第192話 アンヌちゃんの瞳

呆然とカロルス様を見つめたママさんは、ゆっくりと視線を巡らせる。カロルス様、エリーシャ様、セデス兄さん、マリーさん、執事さん。どの顔も穏やかにママさんを見つめ、微笑んだ。

「どうして……。」

「大変だったろう、あんた一人で守っていたのか?よくここまで来られたな。心配するな、ウチは魔族だろうがヴァンパイアだろうが悪いヤツでなければ構わん。悪いことをすれば当たり前に裁くがな!」

わはは、と豪快に笑うカロルス様。

「嘘……嘘よ…!!」

ママさんの瞳が揺れる。

「おう、スモーク!出てきてやれよ!」

「うるせえ!なんで俺が……。」

言いつつ柱の影から現われた男に、ママさんがビクリとする。

「?!あ…あなた…その、瞳……?!」

そして、目を見開いて彼をじっと見つめたママさんの頬を、雫が伝ってぽたりと落ちた。

「そんな……ほんとう…に…?」

「うっ……。ほら、泣いたじゃねえか!」

「お前は…もうちっと優しい言葉をかけられんのか…。」

「ママ?ママ?どうしたの?これ、おいしいよ?ちゃんとママの分、のこしてあげゆからね?泣かないで?」

涙を溢れさせて震えるママさんは、お菓子で頬をふくらませたアンヌちゃんを見て、聖母のような微笑みを浮かべると、くたりと力を抜いた。崩れ落ちる身体を支えた腕は、瞬時に移動したスモークさんのもの。


「おいっ…早く受け取れ!」

まるで嫌なものでも掴んでしまったような声音に、一同が苦笑する。

「ママ!?どうしたの?!ママー!!」

完全に力の抜けた身体を、マリーさんが軽々と横抱きにして、慌てたアンヌちゃんがすがりつく。

「アンヌちゃん、大丈夫。お母様は疲れて眠っているのですよ。お菓子はもういいですか?一緒にお部屋にいきましょうか。」

「うん…。」

ぷつりと緊張の糸を途切れさせたママさんは、アンヌちゃんと共に一室をあてがわれた。


「魔族の子かぁ。ママさん、よく一人で頑張ったね。」

「苦労したんだろうよ。昨日も襲われたんだ、しばらく眠っていないんだろう。」

「ユータちゃんがいなかったら昨日で終わっていたでしょうしね。」

「これからいかがしますか?村民も新しい者が増えつつあります。旧村側はある程度大丈夫でしょうが…新村では時々トラブルも起きていますよ?」

「そうだなぁ。面倒だ、悪いことをしないヤツならどんなヤツでも来いって言っとくか!それが嫌なヤツは出て行けば楽で良いな!」

「横暴ですねぇ…。」

「でも、今ヤクス村は人が増えすぎる傾向にあるし、例え村民がいなくても収益がある状態よ。ここらで方針をたてて選別するのもありかもしれないわね。」

「そうですな…『天使教』にかこつけて宣言するのもいいかもしれませんな。」

「なるほど!天使の守護する土地だもん、罪なき者は分け隔て無く受け入れるって感じ?」


その時、部屋の中央にふわりと光が灯った。

「ただいまー!」

当たり前のように現われたユータは、館の主要人物が勢揃いしていることにちょっと驚いた顔をした。

「あれっ?どうしたの?」

「どうしたじゃねーよ!毎回何かしらトラブルを持ち込みやがって。」

「あ、二人のこと?無事に着いたって聞いたよ~ありがとう!」

「ユータは知ってたの?手紙には食べ物のことばっかりで魔族のことは書いてなかったけど。そうそう、あれめちゃくちゃ美味しかったよ?!はんばーぐ?あれ最高だね?!」

「魔族?知らないよ?そうでしょ!ハンバーグって最高なんだ!あれにね、チーズ入れて焼いてもすっごく美味しいんだよ!!」

「おお?!なんだそれは…!それの作り方もジフに伝えてくれ!よし、明日はチーズの入ったやつにしようか!あれはいい!柔らかすぎて物足りん所もあるが、それを補って余りある美味さだ!」

「それよりもユータちゃんが帰ってきてくれて嬉しいわ-!ユータちゃんの作ったハンバーグも食べてみたいの!また一緒に夕ご飯食べましょうね?!」

ロクサレン家にとっては魔族よりもハンバーグの方が優先事項らしい。

「てめーら!あいつらのことはもういいのかよ!?」

しびれを切らしたスモークさんが割って入る。

「まあまあ、自分が食べられなかったからって…。」

「違うわ!!」


スモークさん、ハンバーグ食べられなかったんだ…。彼はどうしても一緒に夕食を食べようとしないので、食いっぱぐれたらしい。今度チーズ入りで作ってあげようかな!ユータはそんなことを考えつつ、説明を受けた話題に戻る。

「へえ~アンヌちゃんは魔族だったんだ~知らなかったよ。どうして分かるの?」

「目だ。紫の目に縦の瞳孔は魔族の証だからな。あの子は血が薄いんだろう、色は淡いが…知っているヤツが見ればすぐに分かる。」

「そうなんだ!じゃあスモークさんも魔族なんだね~知らなかったよ。」

「…………で?!」

ふうん、と流したユータにスモークさんが食ってかかる。きょとんとするユータ。

「えっ??」

「え、じゃねえよ!!俺は魔族だっつってるんだよ!!」

「う、うん…。えーと…ごめんなさい??」

怒られているのかと、困惑顔でごめんなさいするユータ。

「ぶっは!!ちげーよ!ユータ、こいつはお前が怖がると思ってんだよ!おバカなヤツだから!」

「てめえ!」

「そ、そうなんだ??スモークさんは怖い顔だし乱暴な話し方かもしれないけど…キースさんの方が怖いと思うよ!大丈夫!」

今さら?と思いつつ慰めるユータ。

全く、そんなことを気にしていたなんて…案外気にするタイプなんだな。そう思っていることもありありと顔に出る幼児。違う、根本的に違う。

「こ・の・野郎~!」

「ちょっと!八つ当たりしない!」

ほっぺを引っ張られて涙目のユータ。よく分からないが何かとばっちりを受けたようだと理解する…それもちょっと違う。


「ユータ、魔族との諍いは習ったでしょ?今も仲悪くてね~魔族の国に人がいたら危険だし、人の国に魔族がいたら迫害を受けるような状況なんだよ。魔族って魔力が高いから、悪いやつらに見つかったら紋付きにされちゃうことが多くてね…。」

「え…そうなんだ…アンヌちゃんたち、大変だったんだね…それで追いかけられてたんだ…。」

ごく自然と信頼を込めて、ユータはカロルス様を見つめる。ここでは、大丈夫なんだよね?真っ直ぐな視線を受け止めたカロルス様は軽く頷いた。

「うむ、ヴァンパイアの件もある。そろそろ天使教のことも報告があるし、一度王都で話をつけてこようと思ってな……エリーシャが。」

「エリーシャ様…大丈夫なの?怒られる……?」

「うふふっ!心配いらないわ。私は王都では結構有名なのよ?任せてちょうだい。」

エリーシャ様、頼もしい!こういう時はほとんど役に立たないカロルス様。王都にはエリーシャ様と執事さんが行くようだ。前衛と後衛…大丈夫だよね?戦いに行くんじゃないよね?少し心配になったユータは、その時はラピスにも行って貰おうと決める。



―私一人で、この子を守り抜けるだろうか…せめて、人の少ない安全な土地へ…。

天使の噂を聞き、一縷の望みをかけた逃避行は、敢えなくハイカリクの街でついえるところだった。不思議な白い犬と子どもに助けられ、首の皮一枚繋がった状態で、導かれるように辿り着いたヤクス村。

でも、ここまで来て貴族に見つかってしまった…。それなのに…あの人は、守ると言った。魔族の子を、私を、守ると言った。その大きな姿は、私にはまるで守護神に思えた。

ひび割れた心に、欲しかったその言葉はあまりに毒で…ともすれば崩れそうな意識を必死に繋いで抵抗した。けれど、これが天使の守護する所以だろうか…その言葉は甘いだけの嘘ではなかった。はっきりと魔族の特徴を示す彼と、幸せそうにお菓子を頬ばる娘に、私は安堵のあまり、ついに気を失った。


―頑張ったんだね…大変だったでしょう…。ゆっくり休んでね。ここなら大丈夫だよ…。


極度の疲労にまぶたが上がらない。心地よい微睡みに身を委ねていると、幼い声が聞こえた気がした。途端に、ふわりと温かく清浄な気配が身を包む。うっとりと意識を手放しそうになって、慌てて起き上がった。

「アンヌ?!」

がばりと起き上がった拍子に、ふかふかのベッドが揺れて、隣で眠るアンヌが身じろぎした。真っ暗な部屋の中には誰も居ない。

「……天使、様?」

鉛のように重かった身体も、心も、浮き上がるほどに軽い。

ああ、天使様は、魔族を嫌わなかったんだ…良かった……良かった…。強くなると決めた日から、泣くことなんてなかったのに…優しさに包まれて、私は泣き続けた。

涙が、こんなに温かいなんて…。



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