Épisode 30「〜〜っにすんのよこの変態っ‼︎」
『――侵、入者は、排除、します』
そう言って容赦なく攻撃してきた人物を、レオナールも、フランツも、ジェラールも、そしてヴィクトルさえも、言葉を失った状態で呆然と見上げた。
緑の黒髪がなびく。翡翠の瞳は冷ややかに、それでいてガラスのように無機質に、彼らを見下ろしていた。
見覚えのある少女の顔に、一同は思考を止める。
が、それも数瞬。彼女の桃色の唇が、小さく魔法の呪文を紡ぐ。
咄嗟にヴィクトルは彼女との間合いを詰めた。
「これは置いていったヤキモチにしては、なかなか盛大だなユーフェ!」
ユーフェの身体を床に押しつけ、片手で口を塞ぐ。呪文を無理やり中断させられて、満足に発動できなかった氷の
一つは洞窟の天井に。一つは出口の壁に。そして一つは、ヴィクトルの頬を掠めた。
「まったく、とんだじゃじゃ馬だな。色々と訊きたいことはあるが……――その前に出てこい。それで隠れているつもりか?」
「あれ、バレちゃいました?」
「ダニエル・コルマンド……」
唸るようにヴィクトルが呟く。物陰から出てきた男を、不敵な笑みで睨んだ。
「これは驚いた。伯爵が噛んでいるのかと思いきや、その息子が首謀者か? それとも親子で仲良く人身売買でも?」
「人身売買だなんて。やめてください、違いますよ。ウジェーヌ神父が提供してくれる子供たちは、僕の大切な被験体なんですから」
「はっ。それを人身売買と言うんだ。人体実験も加わったみたいだがな」
ユーフェを押さえながら、吐き捨てるようにヴィクトルは言う。
遅れて洞窟から出てきたレオナールたちは、目の当たりにした光景に一瞬で顔を青ざめさせた。
それもそうだろう。開けた真っ白な空間の奥。そこには、縦長の水槽のようなものがいくつも並べてあった。中にはたくさんの管に繋がれた子供たちが入っている。
「ミーシャ、ノエル、ドニ、ロザリーまで……!」
駆け寄ろうとするジェラールをフランツが止めた。まさにその水槽から顔を出したダニエルに、ジェラールが殺されないとも限らない。
中央には手術台のようなものが二つ置いてあり、使用感が一目でわかるほど汚れていた。
病院ではない。すぐにそう否定できるほど、異様な空間。
吹き抜けになっているのか、天井は高い。
ここがどこなのか、ヴィクトルは聞かなくても把握していた。歩いてきた道の方角を、彼はしっかりと頭に入れていたから。
「こんな立派な実験場を、まさか教会に作るとは誰も思わないか」
吐き捨てられた言葉を、ダニエルでなく、レオナールが拾う。
「教会? まさかここは、モンブール教会なのかい?」
「いや。この町にはもう一つ、教会があっただろう。孤児院が併設されていない、モンブールよりも大きな、町のシンボルが」
「エヴェニヨン教会か!」
ヴィクトルが頷く。
それは、東端にあるモンブールから少し離れた、町の中央近くに位置する教会だ。
大きな時計台が併設されており、祈りの時間には町中に轟く鐘が鳴る。
住民の生活に無くてはならないシンボルの中で、まさかこんな非道なことが行われているなど、誰が予想できるだろう。
さしものヴィクトルも、この目で見るまで思いつきもしなかった。
すると、彼の予測が正しいことを証明するように、真上から鐘の音が降ってくる。振動でビリビリと建物が震え、ヴィクトルたちの動きが数秒止まった。
その隙を突いて、ユーフェがヴィクトルから逃れる。
そうしてあろうことか彼女は、ヴィクトルたちと敵対するように構えた。ダニエルという敵に背を向けて。
「……ユーフェ、ヤキモチにしては、冗談が過ぎるな?」
「侵入者は、排除します」
無機質な声が響く。どこか虚ろな翡翠の瞳に、ヴィクトルは気づいた。
「はっ、なるほど? ダニエル・コルマンド。貴様、ユーフェに何かしたな?」
「これだから頭のいい人間は困ります。場所も当ててしまうし、ユーフェの異常にも気づく。なんとなく、初めてあなたを見たときから嫌な予感はしていたんですよ」
「お褒めいただき光栄だ。俺も初めておまえを見たときから、虫唾が走って仕方なかったんだ。どうやらユーフェも、おまえの異常性には気づいていたようだぞ?」
「ユーフェがですか?」
「全然懐かれていなかったろう」
「ああ、そういえばそうですね。あれはそういうことだったんですか」
「ユーフェ自身は理由には気づいていなかったがな。彼女の本能がおまえを遠ざけたんだろう。それで? 彼女に何をした?」
言いながら、ヴィクトルは後ろにいるフランツに合図を送る。――隙を見てあいつを捕まえろ。
「さて、何を、と言いましても。彼女が自らやったことですし」
「どうせ脅したんじゃないか。この時計台はコルマンド伯爵の寄贈品らしいな? となると、首謀者がおまえだとしても、伯爵が全くの無関係とは限らない。ああ、もしかして、夫人もグルか?」
「ちょっと待て! だったらフラヴィは? フラヴィはどうしたんだ⁉︎」
レオナールが口を挟む。その色を失った様子に、ヴィクトルは少しだけ意外そうな瞳を向けた。
ユーフェをまだ忘れていないのかと思いきや、レオナールはちゃんとフラヴィのことを想っていたらしい。なんとも不憫な男だ。
「フラヴィさんなら無事ですよ。顔は一発殴っちゃいましたけど、ユーフェが身体を張ってくれましたからね」
「なっ、フラヴィを殴ったのか⁉︎」
「本当は殺すか実験体にするつもりだったんです。五体満足で生きているだけ御の字だと思ってください。ユーフェに感謝ですね?」
「貴様……!」
頭に血がのぼったレオナールが、腰に佩いていた剣を抜きながらダニエルに突撃する。
ダニエルは余裕の表情だ。むしろ子供の癇癪を困ったように見つめる親のように、ふうと息を吐いた。
レオナールの進行方向にユーフェが立ちはだかる。
彼女はペンダントを掴みながら、レオナールには理解できない呪文を唱える。
「ユーフェ、どいてくれ!」
彼女は動かない。レオナールも足を止めない。
馬鹿の一つ覚えのように、ユーフェの周りにまた氷の礫が現れる。歯軋りしたレオナールは、飛んでくる礫を剣の腹でなんとか防ぐ。
防ぎきれなかった礫が足を擦り、腹を擦り、鈍い痛みが走る。
それでもレオナールは進んだ。ユーフェに剣を向けることはできない。だから彼は、ユーフェを無理やり突破し、突き進む道を選んだ。突破したあと、背中を攻撃されることも覚悟して。
「おおおおお!」
気合い十分に叫びながら、ユーフェを突破しようとした、そのとき。
「阿呆か。冷静になれこの泣き虫め」
「ぐふっ⁉︎」
なんと、レオナールを攻撃したのはユーフェではなく、その間に割り込んできたヴィクトルだった。容赦ない鉄拳が頬にぶち込まれる。
「ヴィクトル⁉︎ 何をっ」
結構本気で殴られたため、レオナールは殴り飛ばされた先で尻餅をつく。
そんな彼を、ヴィクトルは腰に手をあて、尊大な態度で見下ろした。
「君は紳士として女性への態度がなっていないな!」
「……は?」
これには開いた口が塞がらない。本気で、ちょっと正気を疑うレベルで、こんなときに何を言っているんだとレオナールは思う。
ヴィクトルのすぐ後ろでは、ユーフェが新たに呪文を紡いでいるところだった。また氷の礫でも作るつもりなのだろうか。
くるり。おもむろにヴィクトルが振り返る。
それでも反応を示さず、唱えるのをやめないユーフェに、ヴィクトルはにんまりと微笑んだ。
「魔女の魔法は、指針と言葉が必要だ。どちらかが欠ければ、発動しない」
ヴィクトルが手を伸ばす。ユーフェのペンダントを奪うのかと思いきや、彼が奪ったのは――。
「はぁぁあああ⁉︎」
たまらずレオナールが怒号をあげる。レオナールだけじゃない。端に避難していたジェラールは顎が外れそうになるくらい大口を開けているし、ダニエルなんかは「わぁ」とドン引きしていた。
「ヴ、ヴ、ヴィ……っ」
顔を真っ赤にさせて、レオナールが指を差す先には、口づけを交わす二人がいる。
いや、ヴィクトルが一方的にユーフェの唇を奪ったのだ。
薬で操られていたユーフェも、本能が異常事態を察知したらしい。
虚ろだった瞳が驚愕に見開き、不埒な敵を凝視する。その変化を、ヴィクトルもまた楽しげに目を細めて観察していた。
ぺろりと下唇を舐められる。呪文を口にしていたせいで、わずかに開きっぱなしだった口内に分厚い舌が侵入する。
びく、とユーフェの肩が震えた。自分のものではない生温い感触に、まるで噴火直前の火山のように、自分の中から熱いマグマがのぼってきているのがわかった。
舌を絡めとられ、歯列をなぞられ、口内という口内を蹂躙され。何も考えられなかった真っ白な頭の中が、炎の色に塗りつぶされていく。
そして。
そしてついに、マグマが噴火した。
「〜〜っにすんのよこの変態っ‼︎」
角度を変えようとしたのか、唇が離れた瞬間、ユーフェは一も二もなく平手をかます。
小気味いい音が響き、周囲はしんと静まり返った。
ぜぇ、ぜぇ、とユーフェが息を整えていると、ふいに不気味な笑い声が聞こえてきた。
「ふふ、ふふふ、ふっふっふ! どうだレオナール! これぞまさに紳士のなせる技、乙女の憧れ〝王子様の目覚めのキス〟だ!」
「いやどこが紳士なんだい⁉︎」
思わず突っ込んでしまったレオナールである。間違いない、どこが紳士なのだろう。
「ささ最低! 最低最低最ッ低! 人前でなんてことするの⁉︎」
「やあ、おはよう眠り姫。目覚めの気分は如何かな?」
「だから最低よ!」
真っ赤な顔で吼えるユーフェを、ヴィクトルは愉悦の滲む瞳で見下ろす。こんなときでも悪ふざけを忘れないのが、ヴィクトルという男だった。
いや、こんなときだからこそ悪ふざけをする男、と言ったほうが正しいか。
みんながみんな二人に気を取られている隙を突いて、フランツがダニエルを背後から襲う。
「甘いですよ」
しかし、向こうも馬鹿ではなかった。死角から狙ったはずなのに、フランツを見事に振り返ってくる。
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