第97話

 シーマ十四世殿下とはつ江ばあさんは舞台袖で、マロとウェネトと共に、ローブの二人組の奮闘に見入っていた。そんな中、コツコツという足音が、四人の元に近づいてきた。一同が足音のする方に顔を向けると、バステトの姿が目に入った。バステトは白いワンピースと、金、紅、瑠璃色のビーズが輝く胸飾りを身につけ、穏やかな表情を浮かべていた。


「バスちゃんや、身体の方は良くなったかい?」


 はつ江もニッコリと微笑んで問いかけると、バステトはコクリと頷いた。


「ええ、おかげさまで。お二人とも、本当にありがとうございました」


 バステトはそう言うと、深々と頭を下げた。バステトの声を聞き、はつ江はホッとした表情を浮かべながら、コクコクと頷いた。


「気にすることはねぇだぁよ! ね、シマちゃん!」


 はつ江が声をかけると、シーマも微笑みながらコクリと頷いた。


「ああ、はつ江の言うとおりだ!」


 二人の言葉を受けて、バステトはニコリと微笑み、再び深々とお辞儀をした。そうこうしていると、ローブの二人組が盛大な拍手に包まれながら、舞台袖へと戻ってきた。


「ただいまー! あ、歌姫だ!」


「時間は稼げるだけ稼いだが、声は大丈夫なのか?」


 黒ローブと灰色ローブが声をかけると、バステトは口の端をニッと吊り上げて、不敵な笑みを浮かべた。


「ええ、このとおり問題ないわ。二人とも、ありがとうね」


 バステトの声を聞き、ローブの二人組もホッとした表情を浮かべた。


「良かった……あの、今回のことは、本当にごめんね……」


「ああ、本当にすまなかった……」


 ローブの二人組が改めて謝罪すると、バステトは苦笑を浮かべた。


「そのことは、もういいわよ。平手打ちで水に流すって言ったでしょ?」


 バステトがそう問いかけると、ローブの二人組も苦笑を浮かべて、ああ、と声を漏らした。バステトは二人組の反応を受けて、満足げな表情で頷いた。


「それでは、皆様はそろそろ観客席の方へ」


「最高の演奏と歌を披露してあげるから、覚悟なさい!」


 話が落ち着いたところで、マロとウェネトがシーマ、はつ江、ローブの二人組に声をかけた。マロとウェネトの言葉を受けて、四人はニコリと微笑んだ。


「それじゃあ、三人とも頑張るだぁよ!」


「三人とも、期待しているぞ!」


「猫ちゃんたちもウサちゃんも頑張ってね!」


「楽しませてもらおう」


 はつ江、シーマ、ローブの二人組が声をかけると、歌姫一行は笑顔で頷いた。そして、四人は舞台袖から観客席の方へ移動していった。


「……ねえ、バステト、ちょっと良い?」


 四人が舞台袖から出ていくと、ウェネトがバステトに声をかけた。


「ええ、構わないわよ。何かしら?」


 バステトが問い返すと、ウェネトは軽く首を傾げた。


「バステトは、なんで歌姫になりたかったの?」


 ウェネトの問いかけに、バステトは穏やかな微笑みを浮かべた。


「そうね……もう悲しまないで、と伝えるためかしらね」


 バステトが答えると、ウェネトは再び首を傾げた。


「それは、前の世界で一緒に暮らしていた家族にむかって?」


「そうね、それもあるわ。前の世界で私は病気で亡くなったんだけど、家族は自分のせいだと言って、最期まで泣いて謝り続けてたから。別にそんなことはなかったし、一緒に暮らしていて幸せだったのにね」


「そっか……」


 バステトが答えると、ウェネトは淋しそうな声で相槌を打った。すると、バステトは苦笑を浮かべて、ウェネトの頭をポンポンとなでた。


「……それと、前にいた世界のことを微かにでも覚えていて、自分がいなくなったことで大事な人を悲しませてしまったと後悔している人って結構いるでしょ?」


 バステトがそう言うと、ウェネトだけでなくマロもヒゲをピクリと動かした。


「……そんな人たちの気持ちも、少しでも穏やかにできたらなって思ったのよ」


「それで、三曲目を作ろうって言い出したんだ……」


 ウェネトがそう声を漏らすと、バステトは、ええ、と相槌を打った。それから、バステトはウェネトにむかってウインクをした。


「せっかく歌姫を名乗るなら、やってくる魂も、去っていく魂も、色々な世界で生きている魂も、全部祝福できるくらいになりたいじゃない?」


 バステトが問いかけると、ウェネトは穏やかに微笑んだ。


「バステトのそういうところには、かなわないな……でも、次の選考会では負けないんだからね!」


「ふふふ。受けて立ってあげるから、喉を治したらいつでもかかってらっしゃい!」


 バステトとウェネトのやり取りをみて、マロは穏やかに微笑んだ。それから、マロはコホンと小さく咳払いをした。


「レディ、ウェネトさん、そろそろ舞台に上がりましょうか」


 マロに声をかけられ、バステトとウェネトは凜々しい表情を浮かべて、同時に頷いた。


「ええ、そうね。二人とも、覚悟は良いかしら?」


「ええ、もちろんです!」


「任せなさい!」


 バステトの問いかけに、マロとウェネトは力強く返事をした。それから、三人は頷き合って、舞台へと上がっていった。


 一方、シーマとはつ江とローブの二人組は、特別席に移動し、歌姫たちの登場を心待ちにしていた。


「そろそろ、皆の準備は終わったかねぇ?」


 はつ江が問いかけると、シーマがコクリと頷いた。


「ああ、兄貴のナレーションも終わったし、そろそろじゃないかな……あ、ほら、始まるぞ!」


 シーマがそう言うやいなや、舞台はスポットライトに照らされ、舞台袖から三人が登場した。三人が胸飾りをキラッと光らせながら舞台中央に移動すると、背後に設置されたガラス板にその姿が映し出された。そして、マロとウェネトが笛と竪琴で悲しげな音を奏で、バステトが深く息を吸い込む。


 それから、バステトは魔界から去っていく魂を悼む歌を歌いはじめた。


 悲しげではあるがどこか温かさのある歌声と演奏に、観客たちは目を閉じて聞き入った。中には、静かに涙を流す人たちもいた。

 去っていく魂を悼む歌が終わると、続けざまに次の曲の前奏が始まった。先ほどの曲とは打って変わって、明るく華やかな曲調に、泣いていた観客たちも涙をふいた。


 そして、バステトは魔界にやって来る魂を歓迎する歌を高らかに歌いはじめた。


 明るく希望に満ちた声に、観客たちの顔には笑みがこぼれる。

 曲が終わると、会場は拍手喝采の渦に包まれた。舞台上の三人は笑顔を浮かべて、頷き合った。そして、バステトがカツカツと舞台の前方に足を進めた。


「皆様、本日は私たちの歌と演奏をお聴きくださり、まことにありがとうございました」


 バステトがそう言って頭を下げると、拍手の音が強まった。そんな中、バステトは頭を上げ、観客席にむかって微笑んだ。


「本日は、最後にもう一曲、新しい曲がありますので、もう少しお付き合いくださいませ」


 バステトがそう言うと、拍手の音が更に強まってから段々と小さくなっていった。拍手の音が完全に聞こえなくなると、三人はコクリと頷いた。

 それから、マロとウェネトが笛と竪琴で、穏やかな曲を奏ではじめた。バステトは前奏に聴き入るように目を閉じてから、深く息を吸い込んだ。そして、目を開き最後の曲を歌いはじめた。



 愛しい人よ

 もう泣かないで

 私たちなら

 ここにいるから

 あなたが望んでくれたように

 痛みもなく

 穏やかに

 幸せに

 ここで生きている

 だからあなたも

 どうか幸せに



 バステトは慈愛に満ちた声で、短いフレーズを歌い上げた。それから、マロの笛の独奏、ウェネトの竪琴の独奏が続き、再び前奏と同じ音楽が奏でられた。そして、バステトは再び先ほどのフレーズを歌いはじめた。すると、シーマたちを含めた観客たちも、別室で聴いていた魔王も、バステトに併せて歌を口ずさみはじめた。その歌声は、いつの間にか星が輝きはじめていた空に昇っていった。



「……皆様、今日は本当にありがとうございました」


 歌が終わると、バステトの言葉を皮切りに歌姫一行は深々と頭を下げた。すると、会場は本日一番の盛大な拍手に包まれた。もちろん、特別席のシーマ、はつ江、ローブの二人組、別室の魔王も、席を立って歌姫一行に拍手を送っていた。


「すごく素敵なお歌だったね、シマちゃん」


「ああ、本当にそうだな!」


「音楽会の邪魔、成功しなくて良かったね……」


「ああ、まったくだ……」


 はつ江、シーマ、ローブの二人組は感動しながら、そう口にした。


 こうして、波乱続きだった音楽界も、無事に幕引きを迎えたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る