Épisode 18「誰だ、そこにいるのは」


 夕食会が無事に終わり、フラヴィのこともあって、一同は早々に解散した。本来ならこのあと、男性は男性同士で、女性は女性同士で、親睦を深めるために別室に移動してさらなる交流を楽しむ。

 が、レオナールの訪問は非公式であるし、ましてやヴィクトルなどは、本人が己の身分を明かしたわけでもない。

 部屋に引き上げていくヴィクトルの背中を、ユーフェはそっと追った。

 彼は一人だ。途中で何度か声をかけようとしたが、何て声をかければいいのか。わからなくて、結局口は空気を吸うだけに終わる。

(私の意気地なしっ)

 すると、もうちょっとで彼の部屋に辿り着くというところで、ヴィクトルが立ち止まった。

「レオナール」

 彼が声をかけた名前にぎょっとする。どうしてレオナールがここに、と思ったが、よくよく考えれば不思議なことはない。

 この屋敷の客間の中で、上等なところが二人の王子に与えられているのだ。必然的に、ヴィクトルの部屋の近くに、レオナールの部屋がある。

 慌てて大きな花瓶の台座の陰に隠れた。

(……また隠れちゃった)

 やはり長年のトラウマを前にすると、意思とは関係ないところで身体は動くものらしい。レオナールがそこにいると思っただけで、身体はなんとも正直に動いたのだった。

 そして一度隠れてしまうと、なかなか出にくいのはお約束。

「ヴィクトル? どうしたんだい」

「君に少し聞きたいことがあってな」

「……嫌な予感しかしないんだけど」

 意図的にニヤつくヴィクトルに、レオナールはこれでもかと眉根を寄せた。

「なに、それほど大したことじゃない。君がここにいる理由について、なんだがな?」

 ヴィクトルがそう言うと、レオナールは肺の中を空っぽにするほど、大きなため息を吐き出した。

「どこが大したことないんだよ。だから君は嫌いなんだ」

「それは嬉しいな。俺も君は好きじゃない」

 どことなくピリッとした空気に、ユーフェはハラハラする。二人は友人と聞いていたが、違うのだろうか。どうしてこんなにも微妙な空気が漂っているのだろう。

 だって、ユーフェの知る友人とは、仲良く笑い合う存在である。もちろんこれも本の中の知識だが、間違ってはいないように思う。町中でたまに見かける彼らは、いつも楽しそうに笑い合っていたから。

(でもこの感じ、とてもそうは見えないわ)

 もしかして、やっぱり友人ではないのか。

 盗み聞きなんてよくないけれど、二人の会話に夢中になってしまったユーフェは、この場から離脱するという選択肢を排除してしまっていた。

「ほんと、変わってないね、君」

「レオナールは変わったか? 引きこもりの王子だったくせに」

「そりゃ私だってね、もうすぐ王太子になるんだ。少しは自覚を持つんだよ。自由気ままな君と違って」

「ほう。言うようになったじゃないか、あの泣き虫坊やが。で、クロか、シロか」

「! 勘弁してくれ……どこまで知ってるんだい?」

「さあ? 俺は大したことは知らないぞ? だが、うちには優秀な諜報部がいてな。この国の、この辺りのについては、あらかた聞いている」

「さすが、大国アルマンドだね。なんで君が他国の、ましてやこんな田舎を気にかけるのかは知らないけど、もしかして、今回の君のお忍び旅行と何か関係があるとか?」

「ああ、それは……。言ってもいいが、レオナールが情報を持っているとは思えないしなぁ」

 うーん、と思案顔で首を傾けるヴィクトルに「失礼な」とレオナールは少しだけ怒ってみせる。

「これでも私だって、王子なんだけど」

「泣き虫王子な」

「だから昔のことはいいだろっ。今は違うし、そもそもあれは、君が私に変ないたずらばかりするからだろ⁉︎」

「そうだったか?」

「そうだよ! 服の中に蛙を入れてくるし、かくれんぼをしたら鬼役もそっちのけで読書してるし――いつまでも見つけてもらえないのって、結構寂しいんだからな! それに何をやっても君には勝てなくて、悔しくて膨れてたら、そんな私に君は『かわいい顔が台無しだぞ、お嬢さんマドモアゼル?』とか屈辱的なことを言ってくれて……っ。君、私が女顔を気にしているのを知ってて言っただろ⁉︎」

「もちろんそうだが?」

 なんだろう。ユーフェは思った。彼らが友人とか、友人でないとか、この際どうでもいい。そんなことより。

(どうしよう、レオナール殿下が不憫すぎる……!)

 仮にもトラウマの元凶の一人なのだが、聞いているうちにレオナールに同情してしまったユーフェである。こんなところでヴィクトルの被害者仲間を二人も見つけるなんて、嬉しいのか嬉しくないのか、よくわからない心境だ。

(そう思うと、なんか、不思議と殿下が怖くなくなってきたかも?)

 ユーフェの中のレオナールとは、優しい王子様で、年上で、大人の余裕があって。

 けれど、ヴィクトルを前にした彼は、余裕の〝よ〟の字もない状態だ。

 昔は完璧な王子様だと思っていて、だからこそ、自分には遠い存在だと思っていた。が、彼もやはり人間である。それを実感したとも言うべきか。

(ほんと、変な人)

 いつのまにか口元には、小さな笑みが浮かんでいる。

 変な人、とは。もちろんヴィクトルのことだ。他国の王子に何をやっているのだろう。いくら子供の頃のこととはいえ、いたずらが過ぎるような気がする。

 けど、その全てが嫌いになれない。

 尊大な態度も、自分勝手な振る舞いも、強引なやり方さえも。

 困らされて、怒りはするけれど。

 それも含めて、自分は――

(好き…………なーんて気の迷いよ絶対っ‼︎)

 内心で自分に右ストレートをお見舞いする。

(危ない危ない。まだだめ。まだそう思っちゃだめよ。そう思ったが最後、あの人にいいように遊ばれて終わるだけなんだから!)

 当たらずとも遠からずである。

 ユーフェの女の勘は、意外と鋭かった。

 しかし、彼女はここで一つのミスを犯す。頭を思いきり振ったせいで、乱れた髪が台座の陰から出てしまったのだ。

 一瞬のことではあったけれど、ちょうど正面だったレオナールには、それがはっきりと見えてしまった。

「誰だ、そこにいるのは」

(!)

 急に剣を帯びた声音に、ユーフェは慌てて息を止める。何の意味もないそれだが、今のユーフェにそうと気づく余裕はない。意図せずこんな状態になってしまったとはいえ、盗み聞きであることに間違いはないのだから。

 口元に手を当てて、必死に気配を殺した。

「まあ待て、レオナール。そうピリピリするな。仮にもここは伯爵家。怪しい輩がそうそうと紛れ込めるはずもない。そうだろ?」

「ヴィクトル? 君、そんなにお優しい人間だったか?」

 意外なものでも見るような目で、レオナールはヴィクトルを凝視する。

「心外だな。俺は優しくしたい奴には優しいぞ」

「つまり、私には優しくしたくないというわけかい……」

 はは、とレオナールから乾いた笑いがこぼれる。

 それを気にするでもなく、ヴィクトルは不審者――ユーフェのいるところへと迫っていた。

 足音がこちらに向かっている。そう思うだけで、ユーフェの心臓は口から飛び出そうだった。さらに強く口を塞ぐ。

(どうしよう、どうしようっ)

 頭の中はそればかりだ。バレたらどうなるのか。盗み聞きをする女なんて、いくら彼でもはしたないと思うかもしれない。

(どうすればっ)

 ぎゅっと目を瞑った。足音が近くで止まる。

 もうだめ――。そう、諦めかけたとき。


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