第10話 追っ手

 旅支度を終えてミアはベルと共に王都を出た。

 まずは南下して港町レチクルへ。その先にある赤海を渡ってネメシスへ行く。

攫われたミアを救いにネメシスへ向かった時、星騎士イオは疲れない人造人間の身体を最大限に利用して三日間ひたすら泳いだ。しかし、ミアが同じことをしようものなら三分も待たずして海に沈むだろう。

 赤海を渡る方法は道すがら考えるとして、とにかくレチクルへ。

「ところで姫様、その大きな荷物は一体なんです?」

 ベルが指差したのはミアが背負った荷だった。エヴァにも手伝ってもらって必要な物だけを用意したつもりなのだが、どうしてもベルの荷物よりも多くなってしまった。

「かさばりませんか?」

ミアは曖昧に微笑んで誤魔化した。エヴァが持たせたのは包み一つだけではない。着替え、銅貨、通行証、日持ちのする菓子ーーそして、イオの腕だ。

 侍従長とはいえ天星宮に所属していないエヴァがどうして、ケイルが預かっているはずのイオの右腕を持ち出せたのか。訊ねれば「差し入れついでに拝借いたしました」との呆気ない返答。ミアの母ニアンナが極星の姫だった頃からの縁を考えれば、不可能なことではなかった。ケイルの管理体制に問題がないとは言い難いが。

 そんなエヴァの協力もあって今のところは困ることなく、森の中を歩いている。

 馬車に乗るわけでも街道を使うわけでもなく、うっそうと生い茂る木々の合間を徒歩で進んでいた。

 旅慣れない者が整備されていない獣道を歩く困難さはわかっているが、森を突っ切った方が近道なのだ。街道を歩けば二、三の町を経由しなければ辿り着けないラナという町まで、森を抜ければ一日もかからない。追手も歩きやすい街道を通ると思っているはず。意表をつけばその分遠くまで行ける、とミアは考えた。

 しかし、森に入ってしばらく進んだ時点で、ミアは人の気配を察知した。

「道に迷われましたか?」

 ベルの問いにミアは首を横に振った。磁場のせいで方位磁針が使えない旅人泣かせの森も星読師には通用しない。昼は太陽、夜は星。いざとなったらホロスコープを起動させればいい。単純に南を示すことぐらい朝飯前だった。

 ミアが足を止めたのは迷っているからではない。あらじめ発動させておいた三等級占星術〈探索〉の範囲内に人が足を踏み入れたからだ。精度を高めれば相手の種族や体格・状況から動きまでも把握できるらしいが、ミアはせいぜい一定の範囲内に誰かが入ったかを察知する程度。それで十分役立っていた。

 誰かにあとをつけられている。

 効果範囲はあえて狭くしているから、結構近くまで来ていると推察できた。でも反応は一人だ。早くも極星の姫の不在が王宮の知るところとなり、慌てて捜索を命じた。本来は人探しや争いごととは無縁の星読師を駆り出すだけの時間はまだないから、ひとまず放った追手ーーそんなところだろう。

「追いついてきたみたい」

「もう? 早いですね」

 相手は占星術も使えない普通の人間だ。兵士としての訓練を受けた者かもしれないが、こうやすやすと察知されてしまうようでは占星術に対する警戒心がなさ過ぎる。

「追手が一人なら、倒しておきましょうか。背後から攻撃されてはかないません」

 動じることなくベルが作戦を考案した。追われるのは最初から覚悟している。

 ベルは正式な外出許可を得て天星宮を後にした。彼女がミアに同行していることまで王宮はまだ把握していないはず。一人でいると思い込んでいる追手にわざとミアに追い付かせ、捕らえようとした瞬間に潜んでいたベルが迎撃する。単純だが不意打ちは有効な手段だ。

 ミアは賛成し、程良く開けた場所に出ると手前側で座り込んだ。休憩しているように見せかけるためだ。ベルは奥の茂みに潜み、いつでも占星術が発動できるよう構えておく。

 待つこと数分。はたして予想通り追手はすぐにやってきた。星読師ではない。軽装ではあるが防具を身につけ剣を携えている。そして一人ーー全く想定内だった。

 しかし、ミアを見つけた兵士がいきなり剣を抜き放ったのは想定外だった。

 剣を振りかざして襲いかかる追手ーーもとい討手。最初から殺す気満々だ。足が竦んで動けなくなったミアに躊躇いもなく刃を振り下ろす。が、両者の間に割って入った光玉が刃を受けて弾けた。数歩たたらを踏んだその隙にミアの占星術が発動。突風に吹き飛ばされ、大木に身体を激突させた兵士は昏倒した。偽物のイオと同じように、ぴくりとも動かない。

「あ、ど……どうしよう」

 ミアは救いを求めるようにベルの方を向いた。

「怪我、させちゃった」

「あのですね。姫様、向こうは私達を殺すつもりで剣を振り上げてきたんですよ? 返り討ちにされたのに怪我で済んで感謝こそすれ、恨まれる道理はありません」

 ベルは厳しく言った後で、小さく身震いした。

「それよりも気になるのは、最初から殺す気でいたことです。てっきり連れ戻されるとばかり思っていたのにーー陛下のご命令とは思えません」

 捕らえるのと殺すのとではまるで違う。精神的負担を加味しなければ、やる側にとって楽なのは後者だ。遠慮なく占星術を放てるし、今のように剣を振りおろせる。

 なるべく早く討手と距離を開けるべき。ベルはそう判断を下した。

「でも、」

「他人の心配をしていてはネメシスにたどり着くこともできませんよ。さ、早く行きましょう」

 ベルに促され、ミアは足を踏み出しかける。が、きびすを返して倒れた討手に近付いた。

「姫様?」

 意識を失っているのもあるが討手は想像よりも若く見えた。自分よりは年上だが、二十代にさしかかった頃か。顔に覚えはなかった。

 呼吸はあった。気絶しているだけで頭にも怪我はない。ひとまず安堵する。手持ち無沙汰のベルは自身の首のチョーカーに触れた。

「どうかなさいましたか?」

「ごめんなさい。先を急ぎましょう」

 ミアは小走りでベルの元へーー行こうとした。はたと、その足が止まる。

「姫様、いい加減に、」

 何かが、くる。

 ミアはホロスコープを起動した。星の配置を変え、高速で周囲に結界を展開。効果の持続性は最初から捨てていた。いかに早く結界を張ることかが重要だった。

 範囲内にベルが入るのと、頭上で赤い閃光が弾けたのはほぼ同時だった。

「きゃあっ!」

 防ぎ切れなかった衝撃にベルはよろめいた。川を挟んで向かいの茂みから影が飛び出す。ミアは結界を解除した。星置変換再び。標的に向けて手をかざす。

 放たれた光は狙い違わず黒い影を貫いた。くぐもった声をあげて河辺に倒れる。

 ミアはおののき震えた。

「な、なに、今の」

「いや、そんなあっさりとお倒しになってから『何』とおっしゃられても」

 困惑気味にベルが呟く。

 呆気なくと倒されたものを、ミアは新たな討っ手かと思った。仲間が昏倒したのを見て、奇襲を仕掛けてきたのだと。実際、それはやや大柄ではあったが人となんら変わらない姿をしていた。意識も失っているようだし、平生ならそのまま場を離れただろう。その頭に、ヤギを彷彿とさせる角さえ生えていなければ。

「……マレ」

 絶句するベルの前で、ヤギ角の男は起き上がった。その生命力に驚く暇もなく男は跳躍一つで川を越え、動けずにいたベルを捕らえた。

「ベルっ」

「動クナ」

 男が制す。掠れた声、ぎこちない発音がまた不気味だった。

「コノ女ノ命ガ惜シクバ、星図ヲ解除シロ」

「ひ、姫様、いけません」

 気丈にもベルは止めるが、見捨てるわけにもいかなかった。広げたホロスコープを前に躊躇していると、不意にヤギ角の男は目を輝かせた。

「オオ! あとらす、オ前モ来タカ」

 ミアは振り向いた。ヤギ角の男に気を取られていた間に、今度は黒髪の男が現れた。長身かつ細身の男だった。ざんばら髪に鋭角的で彫りの深い顔立ちは、美男子の部類に入るだろう。こちらは角もなく、町中で見かけても違和感がない。

 とはいえ、ヤギ角の男の口ぶりからして、このアトラスという男もマレとみて間違いはない。一対二。しかもこちらは人質を取られている。明らかに不利だった。

「ヨクゾ此処マデ辿リ着イタ」

 アトラスはおもむろにミア達の方へ歩み寄った。その顔からは何の感情も伺えなかった。わからないからこそ、ヤギ角の男よりも怖かった。

「シカシ一足遅カッタナ。極星ハ、はりす様ノガ、ガガガァッ!」

 喜悦の声は悲鳴に変わる。ヤギ角の男はベルを放り出し、後ろに大きくのけぞった。その胸元から生えているのは杭のようなーーいや、ミアは目を凝らした。尖っているのは爪。男の身を貫いているのは人の腕ほどの大きさを持つ黒い指だった。形状も人間の指とはまるで違い、ごつごつと筋張っている。その鋭く長い爪の先端から赤黒い血が滴り落ちた。

 男は目を剥いて、アトラスと自身の胸を交互に見る。口をはくはくと動かすが声にもならなかった。

 異形の指が消え、支えを失った男の身体が崩れ落ちる。

「……ナ、ゼ」

 いまわの問いに、アトラスは答えなかった。いつの間にか起動していた星図を、無造作に消す。占星術の使い手だ。先程の魔手と思しき爪も、マレの占星術なのだろう。

 ミアは後ずさった。敵の数は減り、人質も解放された。にもかかわらず、状況が悪化しているような気がしてならなかった。

「それで、腹は括ったのか」

 アトラスはこちらの緊張などまるで気づいていないかのように、ごく自然に訊ねた。

「はら?」

「覚悟を決めたかと訊いている。もうその段階だと思うんだがな」

「かくご?」

 馬鹿みたいにオウム返ししかできないミアに、アトラスは微かに眉をひそめた。

「まさか記憶がないのか。そんな話は聞いたことねえが」

 頭の中で警鐘が鳴り響く。この男の正体も目的もわからないが、とにかく自分が窮地に追い込まれていることだけは察した。見透かしたような眼差しも、刀身こそ見せないが切れる刃を感じさせる態度も、何もかもが恐怖をあおる。しかし逃げ出したい衝動に反して、足が竦んで動かなかった。

「俺の名はアトラス。そこに転がってる奴と同じマレだ。そしてーー」

「大将ー」

 呑気な声と共に茂みから飛び出してきたのは、一抱えほどの大きさのカボチャだった。ミアを視界に入れるなり嬉しそうに飛び跳ねる。

「あ、いたいたー」

「喜ぶ前に挨拶しろ」

「こんにちはー」

 友好的な挨拶をするカボチャ。ミアは目を見開いた。カボチャが、動いている。喋っている。しかもやたらと陽気で親しげだ。

「知ってると思うけど、ジャックと言います。よろーしくーねー」

 軽快に跳ねながらカボチャは近づいてくる。ミアは半歩後ずさった。

「ん?」

「ひっ……」

 小さく悲鳴を上げて、ミアはベルの背後に隠れる。

「どういうことー?」

 訝しむカボチャ。その主人たるアトラスは、ミアを無言で観察。やおら腕を組み、淡々と言った。

「非常に信じがたいが、何事にも例外はある。そいうことだ」

「意味がよくわからないよー」

「端的に言えば、お前を恐れている」

「……え?」

「詳しく言えば、ポムポム跳ねて喋るだけの愉快なカボチャに、極星の姫君は怯えていらっしゃる」

「なんと!」

 何やら衝撃を受けたカボチャはよろめいた。

「僕が、怖い……?」

 小さく呟いたかと思うと、ほどなくして、くぐもった笑い声をあげる。ジャックはさらに積極性を増して近づいてきた。ポムポムと。

「ほーらほーら、怖いぞー、ジャックだぞー」

「ちょっ……こ、来ないでっ」

 ミアは脱兎のごとく逃げ出した。執拗に追いかけるジャック。

 平生ならば、おとぎ話に出てくるようなカボチャはミアの興味をいたくひいただろう。しかし、星騎士イオもいない今のミアには好奇心よりも恐怖が上回った。何故カボチャが動く。何故カボチャが喋る。そして何故追いかけてくるのか。

「ジャック」

 しばらく静観していたアトラスがカボチャの名を呼ぶ。張り上げたわけでもない声にしかし、ジャックは顕著に反応を示した。

 即座に静止。アトラスに向き直る。

「はい、大将!」

「引っ込んでろ」

 抑揚なく告げられた言葉はあまりにも無情だった。ジャックは「がびーん」と間の抜けた悲鳴をあげて硬直した。

「逃げるほどのことか? いつになく臆病な姫だな」

「姫様は臆病なんかじゃありません」

 凛然と否定したのはベルだった。

「ただ気が弱くて人見知りなだけです」

「それって臆病って言わないかなー」

「……うっ」

 ジャックの指摘に、ベルは返答に詰まった。そのことにミアは傷ついた。

「ベル……」

「すみません、姫様。的を射ているので、弁解のしようが」

 あんたもそう思っていたのか。垣間見たベルの本音にますますミアは傷ついた。わかってはいたことだった。極星の姫に最も必要な高潔さが、自分には欠けている。

 伝説では典型的な囚われのお姫様に過ぎない極星の姫だが、実際は相当な覚悟を要するものだ。極星を抱く者として普段はもとより、万が一マレに捕まった時は何よりもまず極星を第一に考えなくてはならない。のん気に眠って助けを待つような真似はしない。マレの手に極星を渡すくらいなら死を選ぶ。歴代の姫はそうして極星を守ってきたのだ。その清廉たる潔さゆえに、極星を抱く姫は称えられてきたのだ。

 それに引き換え自分は、五日間もマレに囚われていたにもかかわらず生き長らえ、星騎士に助けられ、おめおめと生還している。当代のイオが最も偉大な星騎士ならば、ミアは最も恥ずべき極星の姫だ。

(またマレに囚われるようなことがあったら)

 果たして自分は潔く死を選べるのだろうか。囚われる前だったなら肯定できたが、今は答えられなかった。

「やーい、弱虫ー」

「虫ではありません! なんて失礼なマレなの、信じられません」

 自分のことのように怒ってくれるのは嬉しいが、そんなベルでも『弱』の部分は否定してくれない。些細なことにさえミアは泣きそうになった。反論できない自分がまた情けない。極星も極星だ。もっと勇敢で相応しい人を姫に選べばいいものを。物心ついた時から思っていたことが今になっても頭を離れない。

 どうして、自分なのだろう。

「ジャック、三度目はないと思え。俺は引っ込めと言った」

 動きを止めるカボチャ。そそくさとアトラスの足元に退却し、縮こまる。その隙にミアは展開させたままだったホロスコープを操作した。

「アトラス、と言いましたね?」迷いながらベルは確認した「まさか、あの……?」

「どのアトラスだ。覚えがあり過ぎて答えようがない」

 面白がるような不敵な笑み。しかし冷徹さを隠そうともしない眼はミアへと向けられる。それが限界だった。ミアはベルの袖を掴み、占星術を発動させた。

「あ、逃げるよ!」

 カボチャが警告するがもう遅い。視界が霞む。〈転移〉の瞬間は何度やっても慣れない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る