第18話 再び囚われのお姫様

「暗いわ」

「夜ですから」

「狭いわ」

「牢屋ですから」

 会話終了。しばらく考えてから、ミアは当たり障りのないことを言うことにした。

「捕まったわね」

「誰のせいですか、誰の!?」

 オルフィはいきり立つ。思いっきり逆鱗に触れたようだ。

「……いつの間にか人質になっていたベルと一人逃げ出したアトラス」

 がっくりと肩を落とすオルフィ。

 彼がマレに囚われるのは、これで二回目。ミアと同じだ。一方的な親近感を抱きつつも、口にすることは憚られた。火に油を注ぎかねない。

 二人が閉じ込められたのは、ハストラングの城内、離塔の最上階だった。ただし、以前ミアが攫われた時にいた塔ではない。その慰霊塔は窓から見える位置にあった。

 あの時に比べるとかなり見劣りのする場所に閉じ込められたものだ。普段は使っていないのだろう。鼻につく異臭にミアは顔をしかめた。オルフィ曰く「カビ」らしい。湿気を帯びた空気は肌にまとわりつくようで不快だ。申し訳程度に灯されていた明りも消えて久しい。

「油すら補充していない牢獄に閉じ込められるなんて……っ」

 月明かりだけが頼りの牢屋の中で、オルフィの拳がわなわなと震える。この待遇が彼には屈辱なのだろう。優遇する義理もマレ側にはないだろうが。

 ミアとオルフィは鉄格子の中に閉じ込められているだけで、縛られているわけでもなかった。さすがに武器や荷物、イオの肩腕も全て奪われているが、占星術が使えなくなるような直接的措置は施されていない。危害も加えられていなかったーーできなかったのだ。

アトラスの言う通り、ミアには自動で発動する一等級占星術〈万華鏡〉がある。攻撃するだけ無意味なのだ。だから殺されはしない。

「ベル……大丈夫かしら?」

「殺しはしませんよ。あなたの抑止力になりますから」

 姉弟子だというのに。オルフィの態度はつれない。さっきはあんなに狼狽えていたのに。

「心配ではないの」

「僕はもっと最悪な可能性を考えています」

「どんな?」

 オルフィは一旦口を開きかけ、やがて思い直したかのように噤んだ。

「……確証のないことです」

「気になるわ」

「要するに、あなたの極星がマレに染められるような事態です」

 曖昧な返答だ。それに極星が奪われる危険性は承知の上でここまできているのだから、非常に今更なことだった。オルフィらしくない。

(不安なのね)

 当然だ。ミアより一つか二つ年上なだけの少年だ。殺されるかもしれない恐怖。そして極星が自分のせいでマレの手に落ちるかもしれない焦燥。

「大丈夫よ。心配しないで」

「あなたは楽観的過ぎます。おまけに根拠もない」

「極星は絶対に渡さないわ」

根拠はある。最後の切り札は、既に用意している。いつになく臆病で、自分勝手だろうとミアは極星に選ばれた姫だった。それを忘れたことは一度もなかった。

「だからイオとベルを助けて、ここから脱出することだけを考えて」

 オルフィは訝しげに眉を寄せた。不安そうにも見える表情だった。

「何を、考えているんです?」

「イオとベルを救出する方法、かしら? もちろんあなたも一緒よ」

 ミアは微笑んだ。

「私の使命だもの。あなたが背負う必要はないわ」

 オルフィを帰すべきなのだろう。マレフィックの領域にいる限り彼は占星術が使えない。つまり、戦力にはならないのだ。

 自分が大人しく眠りにつくことを条件にオルフィとベルとイオの三人の帰還を要求する。タラセドーーあるいはハストラングが受け入れないのなら〈転移〉を発動させ、ミア一人でも天星宮に戻ると脅せばいい。囚われているためこちらの分は悪いが、それしか方法はない。

(エヴァ、ごめんなさい)

 せっかく作ってもらったアップルパイは食べられそうもない。そう考えると胸が痛くなった。目頭が熱くなった。喚きたくなった。その全てをミアは堪えた。

 汚い床に座るよりはマシだと考えたのだろうか。オルフィは鉄格子に背中を預けた。何かを考えるかのように天井を仰ぎ、唐突に訊ねてきた。

「星騎士イオの正体を姫様はご存知なのですか?」

内心の動揺を押し殺してミアは「どうしてそう思うの?」と逆に質問した。

「ずいぶんと心をお許しになっている印象を受けたもので」

「知らないわ。教えてはくれなかったから」

 心当たりはあった。当時の星騎士はトレミー=ドミニオンだから、単純に考えれば彼ということになる。トレミーが失踪したのもミアが『イオ』と出会ったちょうどその頃。関係があるのは明らかだ。

 しかし、何故トレミーは極星の姫に星騎士を渡すという禁忌をおかしたのかは依然として謎だった。それに、ハリス曰くハストラングに殺されたのだとしたら、彼がミアの元に来られるはずがない。

「まあ姫様にしてみれば、理由なんて助けてもらったことだけで十分ですよね」

 オルフィが指しているのはついこの間のことーーあれはミアが星騎士を使って自分を取り戻しただけのことだ。わかっていたがミアは頷いた。

七年前の『イオ』がいなければ助けに行くことはできなかった。あの『イオ』が間接的にミアを救ったのは事実だ。

「でも、もう無理のようね」

『イオ』を譲ってくれたトレミー=ドミニオンはいない。忘れ形見である星騎士もいない。

「根拠は全くないのですが」

 オルフィは言葉を選ぶようにゆっくりと呟いた。

「僕はあの時の星騎士イオはドミニオン導師ではないかと考えています」

 外れ。あれはミアだ。トレミー=ドミニオンではない。とはいえ、天星宮設立以来の天才星読師と間違われるとは光栄だった。

「前触れもなく現れて、引っ掻き回すだけ引っ掻き回して去る。この無責任さ、いかにも彼らしいです」

「……悪かったわね」

 幸いなことにミアの呟きはオルフィの耳には入らなかった。内心で悪態をついて、ふとミアは思った。

「彼のことを知っているの?」

 現在十六、七のオルフィは、トレミー失踪時は十かそこら。人づてに聞いたにしては気安さがこもっていた。

「僕が正式に星読師になる直前にいなくなってしまいましたから、大して知っているわけではありませんが。忘れようとしても忘れられませんよ、あんな破天荒な人」

 ため息混じりにオルフィが語る『トレミー=ドミニオン』はミアが聞いてきたものとはまるで違った。

 百姓家の十一番目の息子として生まれた彼は、兄達から羊の世話を任される、傍目には平凡な少年だった。

 性格はやや気まぐれ。言われたことはそつなくこなす器用さを持つがどういうわけか乗馬だけは苦手だった。才能を見込んだ星読師の勧めを跳ね除けるという頑固な一面もあったという。

理由は「毛刈りに忙しくてそれどころではない」「馬に乗せられるのが嫌だ」だの色々。

 いずれにせよ、トレミーはライラ導師の度重なる勧誘に根負けした形で天星宮へ入った。

 周囲の後押しも多分にあったのだろう。極星の姫にこそ劣れど天星宮もまた王国には必要不可欠な重要機関。担い手である星読師にはそれ相応の地位と恩賞が与えられる。ただの百姓家には願ってもない好条件だ。

 期待を背にしてトレミーは天星宮の星読師になった。その実力は期待以上だったと言っていい。ベネの星読師で初の意思のある対象への憑依と傀儡に成功。その他にも多数の占星術を開発した。ミアやオルフィが多用する〈転移〉の占星術もトレミーが編み出したものだ。天星宮創設以来の天才と言わしめ、最年少の星導師にして星騎士となった。

 問題なのはその後だ。えてして天才は常人には御し難い。トレミー=ドミニオンもまたその部類に入ったのだ。

「先代の極星の姫が亡くなるのとほぼ同時に星導師を辞して故郷に引っ込みました」

 使命とはいえ、人一人を死に到らしめたのだ。ミアにすれば心に多少の傷は負っていただきたいというのが本音。しかしそこは天才、常人の理解の範疇を超える生き物である。

「かと思ったら、その一月後に行われた姫の祝福式に現れ、グレートコンジャクション〈大会合〉の予言を披露。混乱に乗じてまんまと星騎士の座に返り咲いたのです」

「え……」

絶句するミアにオルフィは「本当ですよ」と念押しした。

「母と私の二代に渡って星騎士を勤めていたのは知っていたのだけれど……適任者がいないからだとばかり」

 極星の姫一人に星騎士一人。何らかの理由で星騎士に選ばれた星読師が役目を離れた場合のみ交代があるが、逆はない。一人の星騎士が二代以上の姫を守護したのは後にも先にもトレミー=ドミニオンだけだろう。

 理由は明確だった。彼以上に〈憑依〉と〈傀儡〉に秀でた星読師がいなかったのだ。対象に自分の意識を乗せて五感のみならず感情までも共有するのが〈憑依〉。 しかし対象の手足を自分の意のままに動かすのは〈傀儡〉だ。星騎士を動かすにはこの二つの術を同時に使わなければならない。その難解さゆえに星騎士になれる星読師は限られていて、術発動の際には一定の儀式を要した。意思を持たない人造人間の身体に乗り移るために、だ。

 だが、トレミーは天才に相応しく、ここでも常人離れの精度を見せつけた。星騎士に乗り移るのにも儀式は不要。さらに意識のある生物にさえも心を宿し意のままに操るという史上初の快挙を成し遂げたのだ。すなわち、完全なる〈乗っ取り〉だ。

 トレミー=ドミニオン失踪において「人間の域を超えかねない才を恐れたマレに暗殺された」という説が横行するのも無理はない。

「星導師の地位はさすがに一度辞しているため与えらませんでした。名目上はライラ導師付の星読師として戻り、おかげで今度は『後進の育成』だと称して宮入したばかりの僕に……っ!」

 その苦労推してはかるべし。呼吸をするかのように占星術を繰り出すような天才が『わからない・できない者』の気持ちを理解できるはずもない。ミアがオルフィの立場ならばごめん被るところだ。

「『マレに敵う星読師を』と夢を描くのは結構ですが弟子に押し付けるにしても限度というものがあります」

 考えてみれば、オルフィの持つ宮は風、火といった攻撃系のものばかり。苦戦させられた〈星図隠し〉も戦闘を想定した占星術だ。そういうものしか教わらなかったのだろう。使命のためだけに作られ動かされる星騎士と何ら変わらない。

「トレミーといい、ベルといい、どうしてライラ導師の弟子にはまともな星読師がいないのです。まったく迷惑な」

 弟子の筆頭であるオルフィがぼやいてもどうしようもない。攻撃系占星術の才に特化した者ばかりを見境なく集めたら破綻もする。

「あまり、仲良くはなかったのね」

「僕はああいう軽々しい人は大嫌いです。兄弟子じゃなかったら絶対に近づかなかったでしょうね。一度天星宮を離れた人間がどの面さげて祝福式に顔を出したんだか。そして再び星騎士に任命されていながらまた消える。占星術の才能はあったかもしれませんが、星読師としては最低です。無責任にも程があります。軽蔑さえしていました」

 散々に罵るオルフィだが、声に一抹の寂しさがよぎる。

「でも、今になって思うんです。真っ先に動くような彼じゃなかったら、他の誰もマレに対抗しようとはしなかっただろう、と」

 途方に暮れたその横顔は置き去りにされた子供を彷彿とさせた。どこへいけばいいのか、自分が今どこにいるのかさえわからない。感情を持て余してどう処理すればいいのかわからない、子供だ。

「誰もーーライラ導師でさえも考えていませんでした。姫を護るためにマレと戦うなんて」

「当然よ。そこまでする義理はないもの」

 ミアは言うが、オルフィはまるで聞こえていないかのように立ち上がった。肩を落とすほどの盛大なため息を一つ。勢い込んでオルフィは振り返った。

「あなたはどうして、他人を突き放すんです?」

 思いもよらぬ問いに目は白黒。気圧されたミアはおずおずと否定した。

「突き放している、つもりはないの、だけど……」

「ようやくわかりました。どうしてこんなに気に障るのか。あの『イオ』も姫もドミニオン導師にそっくりです。他人を巻き込んでおいて、最後は自分一人でなんとかしようとする。肝心なことは全然言ってくださらない」

「だって、一緒に戦える人はいないーー」

 オルフィの手が空を切る。横道が描く外周。ミッドヘヴンを頂点に定めた球体は紛れもない彼のホロスコープ〈星図〉だった。

 マレの領域ではベネは力を失う。にもかかわらず、軌道に沿って旋回する〈星〉は皆、青白く輝いていた。

「僕だって、星騎士です。極星の姫が敵陣に無謀な特攻をするのを、指をくわえて見ているわけにはいきません。放って帰るなど言語道断です。奪われたのなら取り返さなければ。あなたが狙われているのなら、守らなくては」

 ミアは目を丸くした。ぎこちなく首が傾く。

「一緒に、戦ってくれるの?」

「そのつもりだと言っているじゃないですか」

「マレの領域内なのに?」

「そうですね。あまり長居はできません。星騎士を取り戻したらすみやかに撤退しましょう」

 ぶっきらぼうにオルフィは呟いた。

「当たり前です。あなたの騎士は誰だと思っているんですか」

 ミアは言葉を失った。安堵とも驚愕ともつかない感情が胸に迫る。それが歓喜であることに気づいたのは、オルフィが右手を差し出してきた時だった。

「参りましょう、極星の姫」

 望んではいけないのだと思っていた。自分は既に多くを与えられている。事実、歴代の姫と比べてもミアは別段酷い待遇ではなかった。必要最低限分はあった。

 それはすなわち、必要以上は望めなかったということにほかならない。

「……ごめんなさい」

「悪いと思っているなら最初からやらないでください。大騒ぎになるのを知ってて、それでも天星宮を飛び出したんでしょう?」

 言葉はつれないがオルフィの声音は普段よりも柔らかかった。

「だったら最後まで貫き通さなきゃ駄目じゃないですか」

ミアは頷いた。声が詰まって言葉にならなかった。返事と礼の代わりに差し出された手をしっかりと握る。イオ以外の誰かと手をつないだのはこれが初めてだった。ともすればミアの口元からは笑みがこぼれる。怪訝な顔をするオルフィ。

「思っていたよりもずっと素敵な星騎士に仕えられていたのだと、今さら気づいたの」

「遅いです。最初に攫われた時に気づいてほしかったですね」

「『イオ』には負けるけど」

 オルフィをからかいながらもミアはイオに会いたいと思った。誰よりも先に言いたい。王子様は相変わらずどこにいるのかわからないが、それでも悪くないと思えるこの気持ちを。

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