第208話 主

「どういうことだ?」

 振り返れば雲霧も車から降りて敵意も隠さず此方を睨んでいた。間に車がなければ直ぐにでも噛みついてきそうなほどに殺意が漲っている。

 静かに眠る森が殺気に怯えざわめきだす。

 森の中を走る道の行き止まり、周りは獣道すらなく木々生い茂り先の見えない闇が奥深くまで伸びている。見える限りに民家はなく明かりは空の星と車のライトのみ。来た道を戻るしか街に戻る道は無いが、そちら側は雲霧が塞いでいる。軽く袋小路に追い詰められた格好だ。

「雪月家が魔より人々を守る陽ならば、雲霧家は雪月家を邪な人々から影から守る陰」

「俺が邪な人間だというか、とんだ言いぐさだな」

 自分で言っていて何だが、時雨との出会いを思えば恩知らずの悪党と言われても弁解出来ないことをしでかしている。そんなこと俺が一番分かっているが、そうでなければ時雨と縁を繋ぐとこは出来なかった。

 凡人故の二択。

 波風立たせずにいい人で過ごせば平穏を手に入れ欲しいものを失い。

 波風起こして嫌な奴になるのなら波濤に晒され機会を手に入れる。

 清廉潔白のいい人じゃ手に入らない、俺は覚悟して雲霧の言う邪な人間、嫌な奴になったが、そこまでしても平穏の対価が機会止まりなのが凡人故の悲しさ。

 欲しい者を手に入れた平穏な生活など望めない。

 ならばこれも機会を手に入れた代償か?

「大人しく主に諭されて手を引けば見逃してやったものを、差し出された手を払い噛みつくだけでなく、あまつさえ主を侮辱するなど万死に値する。

 己がしでかしたけじめは付けて貰います」

 この男には俺が呉さんに逆らい詭弁で戦ったのがよほど腹に据えかねるようだ。涼しい顔立ちで沸点の低いことだ。

 あの対峙で感じた呉さんの人の良さ、名家背負う当主にしては甘い感じ、此方を油断させる演技かとも疑った。だが此奴が出てきたことで全てが納得いった。

 雪月家は綺麗な御輿、政治権力利権数々の雪月家を成り立たせる為の汚れ仕事は此奴等がこなしていたのか。ならば当主が多少甘くてもやっていける、いやむしろ甘い方が上手くいく。当主が人望を集め、憎しみは家臣が引き受ける理想の組織運営だ。

 つまりだ。呉さんは本当に人が良く、俺がつけ込む隙があることが分かったことは大収穫だ。我ながら人がいいと分かって笑う俺はどうしょうもなく嫌な奴だ。

「おいおい、五月雨さんはことこを知っているのか?

 一応俺は五月雨さんに認められてチャンスを貰った身、現状なんら引け目はないんだがな」

 俺は敢えて呉さんでなく五月雨さんの名を出す。あの時の感触から呉さんよりも五月雨さんのほうこそ雲霧家の手綱を握っているような気がする。

「主に忍び寄る悪意を主に知られることなく排除することこそ雲霧の使命。

 そもそも貴方如き凡才が時雨お嬢様とどうやって知り合ったんです?」

 それを追求されると此方も辛い。

「運命の出会いを吹聴するほど俺は無粋な男じゃないんでね」

 本来なら俺と時雨は家柄、才能、美しさとどれ一つとっても縁があるような関係じゃない。それが細い糸だろうが繋がったんだ、これを運命を言わず何という。

「ほざけ。

 その良く囀る口を二度と利けなくしてやる」

 !

 言った瞬間雲霧の姿が消えた。

 ちりっと左頬が焦がれた感覚に従い左手でガードをした瞬間にズシンと蹴りが叩き込まれてきた。

「くっ」

 ちきしょう、一発で左手がいかれた。折れてこそいないが痺れて暫く使い物になりそうにない。初手で片腕を失った。それでも後数瞬ガードが遅れていたら、そんな威力の空中回し蹴りを頭で受けて本当に終わっていた。

 脅したとか警告じゃない、本気の殺意が込められている。

 これも試練か報いか。

 どちらにせよ死力を尽くさねば森の養分、俺は取り敢えず後ろに下がって間合いを取ろうとする。

「やはり凡愚。そこで前に出ないでどうします」

 確かに蹴りを受け止められ一瞬だが雲霧は隙が生まれたが、その剃刀の刃がやっとの如き隙間を狙っていけるのは同じレベルまでいった者だけ。俺如きがその隙間を狙っても閊えて止まってカウンターを喰らうのが落ち。現にその隙を狙って間合いを取ろうと下がる俺より早く雲霧が追いすがってくる。

「くっ」

 銃を抜いている余裕はない、俺は右手を突き出し雲霧を牽制しつつ袖口に仕込んだ射出式スタンガンを放った。

「無駄な足掻きを」

 スッと顔を傾け紙一重で電極を避けようとするが、それが命取り。俺は電極が雲霧を通過する瞬間に放電させた。

「ぐっ」

 スパークが迸った。流石の雲霧も咄嗟に顔を庇い後ろに引いた。俺はその隙に下がれだけ下がり、背後に闇広がる森を背負った。

「小細工は終わりですか」

 不意の放電から立ち直った雲霧が此方に相対する。

 体の何処にも力みがない見事な自然体。放電で怯んだ隙こそ勝機で攻めるべきだったかも知れない。だが、それでも勝ちきれなかったと俺は判断する。

「まだまだ三文手品師の本領はこれからだぜ。

 格好悪いからあんまりしたくないが、この件五月雨さんに告げ口させて貰う」

 幾ら此奴でも主家に念を押されれば無視出来まい。つまり五月雨さんに告げ口することこそ俺の勝利条件、まあ情けないけどな。

「電話をする余裕があるとでも思っているのですか?」

「それはこれから作るのさ」

 俺は残された武器の一つペンに偽装した小型C4爆弾を雲霧に投げた。

「なっ」

 小型とはいえ直撃ならただでは済まない爆発が俺と雲霧の中間で巻き起こった。

 静かな夜の森に轟音が響き、静かに息を潜めていた動物たちが一斉に騒ぎ出す。




 そして爆炎が収まったとき、人影は消えていた。そして森の中枯れ葉を踏み付け遠ざかっていく音が響いてくる。

「この闇の中に逃げたというのか!?

 逃がすかっ」

 電話する時間を与えれば負け、その焦りが雲霧を森の中に迷わず突入させる。

 妖怪鎌鼬の如く木々の間をすり抜け風の如く消え去っていく。これは多少のリードをしていたところで直ぐに追い付かれるのは明白。

 尤も俺はそっちにいないけどな。

 俺は雲霧が直ぐ横を駆け抜けていった木の陰から出てくる。

 危ない。余裕がないとプレッシャーを掛けてなかったら、幾ら石を投げて偽装をしたところでこうも簡単に引っ掛かってくれたか。

 考えている内に車に到着した。俺が運転席に座ると女に優しく体を包み込んでもらったようなフィット感に襲われた。流石高級車は違う。これならG何て感じないかもな。

 ライトを付けておかないといけない都合上キーは刺さったまま。

 命を取り合った仲だ、この車は戦利品としてありがたく頂く。

 しかし普段車の運転をしない俺にこんなでかい車乗りこなせるかな? 擦ったりしたら売りに出すときに値段が下がってしまう。

 そんな心配をしつつ俺は車を走らせ街に帰っていくのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る