそっと手を広げた。
『ゆうた、大丈夫なの?ドレインは……』
うん、でも、この空間にはもう何もいない。あるのはただの魔素。
深呼吸するように周囲の魔素を集めて吸収する。オレの小さな体に集めた魔素は、まるで本当に火の性質を持っているかのように熱く感じた。
『ゆーた、熱いよ?大丈夫?』
シロが不安げな顔でオレを見つめた。どうやら実際に体も熱くなっているようだ。そっと自分の体を抱きしめて、呼吸を落ち着けようと試みる。
――?!ユータ、それラピスがもらうの!
だめだよ、これはオレが……そう言うより早く、ふっと体が楽になった。
「ラピス?!」
慌てて振り返ると、ラピスがカッと眩く光を発した。
――大丈夫なの。ほら!
眩い光が収まった時、小さな小さなものがオレの腕の中に飛び込んで来た。
『えっ……?え?』
オレの腕の中……いや、チュー助の腕の中に、もそもそと動く小さなもの。
「チュー助、なにそれ?」
『俺様、わかんない……』
ラピスがふよっと飛んでチュー助の側へ行った。一体何をしたのかと口を開こうとしたところで、ラピスがすいっと飛んでオレの肩に落ち着いた。
――やっぱり。
うんうんと頷いて、一人納得したようなラピスの視線の先は、チュー助の腕の中。
ふわふわしたそれは、ひょいと顔を上げた。
ぴこんぴこんと立ち上がった三角の大きなお耳、くりくりとしたつぶらな瞳。
「え……管狐……?」
幼く小さな、ぬいぐるみのような雰囲気の管狐。
そして、何よりその体毛は燃える炎の色をしていた。
チュー助は炎色の管狐を掲げるように持ち上げて、まじまじと眺めた。
――それは管狐じゃないの。弱っちいの。
『……あんた、もしかして?』
いぶかるようにじいっと見つめると、管狐はぱたぱたと楽しそうに手足を動かした。
『いっしょ……いくー!』
チュー助は大きく目を見開いた。
――本当に根性あったの。魔素の中にほんのちょびっと意思が残ってたの。
ラピスは、見込みがあるの!とフンスと鼻息を荒くした。
「えっ……?じゃあ、じゃあこの管狐、もしかして……炎の、精霊……?!」
――そのカケラなの。ユータが取り込んで、ラピスが受け取ったからうまくいったの。
『―――!!』
チュー助がぎゅっと抱きしめると、管狐……炎の精霊はきゃっきゃと笑った。
「……ね、チュー助、名前……名前つけてあげて」
『お、俺様が……?』
溢れる涙を拭ってチュー助に促すと、チュー助は濡れた瞳でおろおろと視線を泳がせた。
「だって、チュー助がとっても好きみたいだから、きっとチュー助がつけた方が喜ぶよ」
『ちゅーしけ!ちゅーしゅけ!』
腕の中で落ち着かない精霊を抱きかかえ、チュー助はうんうんと考えて、オレを見上げた。
『あのさ、最後に見た姿、チョウチョみたいな翅があったんだ。俺様、きれいなチョウチョの名前にしたい。主、チョウチョの名前を教えて』
真剣に考えたチュー助ににこっと笑って、思いつく限りのきれいなチョウチョの名前を挙げていく。
「えっと、モンシロチョウでしょう、アゲハにモルフォに……うーんと……」
『アゲハがいい!うん、あんたはアゲハだぞ!そんで俺様が親分だ!』
チュー助が嬉しそうに胸を張って言うと、精霊も楽しそうに笑った。
『あえは!おやぶ!』
『チッチッチ!ア・ゲ・ハ!お・や・ぶ・ん!!』
『ちっちっち!お・や・ぶーー!』
チュー助の手振りまで真似して、ぶーっとよだれを飛ばしたアゲハに、オレは大笑いした。なんだか、とても涙が溢れて止まらなかった。
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