第158話 ブラック

「これがレポートです」

 相変わらず如月さん以外はいない閑散とした公安九十九課室。俺は電車での移動中にスマフォでまとめておいた報告書を如月さんに提出する。

「今日休みじゃ無かったの?」

 送信されたデータを確認しながら如月さんは素っ気なく聞いてくる。

 画面を鋭い視線で読み込みクールに仕事を処理している姿はデキる大人の女性という感じだ。

「常在戦場。休みといえど退魔官としての本分を忘れたことはありません」

 仕事に忠実な部下の模範解答をしたというのに如月さんは此方をチラリとも見ない。

「絶対に連絡するなって言ってなかった?

 連絡したら労働基準監督署に訴えるとか言ってなかった」

 まだ拗ねているのか、山のように溜まった書類整理を手伝って欲しいという願いを蹴って強引に取った休み、出来る女の寛容さで流してくれなかったか。

 だが勘違いしている。仕事での駆け引きとはそれが為されなかった場合どちらが被害をより被るかで決まる。

「そうですね。ならこれは一市民としての通報ということで」

 一等退魔官警部待遇と煽てられようとも、所詮部下など居ない下っ端。出世する意欲が無ければ幾らでも責任を放り投げられる。

 あっさりと帰ろうとした俺の腕をデスク越しに如月さんが掴む。

「まてい、上司に仕事を振ってとんずらしようとはいい度胸じゃ無いか」

 如月さんの目は血走り、行き遅れが男を捕まえるが如き必死さが伝わってくる。しかも必死に成って気付いてないようだが、デスク越しに身を乗りだしてきているので普通上からしか見えないスーツの襟口から僅かに覗かせる胸の谷間が目に入ってしまう。

 この人結構胸あるな。

「休みなんで。その腕離さないとセクハラで訴えますよ」

 神視点の第三者が居れば俺の方こそセクハラをしているだろと突っ込まれそうだが、しれっと俺は言う。

「そんなこと言っちゃって、美人上司に迫られて嬉しいくせに」

 可愛くウィンクするけど俺の腕は万力にでも挟まれたように動かせない振り払えない、絶対に逃がさないという鬼の意思が伝わってくる。

「性別変えたら言い逃れできないほどにオヤジですね」

「こんにちわ~ユリで~す」

「でも現実、私は若くて美人の上司だから問題ないでしょ」

「そういう事言うなら、若い部下が勘違いしても文句ないですよね」

「まあ、部下との軽いコミュケーションはここまでにしましょう」

 自由な腕で如月さんを抱き寄せてやろうかと思えば、さっと身を引かれた。

 お茶目なおねーさん風で緩そうに見えるが、流石ここまで来たエリート最後のガードは堅い。

「しかし冗談抜きで貴方が退魔官になってから尋常じゃ無いペースで魔関連の事件が発生していくわね。

 忙しくてたまらないわ」

 同情でも誘うように溜息交じりに如月さんは言う。

 そういえばユガミ関連の事件は滅多に発生しないと言っていたな。

「人を疫病神みたいに言うのは辞めて下さい。

 今まで発生しなかったじゃなくて発覚しなかっただけのこと、裏を返せば私が優秀だということ。上司としては優秀な部下が持てて鼻が高いでしょ」

「それより頑張る上司への労りの心を持った部下が欲しいわ」

 書類の山が上司の心を蝕み、やさぐれてるな。

「何かお仕事ございませんか?」

「どうです、そんなに忙しいなら事務員を増やしては?」

 トップが書類業務に追われている状況はよろしくないだろう。まあ、大半が俺が関わった事件の後始末や予算関連の書類なんだが、まあ現場は優秀なバックアップがいてこそという事で。如月さんのブラック状態を解決する手段として、俺が手伝うという手段もあるかもしれないが、俺は半官半民の大学生、これだけに時間を割くわけにはいかない。あくまで兼業。

 それにだ、貴重な退魔官は早々見つからないだろうが、これだけの実績を上げているんだ経費や予算の申請書などを任せる事務員ならその気になれば何とかなるだろ。

「それも難しいのよね~ただでさえ色々と予算喰っているし、どんな嫌みを言われるか」

 成果を出していれば五津府はそんな事言わなそうだが、如月さんはこの若さで一つの課を任される出世頭だ。ここぞとばかりに足を引っ張ろうとする奴らが湧いてくるんだろうな。どこにでも嫉妬する奴はいる。

 理解は出来る。

 だが、同情はしない。

「矢面に立つのが上司の仕事」

「おねーさんに冷たい」

 いい年した女性がぶー垂れるなよ。しかしこの人こんな性格だったのか、もう少しクールな感じがしてたんだけどな。

「その代わり出世させて上げますよ」

「大きく出たわね」

 如月さんの目が鋭く光る。女性の身でここまで来たんだ出世欲が無いわけが無い。

 いいですよ、その出世欲満たして上げますよ。その代わりめんどくさい嫉妬ややっかみから俺を守る盾に成って貰いましょ。俺にそんなのの相手をしている暇は無い。

「「ふっ」」

「ちょっと、私を無視しないでよ~」

 見つめ合い互いの心底を探り合う俺と如月さんの間に六本木が割り込んでくる。

「ちっ」

 無視していたらいなくなるかと思っていたが図々しい。

「今舌打ちしなかった? ねえ」

「気のせいだろ」

「まあいいわ。それより忙しいって言葉が聞こえたけど。

 ちょうど、この超絶有能で超忙しい旋律士ユリちゃんも今丁度スケジュール空いているのよね~」

 得意気な顔をしながらチラッチラッとこっちに視線を向けてくる。

 俺は空気が読めない奴だし、その視線の意味は理解できません。

「そうか。なら折角の休みゆっくりと休んでくれ」

 俺はブラック上司じゃ無い優しい男、休暇はちゃんと取らせる。

「うわ~んごめんなさい。嘘です嘘です。超暇です。今月の家賃危ないの~お願い何かお仕事頂戴~」

 営業活動は関心だが、此奴は売れないアイドルか何かなのか?

「如月さん。上司なんだからちゃんと面倒見て上げて下さい」

「何言ってるの? 現場のトップは貴方なんだからちゃんと部下の面倒見なさい」

「またまた~現場から離れるような年じゃ無いでしょ」

「まあ、そうなんだけど。果無君、私幾つに見えるの」

 うわっめんどくさい質問来た~。どう躱すのか、出世社会のスキルが試される。

「新人OLですかね」

 新人OLと言えば若いイメージがあるが、別に幾つだろうが新しく入ってくれば新人。

「もう、上手なんだから。今度ご飯でも奢って上げるね」

「それは楽しみです。

 そろそろ脱線した話を元に戻しましょうか」

「そうね」

「では、この案件進めてもよろしいですか?」

 社交辞令からの切れ間無く仕事の話に繋げていく、このスキル。俺は十分この社会でも出世していけると確信させる出来映えだった。

「五津府さんには私から報告しておくわ。それでどうする積もり?」

「取り敢えず天空のエスカレーターは点検の名目で立ち入り禁止にします」

 俺が強引に天空のエスカレーターの管理者と話は付けるが、各所調整のお役所の書類業務は如月さんに投げる。

「まあ妥当ね。それで肝心の旋律士はどうするの?」

「それですが・・・」

「はい、はーい、ここに丁度有能な旋律士が空いてまーす」

「お前じゃ駄目だ」

「はあ、何それ。あっ分かった、貴方が下心抱いている旋律士に頼むつもりでしょ。いやらし~い、フケツよ、公私混合よ、癒着よ、談合よ」

「別に公共事業で入札しているわけじゃ無いんだ、私的感情が入って何が悪い」

 命を懸けた仕事、平等に公正に選んでどうする? 好きなようにさせて貰う。

「あーーー開き直った。

 如月さん、上司としてこんな不正見逃せます」

「何が不正だ。公正に能力を見てもお前は一段劣るじゃ無いか」

「あーー言ったわね。これでも女一匹体張って生きているのよ。舐められて引き下がれないわ」

 ばっさり切り捨てる俺に六本木もブリッ子の仮面を外して地を出して釣り目を更に釣り上げて俺を睨み付けてくる。

「下がろうが上がろうが、使わない」

「果無君、この娘はちょっと問題はあるけど、旋律士としての腕はなかなかよ。せめて理由くらい言って上げたら」

 揉め事はご免とばかり喧嘩を宥めようと如月さんがめんどくさそうに言う。

「がさつ」

「きーーーぃい。女の子に向かって何てことを」

「勢い余って天空のエスカレーターを破壊されたら目も当てられないからな」

「まあ、それはまっとうな意見ね」

「ちょっと如月さ~ん」

 あっさり俺に同意する如月さんに六本木は涙する。

「それで旋律士はどうするの?」

 この話は終わったとばかりに如月さんは話を進めていく。

「そもそも、このユガミと旋律士は相性が悪い」

「ちょっと待って、なんでそんなことが分かるの? レポートを見た限り、ユガミの存在は掴んだようだけど、この添付された映像データを見る限りではこのユガミの性質はまだ不明じゃ無い?」

 流石如月さん、この若さで課を任されるだけのことはある、こういうところに見落としは無い。

 俺が水波と共にユガミに引きづり込まれ、結果的に俺が時を認識する魔の力を得て帰ってこれた事に関しては報告していない。したところで信じて貰えるとは思えない、魔の力はもう無いんだ証明できない。仮に信じて貰えたとしても、失ったとはいえ魔の力に目覚めたとなれば要注意人物としてマークされ、それは面白くない。

 っとどっちに転んでもいい事は無い。だから水波の友達がユガミに攫われる映像からユガミが居ると推測したことにしてレポートを提出した。

 そうだな確かにこの段階で俺がユガミの正体を看破しているのは可笑しい。

 さてどうやって理由を説明するか。めんど臭そうでいて、こういう時に全てを納得させる魔法の言葉を俺は知っている。

「退魔官の勘だ」

「勘~?」

「貴方からそんな言葉が聞けるとは思わなかったわ」

 如月さんが呆れ気味だ。まあ普段あれだけ理論整然の正論で押し通しす俺が急に勘だなんて言いだしたら整合性がとれて無いと思われても仕方ない。

「やっぱり働きすぎかしら、やっぱり休む?」

 ちっ同情されてしまったが、今の言葉は覚えておこう。

「勘なんて昭和ちっくな事言う人の命令は聞けませ~ん。

 このユガミ、ユリちゃんが請け負うわ」

 この女、鬼の首を取ったかのように。

「それならそれで構わないが、その場合責任は自分で取ってくれよ。古くさい俺は優秀なユリさんのお手並み拝見で一切関与しない」

「如月さん」

「私もパス」

 六本木は直ぐさま縋るような目を如月さんに向けるが、さっと如月さんも横を向く。

 まあただでさえ山のようにある書類仕事に始末書の追加は嫌だよな~。

「く~、こうなったらデート一回でどう?」

「どうとは?」

「この可愛いユリちゃんとデートできるのよ。どう満足でしょ、この公私混合リベート男」

 自分とのデートがリベートになると思っている限り、大した自信だが。まあ黙っていれば白肌青みのかかった黒髪ロングと清楚系のいいとこのお嬢様に見える。しかし、最近はデートする権利が貯まるばかりだな。この権利誰かに売れれば大もうけだな。

 さて冗談は兎も角、そろそろこの漫才もケリを付けよう。いい加減うざったい。

「俺の命令は絶対で、報酬は出来高払いでいいなら使ってやる」

 現場に着いたら指一本動かせない、そして出来だが払いだから金を払う必要も無い。我ながら無能を完封するナイスアイデアだ。

「やっりー」

「出来高払いの意味知ってるか? 役に立たなかったら無料なんだからな」

 一瞬出来高払いに身を知らないのかと思うほどの喜びように思わず確認してしまう。

「このユリちゃんが役に立たないわけが無いじゃ無い~」

「お前は気楽だな。羨ましいよ」

 水波にもこんな風に笑って貰うため、きっちり始末を付けてやる。

 明日の手配を済ませアパートに帰ると、今日になっていた。

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