第65話 ジトッ

 空は赤く染まり


 大地には奇っ怪な枝振りの木々が生い茂り


 以下省略


 ここは魔界。

 魔のモノ達が住まう禁忌の地。


 その魔界の一角に聳える険阻な岩山の頂には、白亜の城が築かれている。


 その城の中で……


「今日は来客の予定が一件あるのか……もうダメだ、消えてしまいたい……」


 漆黒の服を身に纏った青年が、絶望しきった表情を浮かべて、ダイニングテーブルにもたれていた。


 赤銅色の艶やかな長髪


 髪と同じ色の虹彩を持つ目


 きめの整った白い肌


 側頭部から伸びる堅牢な角


 彼は魔王。

 魔界を統べる王にして、日常生活に若干支障が出る程の人見知りだ。


 魔王が落ち込んでいると、向かいの席から深いため息の音が聞こえてきた。


「兄貴、頼むから、等身大の写真を玉座に置いてボクに全部対応を任せる、とかはしないでくれよ?」


 ため息と声の主は、フリルのついた襟のシャツにネクタイを締め、サスペンダーつきの黒い半ズボンをはいた仔猫だった。


 サバトラ模様の艶やかな毛並み。


 内側にフワフワの毛が生えた三角形の大きな耳。


 空色の虹彩を持つ大きなアーモンド型の目。


 ピンク色の小さな鼻とフカフカの白い口元。


 彼はシーマ十四世殿下。

 魔王の弟にして、魔王城のキューティーマジカル仔猫ちゃんの異名を持つほどの、可愛らしい猫だ。


 シーマに声をかけられた魔王は、ギクリとした表情を浮かべた。そして、シーマから目を反らすと、わざとらしく口笛を吹いた。


「な、何を言っているんだシーマ。お兄ちゃんがそんなことするはずないじゃないかー」


 魔王の白々しい言葉を受けて、シーマは尻尾をパシンと縦に大きく振った。


「ごまかしてるのがバレバレだぞ!この、バカ兄貴!」


 シーマは耳を後ろに反らして、抗議の声を上げた。すると、魔王はしょげた表情を浮かべて、すまない、と呟いた。

 二人がそんなやり取りをしていると、キッチンスペースの方向からガラガラという音が近づいて来た。


「あれまぁよ、今日はお客さんが来るのかい?」


 声の主は、クラシカルなメイド服を身に纏って、朝食を載せたワゴンを押す老女だった。


 丁寧に整えられたパーマのかかった短い白髪頭。


 黒目がちで円らな瞳。


 笑いじわが深く刻まれた目元と口元。


 小柄でもピンと伸びた背筋。


 彼女は森山はつ江。

 御年八十八にして、魔界に来ても一切動揺しない程のハツラツ婆さんだ。


 はつ江がキョトンとした表情で尋ねると、魔王はダイニングテーブルから身を起こし、ああ、と返事をした。


「熱砂の国の歌姫と、その護衛の方だそうだ」


 魔王が説明すると、はつ江は、ほうほう、声を漏らしながら、ダイニングテーブルに朝食を並べ始めた。


「歌姫さんが来るってことは、お歌の公演があるのかい?」


 はつ江が再び問いかけると、魔王はコクリと頷いた。


「ああ。明日の夕方から、トビウオの夜で旅立つ者達へのはなむけとして、音楽会が開催されるんだ」


「ほうほう、そうなのかい」


「それで、本来は明日こちらに来る予定だったんだが、歌姫が少し観光をしたいと言い出したらしくてな。だから、シーマには、この辺りの案内をしてもらうことになっているんだ。はつ江も、一緒に観光してくるといい」


「あれまぁよ!それは、楽しみだねぇ」


 魔王の言葉を受けて、はつ江は嬉しそうにニッコリと微笑んだ。一方のシーマは、ギョッとした表情を浮かべて、ダイニングテーブルに身を乗り出した。


「ちょっと待て兄貴、そんな話は聞いてないぞ!?」


 シーマが声を上げると、魔王は焦った表情を浮かべた。


「え!?でも、一週間前に伝え……」


 魔王は、伝えた、と言いかけたが、ハッとした表情を浮かべて口を噤んだ。そして、シーマから目を反らすと、気まずそうに頬を掻いた。


「えー……そのー……伝えようとしたところで、リッチーから急に休暇の申請があったから、色々とバタバタとして、だな……」


 しどろもどろになる魔王に向かって、シーマはジトッとした目を向けた。


「つまり、伝え忘れてたわけだな?」


「……すまなかった」


 魔王がうな垂れながら謝ると、はつ江がカラカラと笑いだした。


「わはははは。そういうことも、あるだぁよ!」


 はつ江が笑顔でフォローすると、シーマは尻尾とヒゲをダラリと垂らして脱力した。


「まったく兄貴は……今日明日は緊急性の高い仕事の依頼がなかったからよかったけど、次からは気を付けてくれよ……」


 二人の言葉を受けて、魔王はうつむきながらもコクリと頷いた。


「ああ、気を付けることにしよう……」


 魔王がそう言うと、朝食を並べ終えたはつ江がニッコリと微笑んで、シーマの隣の席に腰掛けた。


「そんじゃあ、過ぎたことの話はここまでにして、朝ご飯にしようかね!」


 はつ江が声をかけると、シーマと魔王は声を合わせて、はーい、と返事をした。

 

 それから、三人は黙々と朝食を食べていた。しかし、不意にシーマが、焼き魚を切る箸を止めて、小さくため息を吐いた。シーマの様子を見たはつ江は、インゲンのゴマ和えを掴もうとした箸を止めて、首を傾げた。


「どうしたんだい、シマちゃん?お腹が痛くなっちまったのかね?」


 はつ江が心配そうに尋ねると、シーマはハッとした表情を浮かべた。そして、すぐにブンブンと顔を横に振った。


「そんなことないぞ、はつ江!ただ、ちょっと心配ごとがあって……」


 シーマがそう言うと、ジャガイモの味噌汁を一口飲んだ魔王が、椀を置いて心配そうな表情をシーマに向けた。


「心配ごと?モロコシ君とケンカでもしちゃったのか?もし、一人で謝りに行くのが心細いなら、俺も一緒について行くぞ?」


 魔王に声をかけられたシーマは、耳を反らして尻尾をパシパシと振った。


「違う!それに、ケンカしたとしても、一人で謝りに行けるからな!」


「じゃあ、心配ごとってのは、何なんだい?」


 はつ江が再び首を傾げると、シーマは尻尾の先をピコピコと動かした。


「ああ。ほら、この間『超・魔導機☆』が盗掘されてたことが分かって、昨日は『月刊ヌー特別号』の『超・魔導機☆』に関する記事が盗まれていたことが分かっただろ?だから、誰かが悪用しようとしてるんじゃないかって思ったら、不安で……」


 シーマが答えると、魔王が何故か安心したように小さなため息を吐いた。


「なんだ、そんなことだったか」


 魔王がそう呟くと、シーマは不服そうに耳を反らして、尻尾をユラユラと揺らした。


「そんなこと、とはなんだよ。兄貴は心配じゃないのか?」


「その、なんとかなんとかってのは、悪いことにも使えるもんなのかね?」


 シーマとはつ江が尋ねると、魔王は不敵な笑みを浮かべた。


「ふふふ、心配することはない。そもそも、『超・魔導機☆』というのは、願い事を叶えるための魔導機なんだが、願い事を叶えるためには条件があってな」


「条件があるのか?」


 シーマが問い返すと、魔王はコクリと頷いた。


「ああ。例えば、その願い事が誰かを傷つけるものだったり、傷つける可能性があるものだったりする場合は、却下されるようになっているんだ。その判定がかなりシビアに設定されているから、悪事に使うことは勿論、一件無害そうな願い事も滅多に叶わないようになっている」


 魔王が説明すると、はつ江は感心したように、ほうほう、と声を漏らしながらコクコクと頷いた。一方のシーマは、片耳をピコピコと動かして、不服そうな表情を浮かべた。


「それなら、いいけど……滅多に願いを叶えてくれないのに、なんで『もの凄く凄いもの』なんて言われてるんだ?」


「他にも、何か凄いことができるのかね?」


 シーマとはつ江が尋ねると、魔王は真剣な表情を二人に向けた。


「二人とも、心して聞いてくれ……」


 魔王がそこで言葉を止めると、シーマとはつ江も真剣な眼差しを魔王に向けた。すると、魔王は口を開き……




「願い事が叶わなかった残念賞として、もの凄く美味しい飴玉を一個作ってくれるからだ!」



 

 胸元で箸を握りしめて、高らかにそう叫んだ。


「……」

「……」

「……」


 途端に、三人の元に気まずい沈黙が訪れる。


「あ、あれ?凄いこと……だよな?」


 沈黙を打ち破ったのは、困惑した魔王の声だった。魔王の確認に対して、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力した。


「まあ……たしかに、もの凄く美味しい飴をもらったら嬉しいけど……」


 シーマは釈然としない表情でそう呟いた。一方、はつ江はカラカラと笑いだした。


「わはははは!お祭りのときシマちゃん達にもらった飴くらい美味しい飴がもらえるなら、凄いことだぁよ!」


 はつ江がフォローすると、魔王は目を輝かせながらコクコクと頷いた。


「そうだよな!いつか、人見知りを直したい、という願い事を却下されて、美味しい飴をもらってみたいものだ……」


 魔王がシミジミとそう言うと、シーマがヒゲと尻尾をダラリと垂らしたまま、小さくため息を吐いた。


「兄貴、そこはちゃんと、人見知りを治してもらってくれ。いや、『超・魔導機☆』に頼ろうとしないで、自分から治すように努力してくれ……いや、むしろ今日これから歌姫達の来訪があるなら、今すぐにでも治してくれ。頼むから」


 段々とエスカレートするシーマの要求に、魔王はタジタジとした表情を浮かべた。


「き、急にそんなこと言われても……お兄ちゃん、困っちゃう」


「なに、ちょっと可愛く言ってるんだよ!?」


 魔王の言葉に、シーマは尻尾をパシンと縦に大きく振って抗議した。すると、魔王はションボリとした表情を浮かべて、肩を窄めた。


「今日の来客は頑張るから、そんなに怒らないでくれ……」


 魔王が力無くそう言うと、はつ江がニコリと微笑んだ。


「大丈夫だぁよ、ヤギさん。モロコシちゃんやゴロちゃんや私とも仲良くできてるんだから、歌姫さん達とも仲良くできるだぁよ」


 はつ江がフォローすると、魔王は小さな声で、そうか、と呟いた。その様子を見たシーマは、片耳をパタパタと動かしながら、小さくため息を吐いた。


「そうだぞ、兄貴。それに、先方に対して何か失礼なことしちゃっても、ボクとはつ江でフォローするから」


「そうだぁよ!だから、安心しておくれ、ヤギさん」


 シーマに続いて、はつ江もニッコリと笑いながらそう言った。すると、魔王は顔を上げて、ニコリと微笑んだ。


「そうか……ありがとうな、二人とも」


「わははは!このくらい気にすることねぇだあよ!」


 魔王の言葉に対し、はつ江はカラカラと笑い……


「ふ、ふん!長い間兄貴の補佐をしてるんだから、対応に慣れてるだけだからな!」


 シーマは耳と尻尾をピンと立てながら、そっぽを向いた。


 かくして、「超・魔導機☆」について漸くまともに説明されながらも、仔猫殿下とはつ江ばあさんの歌姫おもてなし大作戦が幕を開けるのだった。 

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