第41話 お魚咥えた野良猫、おぉっ

「それじゃあな。アル坊も気を付けて帰れよ」


 取り敢えず、褒賞金についての確認が取れた処で、発覚した問題は原因である人物に丸投げして、帰る事にした。


「あ、待って。まだ報酬を渡してないよ」


 そう言って、僕は魚籠の中から、一番身の締りが良いシャケを取り出す。程よく油が乗っていて、艶やかな一品だ。


「おおっ、シャケかっ! 丸ごと一匹貰っていいのか?」

「うん、これが報酬だからね」


 そう言って、シャケを手渡すと、ゴモンのおっちゃんは紐を取り出して、それをエラから口に通して持ちやすくする。


「へへっ。こんなアルバイトならいつでも歓迎だぜ。今晩はシャケ皮の炙りだな」


 後半の言葉は、自分に向けたものなのだろう。今夜の晩酌の肴を手に入れてご機嫌だ。

 そんな機嫌の良いゴモンのおっちゃんと別れを告げて、其々帰路につく。

 陽が傾き、長い影を落としながら、今晩のメニューを考えていると、通りの家からおばちゃんが出てきた。


「あら、アルム。丁度良かったわ」

「こんばんは。どうかしたの?」

「ええ、ヤギの乳の出が良くてね。余っちゃいそうだからおすそ分けに行こうと思ってたのよ」

「へー、新鮮なヤギ乳か~美味しそうだね」

「ええ、搾りたてが一番だからね。入れ物は今度返してくれたらいいから、持って行ってちょうだい」

「うん、ありがとう。今夜の夕食に使わせてもらうよ」


 木を削りだして作られたボトルに入れられた一杯のヤギ乳を貰って、夕食のメニューが広がった。

 ヤギ乳は、濃厚なくせに他の動物の乳よりも癖が無い。どんな料理にも合うので、何を作るか迷ってしまう。

 そんな風に夕飯のメニューを考えながら歩いている時だった。

 突然、目の前を黒い影が通り過ぎて、咄嗟の事で、先程貰ったヤギ乳を庇うように立ち、影の正体を探る。


「お、お前は……」


 その影の正体は直ぐに見つかった。——民家の塀の上に。


「ぶニャー」


 その正体は、この村に住み着いている巨大な野良猫のブチであった。立ち上がると、ミミよりも大きい化け物猫で、野良猫なので決まった名前が有るわけでは無いが、その身体の模様から皆にはそう呼ばれている。


「って、それは僕のシャケっ」


 咄嗟にヤギ乳を庇ったせいで、魚籠を取り落としてしまって、そこから飛び出したシャケの一匹をブチが足蹴にしていた。


「こらっ、返せ! それは今晩の夕食に使うんだっ」

「ぶニャー、ニャッニャッ」


 僕の言葉にも、ブチは太々しい態度で、こちらを小ばかにするように鳴く。そして、シャケを咥えると、身をひるがえして塀の上を悠々と歩き出す。

 僕は慌てて魚籠を拾うと、ブチの後を追った。

 シャケは結構なサイズが有るのに、巨体を持つブチが咥えていると、それ程大きな魚に見えないから不思議だ。


「待て、コラー」


 ブチは、一度ちらりと此方を見ただけで、その後一度も振り返る事なく進んで行く。その姿は、のんびり歩いている様に見えて、実は結構な速度で移動する。それに加えて人が通れないような場所でも平然と移動するので、なかなか彼我の差は縮まらない。


「くそっ、今日こそ逃がしてたまるかっ」


 そして憎らしい事に、今回の様な事は一度だけではない。寧ろ頻繁にブチは色々な人から食べ物を掠め取っている。基本的に、子供からは取らないのだが、何故か僕だけはその標的にされている。

 前も、鶏肉が食べたい気分になって、頑張って狩ってきた獲物を横取りされた事がある。あの時の獲物は、丸々と太っていて、なかなかお目に掛かれない貴重な鳥だったのに、それを見事に掻っ攫われた。

 今日こそは許さない。


「くっ、はぁはぁ、追いついたぞっ、僕のシャケを——」


 必死に追いかけた甲斐あって、ブチが裏路地に入って行くところを目撃した。

 ここは、高い塀に囲まれているうえ、行き止まりとなっているので、確実に追い詰める事が出来る。

 僕はその裏路地唯一の出入り口を塞ぐように立ち、その先に居るであろうブチを探すと、その姿は直ぐに見つかった。——既に半分食べられたシャケと共に。


「僕のシャケがー」

「ぶにゃ?」


 ブチは一度だけ此方を見ると、一瞬で興味を失ったのか、直ぐにシャケを口にする。

 僕が茫然とそれを見ていると、瞬く間にシャケは骨と頭を残して消えていった。


「ぶニャー」


 ブチは大きなシャケ一匹を食べて満足したのか、まるで御馳走様とでも言うように一鳴きする。意外と礼儀正しい。

 いや、人のシャケを盗んで礼儀正しいもなにもないけど、食べるのが余りにも早すぎる。早食い選手権にでれば一番間違いなしの早業だった。

 それに、シャケは生だったはずなのに、周囲には程よく焼いたシャケの匂いが漂っている。正直、理解の範疇を超えている。


「ぶニャ」


 そして、ブチは小さく鳴いて身体をひるがえしたかと思うと、驚きの行動に出た。

 それはまるで、曲芸師のような動きで、壁に向かって飛び着くと、その勢いを利用して、別の壁に飛び移り、最後に民家の屋根へと飛び移った。所謂三角飛びである。

 それを、大きな——ぶっちゃけデブ猫のブチがおこなったのだ。驚きを隠せない。


「そんな方法でこの路地から出られるのか……」


 折角追い詰めたと思ったら、既にシャケは食べられていて、更に逃げ道を塞いだと思ったのに、予想外の方法での脱出。誰がそんな事を予想できるだろうか?

 そして、屋根に登ったブチは、既にこちらに興味が無いのか、振り替えることなく消えていった。


「僕のシャケ……」


 僕の呟きは、秋の夕暮れを彩る、羊雲浮かぶ空へと溶けて行った。


*


「ただいま」


 あれから、暫く茫然としていたけど、よく考えたらもう一匹残っているし、今日食べる分は十分確保できているので、シャケが一匹くらい取られても構わない。別に悔しい訳じゃない。

 帰るのが少し遅くなってしまったが、まだ姉さんも帰って来てないので、気を取り直して夕食の準備に入る。


「んー、ヤギ乳貰ったし、簡単に作れるシチューでいいか」


 帰り道に、どんな料理を作ろうかとワクワクしながら考えていたけど、今はそんな気分にならないから、パッと思いついた物にする。

 シチューには大抵何を入れても合うから、残ったシャケを入れるのも悪くない。

 具材を適当にカットして、ダッチオーブンにバターを敷いて野菜を投入。程よく火が入ったら水を咥えて、煮込んで、アクをとりつつ、根菜に火が通るのを待つ。

 その間に、シャケの鱗を剥いで、捌いて行く。

 お腹の中には沢山の卵が有るけど、これは今日使わないので瓶に詰めて保存しておく。

 後は、三枚におろして、肋骨、中骨を取り除いたら、一口大に切り分ける。

 そして、野菜に火が通ったところにヤギ乳を投入してじっくり煮込んで行く。

 ここで少し時間が空くので、簡単なサラダを作ったり、お風呂の準備もしておく。

 この時、シチューを煮立たせないようにするのがコツだ。程よくヤギ乳が温まって来たところで、シャケの切り身を投入して、じっくり火を通していく。

 最後に、ヤギ乳で溶いた小麦粉を、火から遠ざけてシャケの身が崩れないようにかき回し、とろみをつけていく。

 因みに、この時チーズも一緒に入れると、濃厚なシチューになるのでお勧めだ。

 あれ? 僕は誰に説明しているのだろうか? ブチにシャケが取られたのが結構来ているみたいだ。

 まあ、後はとろみが増すように、トロ火にかけて偶にかき回せばいいか。あ、塩胡椒忘れた。


「ただいまー」


 そして、シチューが完成したと同じタイミングで、姉さんが帰って来た。

 他の物は既にテーブルに並べてあるので、後はシチューを注いで、食事にしよう。

 取り敢えずブチの事は絶対に話すっ!


「おかえり、姉さん」



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