第65話 死

「どこからが生であり、どこからが死なのか。

 答えられるか青年。

 我が満足すれば見逃そう。

 我が納得すれば褒美をやろう。

 だが我が失望した時、講義の代償を払って貰う。

 さあ、答えは如何に」

 俺の大学の教授より教授らしい静謐なる貫禄に溢れ、こんな教授なら講義を受けてみたいと思わせるカリスマすら漂うが、突然現れて何を言い出すんだ? 哲学?

 それにしても、まだ仲間がいたのか。ただの学生に過ぎない俺に対してコストを掛けすぎでは無いのか? ただ始末するならアランだけで十分のはず。つまり始末する以上のことを俺にする予定だったのか? 改造? 洗脳?

 まあいい、今は敵の目的より、状況打破だ。5対1で囲まれ数的にも勝ち目はほぼ無い。黒服を鬼とすれば、質的にも勝ち目は無い。ここは初老の紳士の話に乗って時間を稼ぐ、稼いでどうする? そんなのは援軍の見込みがある時にすることだ。援軍など来ない。なら無駄な抵抗はやめるか? 

 そんなのはご免だな。俺は二度と屈しないと誓った。

 考えてみろ、今の俺は俺らしく孤立無援、いつものように自に由って戦うのみ。

 ならまずは話を合わせて突破口を見出せ、例えそれが針の穴ほどだとしても。

「意識あるところから生であり、意識えた時からが死だ」

 奇も新しさも狙わず、無難に答えた。まあ俺もそう思うし。

「凡庸。凡庸すぎるぞ、青年。だが奇抜なら良いというわけでもない。凡庸にこそ真理が隠れている場合もある。

 ならば問う、意識とは如何なる所から生まれるか」

「脳だっ」

 現代の脳死を死と認定するルールに従って答えた。魂とかなかには心臓にも意識があるという説もあるが、実証できない物を信じられず、交換できる物に己があるとは思えない。最も意識=生で無いと言うなら、他人の中でも動き続ける心臓に生を認めてもいいのかもしれない。

 こんなこと老紳士だって考えついたことだろう、こんな答えで納得してくれるわけが無い。次は何が来ると俺は身構える。

「ならば精子に命は無いと言うかっ。

 ならば受精卵に命は無いというかっ。

 ならば脳が形成される前の胎児に命は無いというかっ」

「くっ」

 やはり甘くない、常識から入って異識に剔り込んでくる。だが、普段そんなことを考えていない俺に直ぐだせる答えが無い。そんなことを四六時中考えていたら気が狂う。だがここで口を閉ざせば終わってしまう、何でもいいから口を開こうとするより老紳士の方が気が短かった。

「ふん、温いわ。小利口な物質主義の限界これ如何に。

 だが何時はまだ若い、若者を導くのは年配者の使命。

 ならば教授致そう」

 出来の悪い学生を切り捨てるように嘲る老紳士が己の職分とばかり助け船を出す。

 ぼとっ、いきなり俺の右側が軽くなった。

 見れば俺の右腕が切り落とされ血がどばどば流れ落ちる、そして知覚して数秒後に歯を剔るより灼熱の激痛が襲ってきた。

「うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 飛びそうになる意識を叫びを上げることで繋ぎ止める。

「さあ青年よ答えよ。

 その切り落とされた右手と残った部分、どちらが生きている?

 答えなければ教授は終わりだぞ」

 教授の終わり、それは俺に興味を失い俺を殺すということ。

 まだだ、まだ俺は諦めない。

「残った部位に意識がある。ならばこっちだ」

 俺は左手で自分を示した。

「うむ。最初の意見は貫くか、見事あっぱれ。

 ならば次なる教授を致そう」

 言われた瞬間下半身が生暖かくなった。つづいてねちょねちょの気持ち悪い感触と異臭を放つ汚物をズボンの中に吐き出して俺はその場に蹲った。

 なっなんだ下半身に力が入らない。トランクスが尿で濡れ便の感触が気持ち悪い。

「お主が言う命、脳の下半身の機能を司る部分を消去させて貰った。

 つまりお主の命はその分減ったということか、お主の自我は物理的に減ったということか?」

「へっ減ってない」

 俺は絞り出すように反論した。

「ほう異な事を言う。お主は命は脳と言った、その脳が減ったのに命は減らない。

 矛盾、これは矛盾だぞ。

 Fだ。Fには補習だな」

 言われた瞬間残っていた俺の左腕もぽとりと落ちた。

「うぎゃああああああああああああああああ」

 くそっ知的な老紳士風に騙されたが、此奴もまた己の我を貫き突破した凶人「魔人」だ。蓑虫の如くになった俺を見て僅かに口角を上げやがった。

「さあさあ、補習は終わった。

 まだ理性は残っているか、残っているな。

 ならば次なる教授だ」

 今度は物理的痛みは襲ってこない、代わりに急に足下がふらつくような不安感に襲われる。家の土台が無くなったかのような不安定、自分の存在自体が揺らぐ。

 なぜ? 急に胸が締め付けられる。

「ふむ。今度は記憶の一部、小学生くらいまでの記憶部位を消去させて貰った」

 中学からの記憶はあるのに小学生の記憶がすっかり消え去った。それだけで俺は不安で不安でたまらなくなる。普段小学生の頃など思い出すことなんか無いのに、いざ思い出せないとなるとまるで自分がいきなり作られたロボットかのような錯覚に襲われる。意識しなくても人は積み上げて生きていると実感させられる。

「どうかな命は減ったかな?」

「減ってない」

「先程と同じ答えだが、今度は力強さが有る。理由を聞こう」

 老紳士は杖で地面をコツンと叩いて答えを促す。

「俺の意識、我はいささかも減ってない。

 つまりお前が削った部分は俺の自我とは関係ない部分だ」

 最も俺の自我を形成する記憶を全て消され自我を保てるか自信は無い。

「ふむ。ならば再度問う、意識は如何なる所から生じる?」

「脳のどっかの部位だろ」

 それが分かれば俺の脳医学でノーベル賞が取れるぜ。

「そこで魂と言わないで初志貫くか。その意気や良し。

つまり其処さえ有れば意識はある。脳は外部要因に対する生理反応機関で無いと言うか。

 ならば示せ、証明せよ」

 急に痛みも不快感も消えた。

 代わりにまるで夢の中にいるような、ふわふわした感じに襲われる。夢の中走っても足に感触が返ってもないで上手く走れた気分にならない時に似ている。

「触覚を奪った。どうかね、君の意識はいささかも変わらずかね」

 何て事しやがると睨もうとした瞬間目の前が真っ暗になった。

「人間において外部情報の大半を占める視覚を奪った。どうかね、脳の処理が楽になっただろう」

 外部情報が消えるどころか増えていく。失った触覚・視覚を補うとでもいうほどに俺は今風の匂いを感じている。風の匂いを感じて俺は俺を認識するが、風の匂いも消えた。

「嗅覚。どうかね三感を失った感想は?」

 口に広がる唾の味が鮮明になったぜ。この唾の味は緊張しているか、分泌物の味が分かる。凄いな舌ってこんなに鋭敏に・・・口の中に広がっていた味も消えた。

「味覚。オブジェに限りなく近くなったが、まだ生きているかね。

君に教授する為聴覚は最期まで残したが、それも終わりだ。命は外部要因に寄らないというなら示して見せよ。

 聴覚」

 何も聞こえなくなった。

 これで俺は外部と完全に切断された。

 内部でさえ触覚を奪われた俺には体があるのかすら感じ取れない。

 それは孤独と共に生きていた俺が味わったことの無い絶対的孤独。

 今まで俺は人との関わりは切れても世界との関わりが切れたことが無い。

 何があろうとも俺を見捨てなかった世界にすら拒絶された。

 虐められてもいいから何かを感じたくなる。

 今の俺にはこの思考以外何も無い。

 思考だけの存在。

 だがその思考も絶対孤独というブラックホールに呑み込まれ磨り潰されそうである。意識が脳の機関が司る物理的な物なら孤独だからと消えることは無い、だが現実には必死に成って思考しないと今にも消えそうである。必死に耐えるが、何も出来ない何も感じない先に思考して何になる?

 無駄じゃ無いか?

 意識を手放し岩となれ。ただあるだけに。あるがままに。

 無駄な思考を消せ。

 本当に無駄なのか?

思考すれば己を感じることは出来る。

『ふむ見事。まだ正気を保つとは天晴れ』

!?

 何も感じないはずの俺に響く老紳士の声は神の声にも等しかった。何でもするからと縋りたくなる俺に更なる絶望が響く。

『ならば次の教授に進もうか』

 嫌だ。これ以上俺から何を奪うと言うんだ。

『五感を統率する第六感を破壊する。第七感があるなら目覚めて見せよ』

まっま・・・・






























































































光あれ

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