第80話 不敵

「まさかセクデスが殺られたというのか。こんなことなら、何があっても脱出を優先させるべきだった」

 建物の屋上から飛び降りてきた男が倒れたセクデスを見下ろしながら言う。

 まだ寒い冬空に晒されるのに坊主にタンクトップと軽装。細い体付きながらガリと言うより筋肉が引き締まってスリムになったと分かる密度が高そうな筋肉。

 何よりもこの男、三階はある建物の屋上から飛び降りたというのに、水の中を飛び込んできたかのように無傷で地面に着地した。

「米占、どうする?」

 一体の鬼がスキンヘッドの男「米占」に近寄って相談する。

 セクデスが倒れ爆発に巻き込まれたカフェの客も鬼の暴虐に晒された警官達も動かなくなり静かな眠り付いている。一間の静寂に三体の鬼と竹虎警部補を含めた六人の警官達が互いに出方を伺い合っている。

「このままでは廻様に会わせる顔が無いぞ」

 苛立ちげに米占は答える。セクデスの救援に来てみれば、聖女や旋律士なら兎も角訳の分からない若造とセクデスは相打ちになってしまう。自分は完全に聖女を完封して仕事を果たしていたと言うに、本来の仕事であるセクデス救出はしくじってしまう。大層な金と労力を掛けてヨーロッパから日本に迎え入れたというのに、米占はこの無能と大声で叫んでセクデスの死体を蹴り飛ばしてやりたかった。っがそこは大人なので我慢する。

「此奴等を皆殺しにすれば許して貰えないか?」

「ただ人を殺して廻様が喜ぶかっ。

 !」

 廻様は快楽殺人者で無いと怒鳴る米占の視界の片隅に少女が映る。

「いるじゃないかちょうどいい手土産が、聖女を捕らえるぞ」

 視線をジャンヌに固定させて米占は言う。

「殺さないのか? セクデスを殺されたが、聖女を殺せば釣り合いが取れる」

「馬鹿が。滅多にいない聖女だぞ。殺すより生きて連れて帰れば失点を補って余りある。それに腹いせに楽しめもするしな」

「決まりだな」

 米占と鬼は揃ってジャンヌを憤怒功名心獣欲が入り交じった目で見て舌舐めづりする。

「私がお前等如きに好きになると思うなよ」

 悪意の視線に晒されようとジャンヌは気丈に弾き返すが、失血が酷いらしくその顔は青ざめ今すぐ倒れても不思議は無い。

「俺がやる」

「これ以上の失態は拙い手早くやれよ」

 鬼が前に出て米占はバックアップに回る。

「ああ」

 鬼が飛び掛かる機会を伺うようにじりじりとジャンヌにすり寄っていく。ジャンヌは抵抗の意思を示そうと、その最大の武器聖歌で無く太股に差しといたナイフを引き抜き構える。その指より細いナイフの鬼を前にして頼りないこと、それでもジャンヌは屈しないことを示すため構える。

「そんなもんじゃ俺の体は貫けないな。俺が後で体を貫くってのがどういうものなのか、ベットの上で教えてやるよ。

ぐわっ」

 鬼が間合いに入り腰を僅かに落としたタイミングで、鬼の掌にクナイが刺さった。

「誰だっ」

「其処までです」

 時雨がいた。

 世界を紅色に染める夕日を後光に颯爽と立つ時雨。

 赤みを帯びた風にポニーテールにまとめた髪を靡かせ、悪を見据える。

 悪意に満ちていた世界を鮮烈なる青の浄化が切り裂いてくる。

「ちいっ旋律士か」

 米占が見る先。

 いつものブレザーで無く、開いた胸元には鎖帷子が垣間見える蒼いくノ一の装束を着ている。いつもの普通にしていれば女子高生として群衆に紛れ込めるブレザーを捨て、最初から戦いに特化した戦装束で挑んでいることから、例え旋律士の存在が露呈しようともここで仕留めるという覚悟が伝わってくる。

「キョウちゃんはジャンヌさんを保護して、その間にボクが片付ける」

「だったらその役かわ・・・。

 分かったわ」

 煙に燻される死体が転がる惨状を見る時雨、どちらかと言えば柔らかく可愛いと評される時雨だが、今の顔は怒りに可愛さが削ぎ落とされ精悍さに彩られた美しさ。

 見る者はその美しさに魅入られるかも知れないが、魅入られたらその深い怒りに囚われる。

 京のようにどこかプロとドライに成り切れない時雨は被害者の悲しみに同調する。京はこの怒り発散させねば時雨が壊れると譲ることにしたのだ。

「だが聖女だろうが旋律士だろうが、俺の敵では無い」

 米占は相手が旋律士であるとみると不敵に笑い腕で空気を掻き混ぜ出す。

「旋律士時雨、行くよ」

 名乗りを上げると同時に右手に小太刀、左手に音叉を握り軸がぶれることの無い美しい

 旋回を決めると同時に音叉で空気を叩き、旋律の一音を奏でるはずだった。

「波が違う」

 物心ついた時より修練を重ねた旋律、その一音が時雨が記憶している中で聞いたことが無いほどに鈍い波が広がる。

「くっく、俺の世界にようこそ。

 お前達は何でそんなにこんなにも邪魔な空気の元で平気で動けるんだ。俺は邪魔で邪魔で少しでも抵抗を減らすように頭すら剃っているというのに」

 普通の人は風を感じて初めて空気を感じる。

 陸上選手が走る時に初めて空気を邪魔と感じる。

だが、米占は常にして空気に水の如く抵抗を感じていた。その常人との認識のズレ、今そのズレが米占側に引き込まれ無くなる。

「風が重い」

「くっく、俺の魔により空気の粘度は変わり音階はずれる。その意味お前なら分かるだろう?」

「それが何?」

 得意がる米占に時雨はくだらないことでも言われたように冷たく問い返す。

 しかし、実際問題旋律は正確無比な音階の羅列から紡ぎ出される旋律。音階がずらされては旋律が世界に律に干渉することは無い。

 つまり目の前の米占こそ、旋律士の天敵のような存在。

「くっく強がるな。浜岡、旋律は封じた嬲れ」

「任せろ」

 ジャンヌを捕まえようとしていた鬼が時雨に今襲い掛かる。鬼に取ってみれば空気が水のようになろうともその力で強引に掻き分けられる、だが華奢な少女に過ぎない時雨はどうなる。

 鬼の豪腕が時雨を掴み掛かろうとする寸前、掻き分けられる空気の流れに乗ってスルリと回潜り、小太刀の一閃を鬼の胸に刻み込む。右手で小太刀を振るい、その勢いのままに音叉を持つ手で空気を叩く。

「ん」

 ずれる音に苛つくのか時雨の眉が多少上がる。

「休ませるな、浜岡。いずれ体力が尽きる」

「分かってる」

 ラッシュラッシュラッシュ、鬼の猛攻だが、時雨は粘度が上がったなら木の葉が水の流れに身を任せるように流れに乗って攻撃を躱し、音叉を叩いていく。

「はっは、いつまで体力が持つかな」

 時雨は昇り龍の如く流れに乗って空に舞い上がり、花びらのようにひらひらと踊って地に着くと同時に音叉で叩く。

 ぶーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん、音叉の音に小太刀が共振した。

「「なっ」」

「だから何?と言ったよね。君達ボクを馬鹿にしていないかい? 空気は温度湿度の影響を受けていつだって一定じゃ無い、ボク達は都度調律して旋律に望んでいる。

 多少粘度が上がったからって何?

 水の中でだって旋律を奏でてみせるさ」

 時雨が相手の恐怖を誘うように不敵に笑い、旋律が奏で始められる。

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