第77話 地獄

 起き上がれば地獄だった。

 べっとりと肌にこびり付く血臭がビルに囲まれ籠もり、地獄の残り火が罪人達をチリチリと炙り悲鳴が木霊する。

「うがああああああ」

「手が手が~」

「目が目が見ない」

「あっあっうっううううっあっううううううううう」

 ぴちゃぴちゃぴちゃ。

 体に刺さった無数の破片の激痛から逃れようと一心に呻き声発する者。

 吹き飛んだ手を止血もしないで探す者。

 爆炎で顔面を焼かれてしまい闇の中を手探りで彷徨う者。

脳みそが頭から溢れ出し最早意味を成さない声を出す者。

そして声すら出さずただひたすら血を流し続ける者。

まるで夢から覚めたかのように数分前までの平和な日常が消え去り、地獄が広がる。

その地獄の中心にセクデスは立つ。

 爆発の瞬間テーブルを盾にしてしゃがんだセクデスはほぼ無傷。五体満足で地獄を睥睨する。

「見たまえ、我が生徒よ。ここには数多のサンプルがあるぞ。やはり学問とは実地検証こそが根幹、研究所に閉じ思って考えるだけなど論外。

さあ、講義を始めようではないか」

 地獄の光景に、セクデスは一人高笑いを上げ、俺にもまだこんな感情があったのかと自責が湧き上がる。

 この惨状を防ぐことは出来なかったのか? 俺は最善手を尽くしたのか? どこか心の中でまだ遊び気分は有ったんじゃ無いか? 素直に殺されていればこの惨状は無かったんじゃ無いのか? この被害者達にお前は償えるのか?

 視界がぐにゃっと歪み脳が真っ赤にショートするほどの自責が雪崩の如く心を覆い潰そうとしてくるが壊れた心はヒロインの如く悲しむわけでもヒーローの如く怒るわけでも無い。

 雪崩の斜め上をすり抜ける。

 俺は最善を尽くし、俺如きが被害者に償えると思うことこそ傲慢。

 ましてや、自分が犠牲になれば良かったなんてこの世で唯一自分を愛してくれる自分に対する冒涜。

 そして何より今そんなことを考えたところでどうなる。そんなことセクデスの侵入を防げなかったお偉いさん方が全てが終わった後に査問でも裁判でもして検証して裁いてくれるだろう。

 俺が今考えるべき事は、どうやってセクデスを殺すかだ。此奴は生きている限りこういった惨状を繰り返す、誰が犠牲になろうともだ。

 止めるにはセクゼスの命の火を止めるしか無い。

 甘さを捨てろ。

 俺はまだセクデスを甘く見ていた。まさかと思った、最悪の手を躊躇いなく実行してくる。セクデスの評価を正して俺はセクデスと向かい合う。

 泣きも怒声も上げず冷静な俺を嬉しそうにセクデスは見つめ口を開く。

「そこで脳が半分吹き飛んだ男はまだ生きているか否か?

 自我こそ生なら、自我は脳が作り出す幻想、脳が半分無いなら彼は半分死んだのかな?」

 セクデスは愉悦も悲しみも無くエンジニアが機械の調子を見る目で、脳が半分溢れ出し体がぴくぴくと痙攣を起こしている男を液晶の割れたノートパソコンを踏みつけながら観察する。

「ゲームじゃ無いんだ命の灯火は一つだ」

 俺は答え一歩前に出る。

「一人の人間に命は一つ、それこそ真実を眩ますまやかしでは無いかな?」

「猫みたいに九つの命があるとでも?」

 問い返し半歩前に出る。

「君が言う自我こそ命ならば、二重人格者なら二つ命があることにならないかね?」

「言葉遊びだな。主人格と疑似に過ぎない」

「ほうほう、そうくるか? その議論に相応しいサンプルがここにあるな。この脳は無傷だが鼓動が止まった女は生きているのか否か?

 自我を作り出す脳は無傷、だが体はほぼ機能を失っている。内蔵も機能を停止しているな。脳こそ命と言うが、その脳を活かす機能は既に停止している。この女を一個の生命体と見るなら既に死んでいると言っていいのでは?」

 心肺停止は死亡か否か?

 セクデスは鼓動が既に止まっている中年の女性の髪を掴んでその顔を俺に見せ付ける。

「まだ生きている」

 先程まで楽しそうに愚痴を言っていたその顔は傷一つ無い、ただ心臓が剔れているだけだ。顔だけ見れば今にも愚痴を吐き出しそうだ。その愚痴を吐き出していた相手は焼かれた顔を抱えて暗闇を彷徨っている。

 ちっ、今こそ俺が普通の人間であることが恨めしい。怒り一つで頭を吹き飛ばせものかと益体の無いことを考えてしまう。

「ふむ、あくまで脳に拘るか?

では、そこの少女はどうだ?

 脳も吹き飛び鼓動も止まった」

 次にセクデスが俺に見せ付けたのは頭部の後ろ半分から左胸辺りに掛けて潰れている少女だった。この遺体の破損具合、オープンテラスでなく爆心のカフェ内にいた少女の遺体がここまで吹き飛んできたと推測されが、それがどうしたとも思える。

 俺はもう考えるまでも無く自然と遺体と言っている。

「死んでいる」

「だが細胞はまだ生きているぞ。これがアメーバであれば生きているとお前は断言するだろう。

アメーバなら生きていて人間なら死んでいると判断する。

 その差はなんだ? なぜ人間だけを特別扱いする。彼女の細胞を今すぐ採取して培養液にでも浸せば、それこそ何十年ともしかしたら永遠に生きる。なぜそれを彼女は生きていると言ってはいけない。たかだが脳が作り出す電気信号の幻想がそんなに大事か? だったらコンピュータと何が違う」

 セクデスは哲学の真理に挑むように叫ぶ。

「さあさあ、私に答えて見せよ」

「生と死の明確の境なんて誰だろうと分かるわけ無いだろ。誰だってそんな疑問を呑み込んで必死に生きているんだっ。

 己の妄執のために人の人生を踏みにじるなっ」

 立っているのはセクデス一人、なら誤射もクソも無く、わざわざ会話して数瞬走れば抱きつける距離まで近付いた。

 これ以上狂人に付き合ってられるか、オナニーはあの世一人で耽れ。

 俺は驚くほどに機械的に銃弾を補充した銃を引き抜くと引き金を引いていた。

 引いた瞬間に確信が持てる当たる軌道だった。

 そのセクデスの前に脳も心臓も止まっていた少女が盾の如く立ち塞がった。

「なっ」

 S&W M19から放たれた.357マグナム弾は少女の右胸の乳房を吹き飛ばし胸を大きく剔った。フランスの特殊員のアランがアメリカの銃を持っていたのは偽装だろうか、今や真偽は分からないが、残されていた予備弾.357マグナム弾は真実。例え防弾チョッキを着ていようともマグナム弾の威力なら確実にセクデスの動きを止める。その間に間合いを詰め頭部に銃口を突きつける予定だった俺の行動は止まってしまった。

「おやおや、酷いことをする」

 セクデスは俺に撃たれた少女を見て痛ましい顔をする。そんなセクデスを守るように、 少女だけじゃ無い脳が半分吹き飛んだ男も心肺停止した女性も呻き声を上げていた女も立ち上がってくる。

「なっなんなんだ」

 彼等は死んではいなかったが起き上がれるような状態じゃ無かったはず。俺が驚いている間にもカフェの中にいた人間達も破損した体で店内から湧き出てくる。

「そうかこれが、お前の魔なんだな」

 セクデスは生と死の境を認識できない。認識できない男が死んだと認識しない者は生きて動く。

 そして人が神に感謝するように、蘇った者達はセクデスを慕い従う。

 殺す端から配下にして増殖していく、まさにワンマンアーミー。警察の組織が持つ数の優位など時間と共に覆される。ジャンヌが言ったヨーロッパで街一つ滅ぼしたのも納得できる。

 このまま亡者の群れに街は飲まれるのか?

 普通ならな。

 だがジャンヌがいる。

「ジャンヌ、聖歌だ」

 ジャンヌは俺に心配されたくないのか言わないが、さっきの戦いを見ても聖歌はジャンに相当の負荷を与える。多用できるものじゃ無いが、こうなれば温存もしてられない。ジャンヌの聖歌で人壁が無くなったら、俺が終わらせてやる。

 ジャンヌはヒロインのように涙し、ヒーローの如く怒りに燃えていた。それでも作戦通り俺の合図を待っていてくれた。今その枷が外れ、ジャンヌが神の怒りを謳おうとする。

「分かった、うがっお」

 聖歌を歌おうとしたジャンヌが突然溺れたかのように喉に手をやり蹲る。

「しまった。援軍」

 何てことは無い俺が必勝を狙って狙撃隊を待っている時間、セクデスもまた援軍を待っていた。

 考えが抜け落ちていた。セクゼスのワンマンアーミーが幾ら数の猛威を振るおうとも、ジャンヌという数など意味を成さない聖女がいる。そんなこと俺よりもセクデスの方がよく分かっている。そのセクデスが攻勢に出た意味、もっとよく考えるべきだったんだ。追い詰められた暴挙などと軽く結論してはいけなかったんだ。

 能力だけじゃ無い。俺は戦略でも一手どころか二手も三手も遅れていた。

 だがまだ王手を掛けられたわけじゃ無い。

 俺は敗北感を切り捨て動き出す。

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