第60話 梯子外し

「殺せっ」

「はっ」

 石皮音の押し殺す怒りの出汁が効いた命令に従い鬼が疾風の如く向かってくる。

「きゃっ」

 俺は皇を投げ捨て鬼に向かって行く。

「はっは、鬼に生身で向かって行くなんて馬鹿じゃ無いの」

「そりゃそうだ」

 石皮音の嘲笑の通り、皇の見事な一撃すら歯牙に掛けなかった鬼に勝てるわけ無いのは分かっている。そして俺が好きな女の為とはいえ勝算の無い特攻をする奴で無いことを石皮音は理解していない。そここそが俺の勝機。

俺は鬼の間合いに入る寸前、いきなりバックステップした。

 鬼が何も考えない魔獣だったら意味が無かったが、石皮音の命令を聞くことからこの鬼には知能がある。その知能が俺がいきなり下がったことの意味を考えさせる。その生み出された僅かな空白の間に対音羽用に懐に忍ばせて置いた俺特製スタングレネードを床に投げ付けた。

「なっ」

 閃光と爆音が響き、湧き上がる煙幕が辺りを包み込んでいく。

「きゃああ」

「うわっ~」

 踊り狂っていた奴らも流石に騒ぎ出す。既に知能が無いまでに変態してしまった奴らも命の危険は感じるのか退避行動を取る。

 煙とパニック群衆、隠れ蓑としては十分すぎる。

「じゃあな。お前の間の抜けた顔が見れて溜飲が下がったぜ。

シーユーアゲイン、マヌケさん」

目から涙が流れ落ち鼻水が垂れ流れる。余裕ぶって得意気だった顔を台無しにされた石皮音に侮蔑と嘲笑塗りたくりつつ煙幕と人混みに紛れてフェードアウトしていく。

「この僕をコケにしやがって」

 退却する相手を挑発して戦うと見せかけて、梯子を外してこっちが逆に退却する。なかなかに手玉に取られた屈辱が半端じゃないだろ。

 激怒するあまり歯軋りし地団駄する石皮音の横顔に渇いた喉に冷たい炭酸を流し込むほどに胸がスッとする。人をおちょくるのはなかなかに面白い、病みつきになりそうだ。石皮音の気持ちが少し理解できた。

「お前何をぼさっとしている」

 石皮音が立ち尽くしている鬼に怒鳴り散らす。

「しかし、どこにいるのか・・・」

 きょろきょろと鬼は辺りを見渡すが煙と人混みに完全に紛れた俺の姿を捕らえることは出来ないようで、鬼は戸惑い返す。

「能なしがっ。一つしか無いんだ、さっさと出口を塞げ」

「はっはい」

 自分を利口だと思っている奴ほど、一つボタンを掛け違うと面白いように嵌まっていってくれる。失敗が無いと思って作戦のチェックを行うから、落とし穴に気付かない。こういうのは抜けが有ると思って見返さないとな。

「くっく、見てろよ。お前は逃げられない。煙幕が張れた時がお前の最期だ」

 余裕を取り戻しつつ、どす黒い笑みを浮かべる石皮音の背中は小さく普通の人間に見える。

 ふう~高柳の言うとおりだ。特殊合金爪切りとか七段警棒、射出式スタンガンなどの特殊な武器より、今は普通の包丁が何より欲しい。が、そんなもの持ち歩いていたら一発で職質刑務所行き、持てないものは仕方ない。

 石皮音の背後、煙からすーーっと腕が飛び出した。

「逆だ。俺がお前を逃がさないんだよ」

「おっお前」

 石皮音が振り返るより早くアームロックを掛けた。如何に技を持っていようとこうなってしまえば体格から生まれる純粋な力がものを言う。古来よりの超シンプルな武器、筋力を使う。ちっ理系の俺が理系の存在を全否定だぜ。

石皮音は俺に腕に爪を立て必死に引き剥がそうとするが、俺は容赦なく締め上げていく。俺がおちょくる為だけにあんな事をする愉快犯、自分と同類だと思い込んで鬼を自ら遠ざけたのが此奴の敗因であり俺の勝機。

俺は計算高い合理主義なんだよ。

このまま頸動脈を絞めて落とす。落としたら警察で無く前埜さんに引き渡し此奴の背後関係を徹底的に洗って貰う。音羽を罠に嵌めたことだけじゃなく、もしかしたら砂府さんの事も此奴が関係しているかも知れない。こんな不気味な奴野放しに出来るか、捕まえて拷問すら辞さずに全てを明らかにしなければ、落ち着いて時雨さんとデートすら出来ない。

 殺しても仕方が無いくらいの勢いで絞めていく、弱者に手加減する余裕は無い。

「こっこの」

 必死の石皮音の爪が俺の腕に食い込んでくるが、俺もまた初めて人の首を絞め上げる興奮でアドレナリンが全開で痛みすら快感。腕に伝わる首の柔らかさに暖かさ、此奴がもし美少女とかだったら俺はこれを切っ掛けに危ない道に踏み込んでしまってたかもな。ノンケの自分に感謝しつつぐいぐい締め上げ行く。

「あが」

 石皮音は白目になると同時に舌を出して泡を吹いた。急激に石皮音から力が抜けていき首を掴まれた猫のようにだらんと成ったところで、腕を放した。

 ドタッと離した瞬間何の抵抗もなく石皮音は床に落ちた。

 どうやら演技では無いようだな。

 内ポケットからスナップバンドを取り出し、石皮音を後手に親指同士を縛り上げる。

 この絵面、俺がまるで誘拐犯だな。早いとこ音羽と合流してづらかろう。

「なにやってんだお前」

 いつの間にか戻ってきていた音羽が若干引き気味の顔で俺を指差している。

「暢気なものだな。可愛い顔しているが、お前此奴に嵌められたんだぞ」

「なにっ! それはどういう意味だ」

「ここを出て前埜さんに連絡をする方が先だ」

 ユガミが生み出していた空間にいつまでもいれば碌な事には成らないだろう。

「そうだな」

「待てッ」

 そこには皇の頭を鷲掴みにした鬼がいた。

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