第72話 カリッ

 天窓から降り注ぐ暖かな陽射し。


 出窓に飾られた季節の花々。

 

 壁に備え付けられた棚に並ぶ、色とりどりの飴玉が詰まったガラス瓶。


 レースのクロスが掛けられたまるいテーブル。


 落ち着いた色をした布張りの椅子。


 部屋に流れるゆったりとした曲調の音楽。


 ここは「アメ屋さん」の二階。

 魔界屈指の人気を誇る和み系のカフェスペース。


 そんなカフェスペースに、シーマ十四世殿下一行は案内された。


「それでは、ご注文のアメとお茶をお持ちいたしますので、少々お待ちくださいね」


 アメ屋さんの店主はそう言うと、ペコリと頭を下げてカフェスペースを出ていった。すると、部屋の様子を見渡したはつ江が、感心したように、ほうほう、と声を漏らした。


「すごく可愛らしいお部屋だねぇ」


 はつ江の反応を受けて、シーマが得意げな表情を浮かべて、ふふん、と鼻を鳴らした。


「その通りだ、はつ江!しかも、今日みたいに天気が良い日は、ぽかぽかして気持ちいいし、椅子の座り心地も最高なんだぞ!」


 シーマはそう言うと、布張りの椅子にポフンと腰掛けた。続いて、はつ江、バステト、マロも腰掛ける。すると、バステトが目を見開いて、胸の辺りでポンッと手を打った。


「まあ!殿下のおっしゃる通り、とても座り心地の良い椅子ですわね!」


 バステトの言葉を受けて、マロが目を細めながらコクコクと頷いた。


「本当ですね。何だか、お昼寝をしたくなってしまいます。ふぁあ」


 マロは欠伸をしながら、本当に眠ってしまいそうな表情を浮かべた。すると、バステトが耳を反らしながら、マロをコツリと小突いた。


「マロ、今は殿下達に事情をお話しするのが先でしょ!」


 バステトに叱られ、マロは苦笑を浮かべながらペコリと頭を下げた。


「すみません、皆さん。あまりにも心地良かったので、つい」


 マロが謝ると、バステトは、もう、と呟いて、深くため息を吐いた。二人の様子を見て、はつ江とシーマはニコリと笑顔を浮かべた。


「気にすることねぇだぁよ、マロちゃん!こんなにぽかぽかしてるんだから、眠くなってもしかたねぇだぁよ」


「そうだな。ボクも油断したら眠ってしまいそうだから、お茶が来たら話をすすめようか」


 はつ江とシーマが声をかけると、バステトとマロは苦笑しながらペコリと頷いた。

 それから、程なくして店主がお茶、試食用の飴玉、はつ江が注文したたんきりアメを一同のもとに運んできた。店主は注文の品をテーブルに置くと、ペコリとお辞儀をした。


「それでは、皆様ごゆっくり」


「ああ、ありがとうな店主!」


「ありがとうね!」


 お辞儀をする店主に向かって、シーマとはつ江はニッコリと笑いながら声をかけた。すると、店主もニコリと笑い、いえいえ、と返事をした。そして、また一礼すると、カフェスペースを後にした。

 店主が退出したのを見送ると、バステトはカトレア模様のティーカップを手に取った。そして、ジンジャーティーを一口飲むと、軽くため息を吐いた。


「それでは、ウェネトのことについて、お話しいたしますわ」


 バステトがそう言うと、はつ江がほうじ茶を一口飲んで首を傾げた。


「ゑねとちゃんは、なんで出ていっちゃったんだい?」


 はつ江に続いて、ミルクティーを一口飲んだシーマも首を傾げた。


「それに、さっきの、私の方がバステトに相応しい、っていうのは?」


 二人の問いかけに、緑茶を一口飲んだマロが、そうですね、と声を漏らした。


「えーと……殿下は、『レディ・バステト』が代々受け継がれている、熱砂の国における歌姫の称号というのはご存知ですね?」


 マロが問いかけると、シーマがコクリと頷いた。


「ああ。はつ江は知らないと思うから説明するけど……熱砂の国にある音楽院の中で、一番歌の上手いケット・シー族に贈られる称号だよな?」


 シーマが問いかけると、マロはコクリと頷いた。


「ええ。概ね殿下のおっしゃる通りです」


 マロが相槌を打つと、はつ江は、ほうほう、と声を漏らした。


「そうなのかい。そんで、その音楽院ってのは、どんなところなんだい?」


 はつ江が首を傾げると、バステトがジンジャーティーを一口飲んでから、そうですわね、と呟いた。


「音楽の専門学校、というのが分かりやすいですわね。トビウオの夜の度に、音楽の素質がある赤ん坊達が集まるんですの。それで、先輩達が親代わりになりながら、共同生活を行い、共に音楽を学ぶんですのよ」


 バステトが説明すると、はつ江はコクコクと頷いた。


「ほうほう、そうなのかい。それで、その学校を出た子達は、バスケットちゃんみたいに、歌手になるのかね?」


 はつ江が尋ねると、バステトはふるふると首を横に振った。


「歌い手になる者だけでは、ありませんわ。他には、楽器の演奏家になったり、作曲家になったり、各地の学校で音楽を教える教師になったり、音楽院に残って後輩達に指導をする講師になったり、進路は様々ですのよ」


「そうそう。今、魔界の音楽界で活躍している人たちの中には、音楽院の出身者が沢山いるんだ。中には、今をときめくトップアイドルなんかもいるんだぞ!」


 バステトの説明に、シーマも得意げな表情で続いた。すると、はつ江は目を見開いて、大げさに驚いた表情を浮かべた。


「あれまぁよ!そうなのかい!それは、すごい学校なんだねぇ」


 はつ江が感心したようにそう言うと、マロが苦笑を浮かべながらフカフカの頬を掻いた。


「まあ、指導の厳しさは、学校と言うよりも軍の訓練施設なみなんですけどね……」


 マロが正直な感想を呟くと、バステトが鋭い目を向けた。


「マロ、話の腰を折るんじゃないのよ」


 バステトに叱られ、マロは耳を伏せてヒゲをダラリと垂らした。


「す、すみません、レディ」


 マロが謝ると、バステトは、まったく、と呟き、再びジンジャーティーを口にした。それからバステトは、シーマとはつ江にニコリと笑いかけた。


「失礼いたしました。ともかく、そのように音楽全般を学ぶのが、私達の音楽院ですのよ」


 バステトがそう言うと、マロがコクリと頷いた。


「そして、そんな音楽院に所属する者の中から三十年に一度、資格がある者を一人、歌姫として選出するんです」


 そして、歌姫についての説明を付け加えた。すると、バステトが悲しげに目を伏せて、ジンジャーティーを一口飲んだ。


「その最終選考があったのが、去年の暮れでしたの。残ったのは、私とウェネトの二人でしたわ」


 バステトはそこで言葉を止めると、どこか淋しげな表情を浮かべた。


「まあ、私もあの子も、物心ついた頃から歌姫を目指していましたから、当然の結果でしたわね」


 そして、懐かしそうに呟くと、ジンジャーティーをまた一口飲んだ。そんなバステトの言葉を聞いて、シーマは目を丸くして驚いた。


「え!?歌姫レディ・バステトは、ケットシー族が襲名するんじゃなかったのか!?」


 シーマが驚くと、隣の席でたんきりアメを口にしていたはつ江が、キョトンとした表情を浮かべた。


「ひはひゃんひゃ、へへほひゃんは、へほひゃんはほはひ?」


 はつ江がアメをほおばりながら尋ねると、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らした。


「はつ江、年齢が年齢なんだから、アメを舐めながら話すのは止めてくれ。喉に詰まっちゃったら、大変だろ」


 シーマが脱力しながら注意すると、はつ江は無言でコクリと頷いた。はつ江が言葉を止めると、シーマは脱力しながらも、どこか安心したようにため息を吐いた。


「分かってくれればいいんだ。あと、ウェネトさんは、どう見てもネコ科ではないと思うぞ」


 シーマが質問に答えると、はつ江は納得したようにコクコクと頷いた。

 二人のやり取りを見て、バステトとマロは驚愕した表情を浮かべた。


「い、今ので、森山さんが何をおっしゃっていたか、分かったんですの?お二人の以心伝心ぶりには、感服いたしますわ……」


「僕には、ほひほひ、とおっしゃってるようにしか、聞こえませんでした……お二人とも、息ピッタリなのですね」


 バステトとマロが驚いていると、シーマは照れくさそうな表情を浮かべた。そして、片耳をパタパタと動かしながら、コホンと咳払いをした。


「ま、まあ、その辺りは気にしないでいてくれ。ところで、何故、ウェネトさんがレディ・バステトの候補になっていたのですか?」


 シーマが改めて問いかけると、バステトはハッとした表情を浮かべた。


「殿下、失礼いたしました。それで、レディ・バステトになる資格ですが、ケットシー族であること、ではないんですのよ」


 バステトが説明すると、シーマは再び目を丸くした驚いた。


「そうだったのか!ボクはてっきり、ケットシー族が襲名するものだとばかり思っていたよ」


 シーマがそう言うと、マロが苦笑を浮かべて、フカフカの頬を掻いた。


「あはは、無理もありませんよ。ここ数代はケットシー族ばかりでしたし、候補者もケットシー族がほとんどですから」


 マロがフォローの言葉を口にすると、はつ江がコクコクと頷いた。そして、はつ江は口の中で小さくなったアメをカリッと噛み砕くと、ほうじ茶を一口飲んだ。アメとほうじ茶を飲み込んだはつ江は、一息つくとキョトンとした表情で首を傾げた。


「それで、バスケットちゃんを名乗れるのは、どんな子達なんだい?」


 はつ江が尋ねると、バステトは目を伏せてジンジャーティーを一口飲んだ。


「この世界に生まれる前に、『バステト』という名を持っていた者達が、レディ・バステトになる資格がある者ですの」


 バステトが答えると、はつ江は、ほうほう、と声を漏らしながら頷いた。一方シーマは、意外そうな表情で、へえ、と声を漏らした。


「他の世界でも、『バステト』という名前が使われることがあるのか……」


 シーマが感慨深そうに呟くと、マロがコクリと頷いた。


「ええ。初代バステトが活躍していた頃は、世界観の行き来が今よりももっと柔軟にできたそうですから」


「そうね。だから、他の世界へ公演に行くことも多数あったそうですのよ。ときには、その歌声の素晴らしさと、その姿の愛らしさから、信仰の対象になったりもしていたそうですの」


 バステトがマロに続いて説明すると、はつ江は胸の辺りでポンと手を叩いた。


「そうだ、そうだ!むかし、世界の不思議を発見するテレビ番組で、砂漠には猫ちゃんの神様がいるって聞いたことがあっただぁよ!」


 はつ江がそう言うと、シーマは感心したように、へえ、と声を漏らした。


「そうだったのか……」


 シーマが感心していると、マロが苦笑を浮かべながら尻尾の先をピコピコと動かした。


「まあ、初代バステトがケットシー族だったためか、ネコ科の生き物の名前として用いられるのが一般的なんですけどね」


 マロの言葉を受けて、バステトは目を伏せて深いため息を吐いた。


「よりにもよってウサギ科の子が、前世で歌姫の名前を持っていたというのがね……」


 バステトの反応を見たはつ江は、キョトンとした表情で首を傾げた。


「ウサちゃんが歌姫さんだと、何か都合が悪いのかね?」


 一方シーマは、納得がいったと言いたげに、コクコクと頷いた。


「そうか、ウェネトさんはウサギ科だものな……」

 

 カフェスペースには、どこか淋しげなシーマの呟きが響いた。

 こうして、モンキーポッドくらいに気になる状況になりながらも、「レディ・バステト」を巡る因縁話は続いていくのだった。

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