嫉妬の群衆
第115話 嫉妬の群衆
天に月、地に街灯。暗闇を払う光に溢れる運動公園。
一周1.5キロのジョギングコースの道なりには様々な木々が植えられているだけじゃなく、小川が横切ったり花壇が設置されていたりとランナーの目を飽きさせない工夫が凝らされている。街灯も充実していて明るく、冬の夜といえども市民がちらほらと利用しているようである。
今もコースの脇に外れに、引き締まったスレンダーな体に少し長めの髪をした少女の箸が転がっても笑いそうな元気な声が響いている。
「風邪気味なんだからさ、しょうが無いよ。
ふっふ、この隙に差を付けて今度の大会は私の余裕勝ちかな。
文香の最強伝説はここから始まる~なんてね、体暖めてゆっくり寝なよ」
私はスマフォを切ると前を見る。
上下のジャージにウィンドブレイカーを着ているとはいえ動いてないと少し肌寒い夜の運動公園。市民の憩いと健康増進の為と大金を注ぎ込んだコースは学校のグランドと違い飽きが来ない風景が流れていく。高額費用が掛かった運動公園を廻って区議会では賄賂だ斡旋だ色々揉めたらしいが私にとってはどうでも良い。気持ちよく走れるのなら大歓迎だ。
「さてと」
柔軟も終わり私はコースに入って軽く走り出す。大会に向けての特訓で親友でありライバルの火蓮と一緒に夜のジョギングコースを走っていたが、今日は一人のようだ。
一人といっても中年のおじさんやおじいちゃん、どこかの大学の陸上部の人かなと思う人とかがちらほらと走っていて、本当に街灯の下独りで走っているわけじゃ無い。おじいちゃんが元気に走っている姿を見ると、私も年取ってからもあんな風に走っていたいなと思ってしまう。
如何如何、こんなんだから婆臭いと言われてしまうんだ。
「はっはっ」
徐々にスピードを上げていく体は、良い感じで仕上がってきている。呼吸も乱れないし体が軽く足が思い通りに動いてくれる。これなら本当に火蓮に勝っちゃうかも。前の大会では火蓮が一位で私が二位で仙翠律学園のゴールデンペアとか言われていて、結構話題になったんだから。
「はっはっ」
緩やかなカーブを描くコースを走り視線を先に伸ばすほどに木々が徐々に闇の飲まれてしまい、街灯だけが闇夜に浮かぶ人魂のように浮かんで見える。
まるで冥府への道標。
駄目駄目、怖くなる。
いつもは横を走っている火蓮がいないとやっぱり寂しいな。
静まる夜には足音が良く響く、ざっざと私の足音に被せて背後から足音が響いてくる。
むむ、この私に追いついてくるとは生意気な。ふりきってやる。
寂しさを紛らわすように調子に乗ってペースを上げてみる。
ぐんと冷たい風が突き刺さってくるが、足音を置き去りにしてまた静寂に包まれる。
ふう~さっすが未来の仙翠律学園のエース素晴らしい加速でした。自画自賛でほっと気を抜く。
ざっざ、ちょっとペースを落とした私に直ぐさま足音が追いついてくる。
もう追いついてきた?
誰だろうと振り返ってみると。顔は見えないが男女数人が固まって走っているのが見えた。
どこかのチームなのかしら?
ちょっと疲れてきたし先に行かせようと私はペースを落として脇に避けた。
すると私が横にずらした分だけ足音もずれて迫ってくる。
えっ?
振り返れば集団は私の真後ろを走っている。
どういうこと?
怖くなった私は脱兎の如くペースを上げた。
手を振り足のスライドを広くする、冷たい空気は刃となって突き刺さって来るが、足音を完全に振り切り自分の呼吸音だけが響く静寂に包まれる。
ほっとしてペースを落とせば静寂を剥がすように足音が迫ってくる。
何? 嫌がらせ。
それとも変質者の集団?
寒さでは無いもので背筋が凍えた。
そういえば同じように走っているはずの他のランナーが見当たらない。
なんで!? あのペースで走れば絶対に誰かに追いついていたはずなのに。
もうなりふり構ってられない。
私は走りつつ腰を落とすとぐるっと90°回転して一気にコース外に向かってダッシュした。ここから突っ切って行けば大通りに出る。人通りに出れば諦める、諦めなくたって助けを求められる。
希望に顔を上げ前を見れば、闇に続くいていくトラックが見える。
「えっ?」
どういうこと? どういうこと? 確かに私曲がったはず。
訳が分からない現象に戸惑う私の耳に足音が一際大きく響く。
ダッシュした反動でペースが落ちてしまい今まで無いほどに足音が迫っている。
足音が背中を叩くほど迫られ、足音に混じった呪詛が耳に届けられてくる。
羨ましいわたしなんかたいかいにださせてもらったことなかったのに羨ましいおれだってけがさえなければうらやましいなんでさいのうがないとはしらせてすらもらえないんだようらやましきぼうがかがやいているのがうらやましい。
「ひいいいいいいっ」
恐怖に押され再度加速をしようとして足がもつれた。
疲労と恐怖に体が言うことを聞かない。なまじ加速がついただけに少しの躓きでそのまま地面に転んでしまった。
「痛い」
走って転んだのなんて久方ぶりで、土と血が混じった味を味わうのは久しぶりだった。
足を捻った。大会に出られないかもしれない。
別の恐怖が私に襲い掛かり、足音が襲い掛かってくる。
「へっ」
ざっざっざっざ、転んでいる私に向かって緩むこと無く足音を響かせ群団が向かってくる。
「まっまってまって」
もう十分でしょ。何の嫌がらせか知らないが、生まれてこれほどの恐怖を感じたことは無かったし大会すら危うくなってきた。もう許してと仰向けになって必死に手を伸ばして止まってくれと哀願するが、足音は止まらない。
「まっとまって、ぎゃああっ」
群衆は何ら躊躇うこと無く迫り最初の一歩で容赦なく怪我した足を踏みつけてくる。
「うえげっ」
痛みで丸まろうとした私の腹に食い込む後続ランナーの体重の乗った踏み込み、胃の中身が噴き出した。
たがそれで止まらない。
叫ぼうとした私の口の中に踏み込んでくる。
泣こうとした目を踏みつけてくる。
呼吸をしようとした胸を踏みつけてくる。
彼等は別に憎しみを込めて力の限り踏みつけてくるようなことはしない。
次々と淡々と執拗に私の体を踏み付けては走り去っていく。
ざっざと繰り返される一回一回の踏み付けは大したことは無いかも知れないが削岩機の如く繰り返される踏み付けに。
必死の抵抗をしていた筋肉も弛緩し。
骨にヒビが入り折れ砕ける。
無防備となった内臓は潰され。
肺が潰され。
心臓が潰される。
それでも止まらない途切れない。
続々と足音が迫り。
顔が踏み潰され。
頭蓋骨が砕け。
眼球が転がり。
脳漿が撒き散らされる。
それでも彼等の歩みは止まらない。
そもそも彼等は幾人いるというのだ?
次々と過ぎ去っていくのに人が途切れる様子は無い。
まるで彼女の栄光の影に泣いた無数の人々のように途切れない。
ざっざっざっざと走り去っていく。
少女が肉片になろうとも踏み潰していく。
そして血の跡すら靴裏にすり切れなくなった頃に群衆も足音と共に消えていた。
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