⑩【カタリとフクロウとアイスの話】
その夜、ボクは満月の影を追いかけながらゆっくりと夜道を歩いていた。
もう夏も終わろうとしている。
日中はひどい蒸し暑さだったけれど、夜はシンとして涼しいくらいだった。
○
ボクの右手は、ある男の子の手とつながっている。
この子供の名前は『カタリ』
子育てはとっくに終わっている歳なんだけれど、彼は新しいボクの息子だ。
○
まぁもったいぶるほどのことではないから簡単に話しておこう。
理由は知らないが、彼の本当の両親が幼い彼を捨ててしまったのだ。
それから彼は施設で育てられていたのだが、義母のハナさんのボランティアが縁で、ボクとかな子の所にやってくることになったのだ。
○
ちなみにカタリは今年で8歳。聡明なのに、すごく大人しい子だ。
ついでにボクは52歳。いつまでたってもあまり成長していない気がする。
こうして手をつないでいると、親子というよりも年の離れた友達みたいな気がするくらいだ。
○
「不思議だねぇ、カタリ、どんなに歩いても月にはちっとも近づけない」
たいてい話しかけるのはボク。ただいつも気の利いた話題が浮かばない。
「たぶん、近くに見えても、月はすごく遠くにあるから……」
カタリはたいてい、こんな風に涼しい答えを返してくれる。
でも決まってこんな風に続ける。
「……あ、ごめんなさい。そんな答えじゃないですよね……聞きたいの」
○
「ボクは、キミの答えが聞きたかったんだよ。だから今のでいいんだよ」
ボクはニッコリと笑って、たいていそんな風に答える。
本当はもっと彼を喜ばせるような、彼に笑顔を浮かばせるような答えを返してあげたいんだけど、やっぱり器用じゃない。
○
それでも、こんなぎこちない会話でも、手をつないで話していると不思議と心が通ってくるものだ。
ボクたちはお互いに不器用にちょっと微笑みあう。
○
「そろそろ半年になるね、新しい生活には慣れたかい?」
「はい。みんなすごく優しくしてくれます。なんかいろいろとすみません」
「新しい学校はどう? 話せる友達はできた?」
「ボク、あまりそう言うの得意じゃないんです、ごめんなさい」
○
なんだか昔の僕と似てるなぁ、と思う。
だから分かる。彼がつい謝ってしまう理由なんかも。
○
周りの人を傷つけてしまうのが嫌だし、自分が傷つくことも怖いんだよね。
そんなことするくらいなら、ちょっとぐらい我慢する方がマシなんだよね。
分かるよ、カタリ。ボクはたぶん、ちゃんと分かってる。
○
やがてボクたちはコンビニにたどり着く。
田舎にあるコンビニ、時刻もちょっと遅いから、駐車場には車も止まっていない。ただなにかの基地のように煌々と街灯がきらめいているばかりだ。
○
『ホォー……ホォー』
不意に頭上から鳥の鳴き声が聞こえてきた。
それからバサバサと羽が風を切る音が。
見上げると、街灯の上に大きなフクロウが止まっていた。
○
「お。珍しいね、フクロウだ」
「ホントだ! 初めて見た!」
ボクはカタリが嬉しそうな声を出すのを初めて聞いた。
カタリはキラキラとした目で、まるですべてを記憶するかのように、一心にそのフクロウを見つめている。
○
「久しぶりに見たよ、もうこの辺にはいないのかと思った」
「キタノさん、知ってますか? フクロウがなんてよばれているか……」
カタリはボクの手を引っ張り、そっとその街灯に近づいていく。
ボクも彼に合わせ、フクロウが飛び立たないよう、そっとそっと近付いてゆく。
「……森の賢者……そう呼ばれてるんです、すごいなぁ、キレイだなぁ」
○
『森の賢者』
カタリのささやいた言葉に、ボクの記憶がゆっくりとほどけていく。
○
そう。あの日だ。
フクロウがしゃべるのを聞いたあの日。
ボクはフクロウの言葉をきっかけに『かな子』にプロポーズしたのだ。
思えば、あの日、あの一瞬から、ボクの人生は大きく変わっていったのだ。
それもすごく幸せな方向へと。
思えばあれからずいぶんと長い時間がたっていたのだ。
だがとても充実した、幸せと笑いでいっぱいの素晴らしい時間だった。
○
「カタリ、キミはフクロウが喋れるって知ってたかい?」
カタリはなんとも言えない表情で僕を見た。
まぁちょっと正気を疑うよね。
○
「すみません、フクロウはしゃべらないと思いますよ」
「じゃあ、オウムは?」
「アレも違うと思います、あれは繰り返してるだけで『しゃべる』っていうのはもっとこう……」
続きはボクが引き取った。たぶんカタリも同じことを言うはずだ。
「……自分の意志で、自分で言葉を選んで、相手に何かを伝えるためにするもの……」
○
「そう、そうです!」
カタリはちょっと驚いたようにそう言った。
今度はゴメンナサイもスミマセンもつけなかった。
○
「カタリ、これからもずっと、ボクたちはたくさん、おしゃべりをしようね。ボクの考えていること、キミの伝えたいこと、なんだっていい。たくさん話そうね」
カタリはじっとボクを見上げている。
その手がちょっと震えている。
大丈夫。大丈夫だよ。ボクたちはキミを傷つけたりなんかしない。
だって……
「だって、ボクたちは家族なんだから、これからもずっとね」
○
『ホォォ―』
鳴き声と共に、バサバサと大きな音がして、フクロウがすごい風圧を置いて上空へと飛び上がった。
いきなりだったのでちょっと驚いた。
フクロウは翼を広げ、ゆっくりと空を掻き、ぐんぐんと月へ向かって飛び上がってゆく。その力強く、神々しい姿を、ボクたちは呆然として見送った。
○
「行っちゃいましたね……」
「すごかったね……」
うん。ここからなにを話そう?
なにかいろいろと言ってあげたいことがある気もするけど……どうも思いつかない。やっぱり不器用なのだ。
○
と、カタリが道路の向こうに灯った小さなヘッドライトを指さして嬉しそうな声を上げた。
「あ、アレ、かな子さんの車だ!」
悔しいが、カタリはかな子とはすっかり打ち解けているんだよな。
もう何年も本当の母子だったみたいに。
この暗い道で、あんな小さなライトで、かな子の車が分かるなんて、ボクよりすごいじゃないか。それともエンジンの音でわかるのかな?
ともかく、こんな体たらくでは、かな子を取られてしまうかもしれないな。
○
「うん、これはウカウカしていられないな」
と、不意にカタリがキュッと強くボクの手を引いて自分の方を向かせた。
このパターンは初めてだ、自分から何かを言おうするなんて。
「あのキタノさん、アイス、買ってほしいんですけど……その、ココで食べたら、美味しいかなって……そう思って……でも、」
やっぱりちょっと恥ずかしそうに、照れながら。
だんだんと声が小さくなって、顔もうつむいてきてしまう。
そんな照れることないのに。
○
「そりゃいいね、ボクも同じことを考えていたよ!」
だからボクもギュッと手を握り返す。
「やっぱり夏はアイスだよ。ちなみにかな子はチョコミントが好きなんだ」
「キタノさんは?」
「ボクはチョコがかかってるやつ。カタリは?」
「ボクは……みんなで食べるのがいちばん好きです!」
カタリは年頃の少年らしい、屈託のない笑みを浮かべた。
○
そう、それでこそ。
笑顔あっての北乃家だからね。
終わり
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