第23話 ヒトコワ壱・煙草

これは、俺が一人暮らしを始めて間もない頃、真冬の寒い時期に体験した話だ。


その日は居酒屋のバイトで残業もあり遅い時間の帰宅となった。



かじかむ手にはぁっと息を吹き掛け、ふわりと立ち昇る自分の吐息にぼおっと目をやった時だ。


目前に、自分が住んでいる二階建て木造ボロアパートがあるのだが、二階へと続く階段の入口付近に人影らしきものがあった。


目を凝らしよく見てみるとそれは、


(女……?)


それはコートを着た若い女の姿だった。


煙草を片手に階段に腰掛けている。


(住民か?)


見かけない顔だと思いつつアパートに近付く。


街灯に照らされた女の顔がよく見える。


歳は二十代。


キツめの化粧に高そうなアクセサリー、一目見て水商売系だと分かる。


少し緊張した面持ちで軽く頭を下げ女の横を通り過ぎようとした時だった。


「お兄さん、煙草どうぞ」


「えっ……?あ、いや」


突然女に掛けられた声に戸惑っていると、女はそれを見透かした様に妖しい笑みを浮かべ、俺の返事も待たずに煙草を1本差し出してきた。


一度は躊躇したが、よく見ると良い女だし悪い気もしない。


照れ隠しに会釈しその煙草を手に取ると、女は慣れた手つきで煙草に火を付けてくれた。


(何だか妙な気分だな……)


何だか気恥ずかしくなり再び女に会釈すると、俺は足早に階段を登った。


(ここの住人だったら良いな……)


などと淡い期待を抱きつつ二階のエントランスに足を踏み入れた時だった。


「あっ」


寒さでかじかんだ指先かからさっき貰った煙草が零れ落ちたのだ。

しかも排水用の溝に。


落ちたばかりの煙草に、溝に溜まった水がじんわりと滲んでいくのが見える。


「あ~あ……」


諦めて部屋の前まで行きポケットから鍵を取り出す。


その時だった。


何か違和感を感じた。


普段なら何も感じないが何かいつもと違うのだ。


「あっ……」


ポストだ。

扉に設置された簡易ポストに溜まっていたチラシが無くなっている。


いい加減片付けなきゃと、バイトに出かける前に確認したのを俺は覚えていた。


(なぜ?)


疑問に思った俺が簡易ポストの蓋を何気なくめくったその瞬間、


「何だ……?」


匂いがした。


普段嗅ぎ慣れない異臭。

でもよく知っている匂いだ。


その瞬間、俺の身体は凍った池に飛び込んだかのような寒さに包まれた。


ま冬の寒さによるものではない、これは恐怖からくる寒さだ。


血の気が引き思わず膝が崩れ落ちそうになる。


ガクガクと震える足を必死に堪え、俺は咄嗟にさっきの煙草を落とした溝に駆け寄ると、煙草を拾い上げ必死に遠くへと放り投げた。

そして携帯を取り出すと、震える手で必死に番号を打ち込んだ。


規則的に繰り返す機械音を耳にしながら、さっきの女が居た階下に目をやる。


女は居ない。


が、


「ああくそっ!くそくそくそくそぉっ!!」


──ダダダダダダッ、


女の怒号、走り去る激しい足音が真冬の夜空に鳴り響く。


『どうされました?どうされましたか??』


唖然とする俺の耳元で、いつの間にか携帯から男性の声が聞こえていた。


「しょ、消防署の方ですか?」


そう一言返すと、俺は力なくその場にヘタリ込んでしまった。



その後はバタバタだった。


電話で消防士の方の支持に従い、あっと言う間に朝を迎えた。


そう、俺が電話した先は119番だった。


あの時、匂った異臭の正体はガスだ。


匂いに気が付いた俺は、水に浸かったとはいえ、万が一と考え煙草を隣の空き地に放り投げた。


もしあの時何も気付かずに煙草を吹かしながら扉を開けていたら……。


あの後駆け付けた消防士の方と警察の方とも話したが、ガス漏れではないかと言われた。

だがあの時の女の行動は何がなんでも怪しかった。


ただ、俺はあんな女知らないし会ったのも初めてだ。


なのになぜ俺の部屋を知っていたのか、なぜ部屋に入れたのか?

どう考えても思い当たる節がない。


警察にも話したが、それが本当に女の仕業なのかも疑わしいというような扱いを受け、結局はその後事件の進展は何も無かった。


ただ、その後一つだけ俺には思い当たる節があったのを思い出した。


いや、思い出したくなかったのかもしれない。



……実は、俺は親父を事故で亡くしている。


出張先のアパートで、ガス漏れが原因の火事だった……。


偶然……だよな……?


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