第210話 責任の取り方

 仕事以外でどんなに疲れていても、仕事はこなさなければならない。今日は疲れているから休むと一言言った代償が信用の大暴落。

 雲霧と決着を付けてアパートにとんぼ返りして装備を新調してジャンヌと合流して辿り着いたのは警察病院の一室。窓一つ無く音楽室のように防音になっている壁、光も音も遮断され隔離した部屋の真ん中にベットに括り付けられ呻き声を上げる患者がいた。

 彼の名は大野 修。渡された資料によれば波柴の馬鹿息子の取り巻きの一人である。取り巻きの中において参謀的存在らしく彼等が行った悪事の計画立案は此奴が仕切っていたらしい。寧ろ波柴の馬鹿息子「波柴 頼」は利用されただけの馬鹿殿で此奴こそ主犯かもしれない。

 事情聴取するなら全てを把握している奴に聞いた方がスムーズに進むというわけで、 俺は昨日電話で鈴音さんに連絡を取り秘密裏にこの部屋に移送して貰っていた。こんな頼みを聞いて貰えるのも信用あればこそ。

 亡者のように呻き続ける大野からは何かの情報を聞き出せそうに無い。この事件の鍵を握る被害者全てがこんな状態のため、状況が聞ければ直ぐに終わるような単純明快な事件が迷宮入りし掛けた。

 俺もそんな事件をバトンタッチされたが、珍しく運が向いた。俺は俺にとっての幸運の女神にお願いする。

「ジャンヌ頼む」

「分かったわ」

 ジャンヌは迷いを振り払うように顔を左右に振ると前に出る。ジャンヌには此奴等が行ってきた悪事について教えてある。聖女と呼ばれていても悪人にすら慈愛を注ぐとまではいってないようだ。

 ちっ好感が持ててしまう。真性の聖女だったら利用することに躊躇いなくいけたのに。

 前に出たジャンヌはいつもの体に密着するライダースーツでも聖女としての正装でもなく、そこいらの量販店で取り揃えたような白のYシャツの上から青のジャケットとズボンと垢抜けない女性なら埋没してしまいそうなリクエスト通りの目立たない組み合わせ。なのになぜかジャンヌが着ると気品が溢れるのか、どうしても目を引いてしまう。合流してからこの部屋に来るまですれ違う男は一度は振り返ってくる始末。

 幸いサングラスをしているから聖女であることはばれてないと思いたいが、目立つことには変わりなく捜査に向かないことに変わりない。もう顔も体もすっぽり隠れるような服を着せるしかないような気もするが、それはそれで怪しく悪目立ちする気がする。

 輝く宝石を宝石箱にしまえばそこに宝があると教えてしまう。

 もうどうすればジャンヌを目立たなく出来るかなど考えるだけ無駄な気がしてきたことろで歌が響いてきた。

 優しく澄んだソプラノのようであり力強いテノールのようでもある中性的な声、まさしく天使の声に相応しい声が部屋に響き満ちてくる。

 音声を奏でる楽器、言葉では無い美しい旋律を紡ぐ美しい音声が流れていき追い出される前人類が居たというエデンを郷愁させる。

 心がどうしようもなく懐かしく、母の元に戻ったような安らぎを感じる。

 ずっとこの旋律に包まれていられるのなら金も権力も下らないことと感じだした頃に歌声は止んだ。


「うっううううう、ここは?」

 頬がげっそりと痩けたままだが、悪夢に魘されていた頃が餓鬼のようななら今は断食をした僧侶のような顔で起き上がった。

「おはよう、悪夢から解放された気分はどうだ?」

 ジャンヌを後ろに隠すように下げて、俺はベットに横たわる大野を見下ろす。

「お前は誰だ?」

 起きた頃は悪意が抜けたようだったのに起きて血色が戻るにつれ顔に悪意が循環していく。

 それでこそ俺も遠慮無く対応出来る。

「おいおい貴方様だろ。

 悪夢から解放してやった恩人に対して無礼だぞ」

「解放?」

 演技か本当に記憶にないのか、どちらにしろ自覚はして貰う。

「ちっまだ惚けてるのか。これでも見て目を覚ませ」

 俺は大野の上半身の拘束を解いてやると用意しておいたモニターのスイッチを入れて、此奴のお仲間がいる病室を映し出す映像を見せてやる。

「はっ波柴!?

 おっ俺は・・・うげえええええええええ」

 起き上がった大野は直ぐさまその場で蹲って胃液を吐き出した。

 相変わらず悪夢に魘され地獄を彷徨う亡者のようになって呻く波柴達の姿に、恩知らずの大野君は自分も同じ目に合っていたことを思いだしてくれたようだ。

「思い出してくれたようだな。

 元に戻りたくなければ何があったが全て話せ」

 タオル一つ差し出さず嘔吐く大野が一段落したところで威圧的に命令する。こんな奴らに情けは仇になる、容赦なく徹底的に追い詰めていく。

「ぐっ」

 これで慌てて食い付かない当たり、用心深いのかよっぽど後ろめたいことをしてきたのか。

 やはり加減してやる相手じゃ無い。

「おやおや~黙りですか。俺には分からないがよっぽどあの状態に戻りたいみたいだな」

 俺はモニターを見ながら告げる。

「波柴の親父さんに連絡を取らせてくれ」

 ここで波柴の名を出すか。

「断る」

「お前警察だろ、そんな人権無視が許されると思っているのか」

「お前に人権は無い」

「聞いた聞いたぞ、言質は取ったからな。このことを俺がネットで流したりすればお前終わりだぞ。俺と大して年が変わらなそうなお前なんぞ、どうせ下っ端だろ。下っ端が正義感なんか出して粋がりやがって。

 職を失いたくなかったら大人しく波柴の親父さんを呼んでこい」

 病み上がりとは思えないほどの漲る悪意は褒めてやるが。

「お前馬鹿か」

 この状況下で下手に出て味方を作るより上に出て敵ばかり作ろうとする精神が分からない。

「はあ!?」

「こんな窓一つ無い部屋に隔離されているお前がどうやってSNSで拡散するんだよ。電話すら出来ないんだぞ」

「お前こそ馬鹿かこの部屋から一歩出ればどうとでもなる」

「出して貰えると思ってるのか?」

「はあ、監禁なんて民主主義国家の日本で許されるわけ無いだろ、警察にそんな権利は無い」

 ルールを平気で破る奴ほど権利は主張する。クズが。

 悪いが退魔官たる俺にはある。監禁どころか拷問もOK。だが今はそんなぶっ飛んだことをいっても信じてくれないだろうな。

 だから俺はまっとうに反論する。

「別にお前をここから一歩も出さなければ、誰もお前がここに居ることは分からない。

 何が問題になるんだ?」

「ハッタリだな。ここは病院か何かだろ、俺がこの部屋に運ばれたことを他の誰も知らない事なんてあるわけがない」

 感心するほど反論がぽんぽんと出る、やはり頭は小賢しく切れるようだな。やはり俺の目は間違ってなかったと確信出来る。此奴を落とせば事情が全部分かる。いちいち此奴等を解放する手間が省けて、大変結構。

「そうかもな」

「認めたなっ」

「ならお前を元に戻せばいい」

「へあ?」

 勝利に沸き立とうとした顔が崩れる。

「お前がここに運び込まれたことを知っている奴はいても、お前がここで直ったことを知っているのは、俺と忠実な部下の後ろの女だけだ」

「何を言っている?」

「代わりは幾らでも居るしな」

 俺はモニターをサムズアップで指差し、その意味を悟った大野が慌てて取りなそうとしてくる。

「ちょっちょと待て、司法取引だ。

 しゃべるしゃべるから、罪に問わないと約束してくれ」

 まだ足掻くか。

 実際問題ジャンヌに魔を解くことは出来ても魔を再現することは出来ない。調子に乗ってブレーキの掛け時を間違えれば俺が折れるしか無くなる、チキンレース。

 別に此奴の悪を裁くことに俺は興味ない、俺の獲物はあくまで此奴にこんな目に合わせた相手。

 此奴はここで見逃したところで、またいずれ報いを受けるだろ。魚の餌でも山の養分でも好きになれ。

 悪は報いを受けると言うが、何も正義が天罰を執行する夢物語を言っているわけじゃない。悪は恨みを買い、積み上がった恨みに潰される現実的な話をしているだけのこと。

 ここらが妥当か。

「駄目よ。罪を償いなさい」

 俺が口を開くより先にジャンヌが口を開いた。

「ああっ女は横から口を出すな」

「おい、ジャンヌ・・・」

 ジャンヌを宥めようと振り返りジャンヌの顔を見た俺は言葉を呑み込んだ。

 情報を共有した方が仕事がスムーズになるとジャンヌに事情を説明したのは失敗だったか。

 サングラスをしていても分かる、大野を苛烈に睨み付ける目は断罪を求めている。

 ジャンヌは優しい、罪を許す心も持っている。だが無条件で罪を許す訳じゃ無い。罪を償わないとこは許さない。

「罪を償いなさい。そうで無ければ私は貴方を許すことは出来ないわ」

 償っても許さないという無慈悲じゃ無い、償えば許すという愛。

 過剰に報復を求めてしまう俺や凡愚とは違う。

 それが分からない愚か者は表面の厳しい態度に道を間違う。

「はっ教会で懺悔でもしろっていうのか・・・」

 大野がジャンヌというか神を嘲った瞬間その掌にナイフが突き刺さった。

 ちなみに俺にはジャンヌがいつナイフを抜いたのか全く見えなかった、気付いたら大野が叫んでナイフが刺さっている結果を見せ付けられた。

「ぎゃああああああああああああああああああああああああ。

 女、女こんなことをして」

「貴方はそれくらいされても仕方ないことをした。私もそれくらいで抑えるのが精一杯だったことを心に刻みなさい」

 やばい、ジャンヌに堰が切れる寸前の怖さを感じる。これが打算で動く俺と違い正義の心で動くジャンヌの危うさなのか。

「後悔させてやる」

 大野も謝ればいいものをいらぬ根性を見せてジャンヌを睨み付ける。

「最後のチャンスよ罪を償いなさい。

 犯した罪に等しい罰を受けなさい。

 私に後悔をさせないで」

 そんなに報いを受けていた此奴を解放させた俺の命令はジャンヌの心の負担になっていたのか?

「このアマッ」

「ジャンヌもういい」

 俺はジャンヌを手で遮る。

 ならば俺もジャンヌが言うようにしでかしたことに責任を取らねばなるまい。

 ジャンヌで無く俺がこの場を治める為、ジャンヌから場の主導権を奪い返す。

「でも」

「司法取引も法が定めた償い方だ。

 大野、何があったか洗いざらい話せ。その上でもう罪を犯さないというなら、俺の権限で話した内容については罪を不問にしてやる。

 それとも、敵対の道を選ぶか?

 暴力を振るわれたと訴えるなり好きにするがいい。元に戻したりもしない」

「ぇっ」

 大野は俺が出したあまりにも好条件に信じられない顔をする。

「だが、その時には俺の全霊を持ってお前の罪を暴いて刑務所に送ってやる」

 退魔官に普通の事件に関する権限は無いが、嬉しいことに普通の刑事に知り合いは少なからず居る。やはり近視的な得だけじゃ無く遠くを見据えた人付き合いは大事だな。

「そんなことが出来るとでも」

「警察幹部である波柴に泣きついてどうにかなると思うなよ」

 魔の事件なら何より優先される退魔官の権限がある。

 波柴と互角の五津府を知っている。

 無謀な蟷螂の斧な訳じゃ無い。

「そもそも波柴も実の息子でも無いお前のために俺と真っ向対決するとは思えないがな」

 あの機を見るのに上手い波柴が息子の友達のために俺と全面対決の道を選ぶとは思えない。逆に此奴を差し出すのは取引材料にすら成らないと必要条件と見なすだろう。息子の罪を見逃す対価は別の何かを用意する。

 そのくらいの判断が出来なければ、巨大組織警察において幹部にまで上り詰められないだろう。

 まあ、俺はどっちでもいいけどな。俺はジャンヌを巻き込んだ責任を取るだけだ。

 さて、大野のファイナルアンサーは如何に?


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