第4話 星騎士の脱走
物心ついた時からこの敷地内で育ったイオは数多くの抜け道を知っていた。レイリスの裏にある水路もまた、その一つだった。
存在自体を知る者がいなさそうな、ほぼ涸れていて役目を果たしていない水路には、それでも人が出入りできないよう鉄格子が掛けられていた。しかし、雨風により腐食が進んだ鉄は錆びていて、少しひねっただけで簡単に外れてしまう。イオは水路を通って、まんまと天星宮から抜け出した。
壁をくぐり抜けてしばらく進むと、金棒が等間隔に刺さっている場所に到達する。王宮の敷地全体を一周するように打ちつけられた金棒は、結界を張るために必要不可欠なものだった。マレ〈凶〉の者は結界に弾かれ、金棒を抜こうとしたりすればすぐさま天星宮が感知し侵入がバレてしまう。全ては極星の姫をマレの手に渡すまいとする技術だった。
結界の外に出る瞬間はいつも緊張する。それは、星騎士である今でも同じことだった。
天星宮では王宮外を下界と呼び、マレを筆頭とする穢れたものが入り混じった地としている。遠征から帰ってきたイオがまず身を清めさせられたのも、下界の穢れを祓うためだ。教えを受けてきた星読師は大抵下界、すなわち結界の外へは出たがらなかった。城下町に強い関心を持つイオでさえもこうして境界線を前にすると後込みしてしまう。
しかし、いつまでもここで立ち往生しているわけにもいかない。イオは意を決して一歩を踏み出した。
そしてこれもまたいつもと同じなのだが、思っていたより、足は簡単に動いた。
イオは川沿いに歩いた。王宮のある上手から流れる川は、下流へゆくにつれて淀みを増す。それはとりもなおさずその位置に住む人々の身分を示しているのだが、ここはまだ美しかった。立ち並ぶ建物も比較的大きく、至る所に凝った装飾がなされている。貴族街と呼ばれる所以だ。
イオ個人としては計算尽くされて成り立つ貴族街よりも、雑多な市民街の方が興味深く、歩いていても楽しいのだか、今日は出かけるのが遅かったせいで時間があまりなかった。市民街まで足を運んでいたら夜になってしまうだろう。勝手に外出したとはいえ、ケイルを心配させないだけの分別は持ち合わせていた。
結局、城から大して遠くもない大橋の手前で足を止める。川をまたぐ石造りの橋は大きさと頑強な構造に反して、人の行き来が全くなかった。王室専用の橋だから当然と言えば当然なのだが。
貴族街の象徴とも言うべき中央広場の噴水。その縁に腰掛け、イオは王都の空を見上げた。雲一つない快晴。今夜は星読みにもいい空になりそうだ。
(マレの空は暗かったな)
ネメシスはいつも曇天だった。夜も、海底で赤々と輝くマレフィック〈凶星〉が空の星を圧倒し、星読みどころではなかった覚えがある。
わずか二日前のことなのに、遠く昔のことのように思えた。『イオ』になってから目まぐるしかったせいもある。目覚めるなり天星宮に極星の姫がマレの手に落ちたことを告げ、国王と始めとする王宮と天星宮の制止を振り切ってネメシスに突撃。三日三晩歩き続けてようやくたどり着いた城で〈不死の大公〉ハストラングと死闘を繰り広げて勝利をおさめた。そしてミアを担いで帰還。終わってしまえばあっけなかった。
しかし、奇跡的に取り戻したとはいえ、マレに攫われたミアの警護はますます強固なものとなるだろう。今はまだ帰還に喜び浮かれているが、落ち着いたら離宮のさらに奥深くに閉じ込められ、外に出ることすらかなわなくなる。
(俺は一体、何のために帰ったのだろう)
マレもベネも、極星の姫を閉じ込る場所が違うだけで同じような気がする。イオはため息をついた。
視界の端に橙色がよぎったのは、そんな時だった。イオは目を凝らした。広場から路地に入る所、ちょうど死角となる場所に丸いものが何やら動いていた。
「……かぼちゃ?」
遠目にもわかる鮮やかな橙色。頭についた黒っぽいものはおそらくヘタだろう。子犬程の大きさのカボチャは、看板などの物影に隠れながら城の方へと、てむてむと跳ねつつ向かう。それはそれは微笑ましい姿だった。あのカボチャはおそらくマレだけれども。
珍しい、とイオは単純に思った。マレフィック〈凶星〉の影響で、ネメシスに生きるものは異常な進化を遂げたものが多い。あのカボチャもそうだろう。ベネフィック〈吉星〉の地では明らかに異質な存在故、マレはネメシスか、山や森の奥深くといった人のいない場所で生息する。そのマレが王都にいて、ましてや敵対する天星宮に近づくなんて。
そんなことを考えながらぼんやりとメルヘンな光景を眺めていたら、どこからともなく飛来した光球がカボチャを直撃。破砕音と共に光が弾け、衝撃にカボチャは大橋の方へ吹っ飛ばされた。
「なっ……」
絶句するイオの前で、ぽてむ、と力無く倒れるカボチャ。夢見る子供が目撃したら卒倒しかねない惨劇だ。
イオは駆け寄った。が、それよりも先に少年がカボチャに近づき、ヘタを無造作に掴んで持ち上げた。ぞんざいな扱いだった。
「おい、いくらなんでもやり過ぎだろ」
弾かれたように彼は振り返った。右腕に大きなカボチャを抱えた少年は見知った顔だった。イオはポカンと口をあけた。
「……あれ?」
小柄な少年だった。ミアと同じく今年で十六になると聞いていたが、中性的な顔と相まって実年齢よりも幼く見える。白地に縁を青であしらった星読師の礼装を一分の隙もなく着こなしていた。正直言って、取っつきやすさは、ない。
(しかし、何故こんな所に……?)
治安がいいとはいえ、天星宮の外であることには変わりない。許可がなければ外出すらできないはずなのだが。
向こうもそれは同じらしく互いに見つめ合ったまま、しばらく硬直した。が、相手――オルフィが先に平生を取り戻す。
「おや、奇遇ですね。こんなところで星騎士様にお目にかかるとは」
侮りと皮肉が多分に込められた返答。それも無理からぬことだった。
オルフィ=ヴィレ。若干十六歳にして『ドミニオンの再来』『次期星導師』と名高い優秀な星読師だ。当然ながらミアの星騎士も、このオルフィがなるーーはずだった。
極星の姫が誘拐されたことをいち早く察知したイオが、先に星騎士の身体に乗り移りネメシスに乗り込んだりしなければ。
イオは騎士の礼を取った。
「オルフィ様におかれましてはご機嫌麗し」
「長々しい口上は時間の無駄です。僕の質問に答えてください。アイリスにいるはずの星騎士が何故こんなところにいるのです?」
取り付く島もないとはこのことだ。イオは返答に窮した。これで退屈しのぎに散歩を、と正直に答えようものなら激昂されかねない。非常に面倒なことだった。
「星騎士は天星宮管理下、ひいては王国の宝。使命が終わり次第、すみやかに返却し、王宮から立ち去るべきでは?」
「恐れながらオルフィ様」
やんわりとイオは反論した。
「国王陛下のご命令により、明日の晩餐会に出席することになりまして」
「自分の身体で行けばいいことです」
切り捨てるように、オルフィは言った。こちらの気も全く知らずに。
「だいたい、いくら功績をおさめたとはいえ、素性の知れない輩にいつまでも星騎士を使わせるのはいかがなものでしょうか。陛下のご厚意にあぐらをかいた非常識な行動です」
イオを恨みたくなる気持ちはわからなくもない。自分が研鑽を重ねてようやく手にした役を、パッと出のイオに突如として奪われてしまったのだから。いい物笑いの種だ。
しかし、だ。黙って僻みを聞いてやる義理はなかった。イオはにっこりと微笑んだ。
「陛下が私を優遇してくださるのはおそらく、極星の姫が攫われてもお気づきにならない星読師がいらっしゃるせいかと」
オルフィのただでさえ青白い顔が色を失う。
「よくも、そんな……っ!」
唇を戦慄かせるが、構うものか。
ヘマをすれば笑われるかわりに、オルフィがおさめた功績や名誉は彼自身のものになる。訳あって正体を明かせないイオには決して得られないものだった。羨ましいとは思わない。だから、悪いとも思わなかった。お互い様だ。
オルフィは右手で空を切った。その動作に合わせて光が線を描き球体──ホロスコープ〈星図〉を作り出す。
イオは笑みを引っ込めて、剣の柄に手をかけた。
「むやみやたらに占星術を使うのは感心できないな」
占星術は天上国時代から伝わる星を用いた超常能力だ。天の星の動きより運命を知る予言から、人が生まれながらに抱く星々の占星点を一時的に変更することによって様々な現象を呼び起こす直接的なものまで、その規模と効果は多岐に渡る。が、いずれにしてもおいそれと使ってよい力ではない。
にもかかわらず今、オルフィが行おうとしているのは後者──イオに対して何かを発動させるつもりだ。
「あなたの許可は必要としていません」
口調こそ丁寧だがやっていることは、いきなり剣を抜いて突きつけるのとなんら変わりない。
ならばイオとて容赦はするまい。ホロスコープを起動。黄道を外周、ミッドヘヴンを頂点に、球体が手のひらに浮かぶ。その中で小さな星々がそれぞれの軌道に沿って旋回していた。
「そう言うあなたこそ、ホロスコープを起動させて何をするつもりです?」
「正当防衛、かな。黙ってやられるわけにもいかない」
「戦うつもりがないような素振りを見せながらも、いざことが起きれば真っ先に構える。傍観者を装いながらも土壇場で競い合いに乱入し、勝利を掠めとる。それでよく星騎士を名乗れますね」
たしかに正々堂々はしていなかった。星騎士に至っては、横からかっさらったと言っても過言ではない。
「真っ向から戦ったら、勝負にならないと思うけどな」
「どういう意味です?」
揶揄するような笑みを浮かべるオルフィに、至極真面目な顔でイオは言った。
「俺、強いよ」
虚を突かれたオルフィは間の抜けた表情になる。次いで真意を探るようにイオをまじまじと見つめた。
「……呆れて言葉も出ませんね」
その割にはしっかりと呪文を唱えて星置変換。オルフィのホロスコープに幾何学的な紋様が描かれる。攻撃系占星術発動。傾けたイオの頬を赤い光が掠める。一条の光線は直進し、外壁を穿った。
「器物破損だぞ。あとでちゃんと謝罪して弁償しろ」
指摘しつつ、イオもまた自身のホロスコープを操作した。規則正しく回る星を対応するサイン〈宮〉に移すことにより、足の筋力とそれを司る神経を強化。
イオに限らず星騎士が得意とするのは自身を回復させたり、身体機能を強化する術だ。人造人間ならば急激な活性化により肉体にかかる負担を考える必要がない。
態勢を整えたのと、オルフィが次の占星術を発動させたのはほぼ同時だった。イオはオルフィ目掛けて突撃した。生み出された無数の光球がそれぞれ軌道をかえて襲いかかる。その全てをイオの目は捉えていた。強化した足が織りなす体捌きで光球を避け、あるいは弾いて前へと進む。
「くっ」
オルフィに焦りの色が浮かぶ。迫るイオを迎え撃つべく星を移動させ、とりあえず邪魔なカボチャを放り投げた。川に向かって。
「おい」
あまりの暴挙に、イオはオルフィの眼前で足を止めた。
「所詮、下級のマレです。捨て置いて問題はないでしょう」
悪びれもせずにオルフィは言う。しかし問題はマレを放置することではない。いくらマレでも投げるなよ。
「物じゃないんだから」
イオはカボチャの行方を追った。滞空時間がやけに長いのはオルフィがご丁寧にも占星術で風でも起こしたからだろう。
「あーれぇー」
空高く放られたカボチャがか細い悲鳴をあげた──ように聞こえた。考えるより先に体が動く。イオは地を蹴った。川を渡る跳躍。放物線を描いて落下する間際のカボチャを片手で受け止め、抱え込んで橋の手すりに着地した。
「無茶をする」
振り向いたら、当の本人はきびすを返して城の方へと戻っていた。街中でこれ以上騒ぎを起こす気はないようだ。何よりも門限がある。優等生はどこまでも生真面目だった。
「大丈夫か?」
ひとまず脅威が去り、改めてイオは腕の中のカボチャに問う。手すりから降りて橋のど真ん中。カボチャはくりぬかれた目を大きく見開いた。
「あわわわわーっ!」
一際大きく飛び上がる。橋に着地するなり、警戒を露わに後退り。しゃがんで目の高さを近づけたイオを前に半ば恐慌状態となる。
「せ、星騎士っ! どうしてこんなところに」
「へえ、喋るのか」
イオは目を輝かせて、手を伸ばした。硬直したカボチャのヘタの部分を撫でてみる。見た目よりは固くて、艶やかな手触り。
「触るなー」
「悪い、もう触ってる。中は空洞なんだな」
「覗くなー」
「遅いよ。覗く前に言ってほしいな」
むむむ、と困り顔で唸るカボチャは、やがて観念したのかされるがままになる。
「俺はイオと言うんだが。君、名前は?」
「ジャック」
と言った声は低かった。おまけに別の方向からだった。イオは立ち上がった。その足元でカボチャが跳ねる。
「大将ー、見つけたよー」
「見つけてもらったの間違いだろ」
冷たく指摘したのは、見覚えのある男だった。ざんばらな黒髪。イオよりも頭一つ分は高い長身痩躯は、一見すると夕日の陰に消えてしまいそうな頼りない印象を与えかねないが、彼のまとう鋭い雰囲気がそれを払拭して余りある。かと思えば、どことなく気だるげで、掴みどころのない男だった。
「君は……」
「よう、救星の英雄。ちやほやされんのにも飽きてきた頃か?」
男は数日前と変わらず平然とイオの前に姿を現した。忘れるはずもない。ミアが閉じ込められていた部屋にいたマレだ。口元に笑みはなく、視線には醒めた意思がある。
「どうやって天星宮に忍び込もうかと考えていたんだが、そっちから出向いてくれるとは好都合だ」
「俺に何か用でも?」
「ああ。提案がある。お互いにそう悪くもねえ話だ」
夕焼けが生み出す陰影により、整った鼻梁に凄みが増す。男は片頬を歪めて笑った。
「俺達と手を組まないか。今度こそ〈不死の大公〉を潰す」
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