第35話 バーン

 モロコシを加えたシーマ十四世殿下一行は、街から少し離れた林の中にやってきていた。一同の目の前には、大きな鉄製の扉が特徴的な、レンガ造りの一軒家が建っている。


「ごめんくださーい!」


 モロコシは片手でリンゴのカゴを抱えながら、もう片方の手でポフポフと鉄の扉をノックして住人を呼びかけた。すると、扉の奥からガタンという音が聞こえてきた。そして、ズンズンという足音とともに、地面が微かに震えた。足音は四人に近づくと一旦おさまり、扉の内から鍵を開ける音がカチャカチャと響く。

 そして、扉がバーンと勢いよく開くとともに、住人が姿を現した。背丈がはつ江の三倍近くある筋骨隆々な体、微かに緑色を帯びた灰色の肌、尖った耳と、少し上を向いた鼻……現れたのは、オークの炭焼き職人、樫村だった。

 樫村は、簡素なズボンとシャツを着て革製のエプロンという出で立ちで、腕を組みながら四人をジロリと見下ろした。その姿にシーマは思わず耳を伏せて尻尾の毛を逆立て、蘭子は目を丸くしながら冷や汗をかいた。


「樫村さん、こんにちはー!」


「こんにちは!」


 しかし、モロコシとはつ江は怯むことなく、ニッコリと笑顔を浮かべて元気よく挨拶をした。すると、樫村は、ふん、と鼻を鳴らしてから身をかがめてモロコシの顔を覗き込んだ。


「なんだ、リンゴ屋の坊主か。お使いか?」


 樫村の問いかけに、モロコシはコクリと頷く。


「うん!ご注文のリンゴをお届けにきましたー」


 モロコシが答えると、樫村はモロコシの頭を軽く撫で、ありがとな、と呟いてリンゴのカゴを受け取った。そして、はつ江の方に顔を向けると、眉を顰めて訝しげな表情を浮かべた。


「そんで、そっちの婆さん達は、何もんだ?」


 樫村の言葉に、それまで固まっていた蘭子が、ハッとした表情を浮かべてからペコリと頭を下げた。


「わ、私は魔界水道局中央本部水源管理科の、緑川蘭子と申します!本日は井戸の定期調査に参りました!」


「えーと……その調査の手伝いをしているシーマだ」


「同じく、お手伝いの森山はつ江だぁよ!宜しくね!樫村さん!」


 蘭子に続いてシーマとはつ江が自己紹介をすると、樫村は、そうか、と呟いてしばし黙り込んだ。そして、深いため息を吐くと、かがめていた身を起こした。


「リンゴ代は今持ってくる。水道屋に用はないから、リンゴ屋の坊主と一緒に帰れ」


 樫村はそう言うと、四人に背を向けて部屋の中へ戻ろうとした。ぶっきらぼうな樫村の態度に、シーマとはつ江とモロコシは呆然とした。しかし、蘭子だけは手を握りしめて、樫村に向かって声を掛けた。


「ま、待ってください!樫村様!どうか、そのようなことをおっしゃらないでください!」


 蘭子が必死な声で呼びかけると、樫村は振り返らずに脚を止めた。


「……嬢ちゃん達に恨みはないが、あの井戸を潰せというような奴がいる水道屋には、関わりたくないんだよ」


 樫村はそう言うと、深いため息を吐いて再び脚を進めようとした。しかし、蘭子も諦めずに手を握りしめたまま、脚を一歩踏み出した。


「確かに、前回は調査後の対応が不適切でした!その件については、まことに申し訳ございません!しかし、井戸をこれからも安全に使い続けていただくためにも、この調査が必要なんです!」


 蘭子は叫ぶようにそう言うと、勢いよく頭を下げた。


「民達には安全な水を使ってもらいたいんだ。どうか、頼むよ」


「お水に何かあって、病気になっちまったら、大変じゃないかい。だから、宜しくお願いするだぁよ」


「樫村さんが病気になっちゃったら悲しいから、ぼくからもお願いします!」


 蘭子に続いて、シーマ、はつ江、モロコシも深々と頭を下げた。すると、樫村は脚を止めて短い髪が生えた頭をボリボリと掻いた。そして、軽く鼻を動かすと、深いため息をついた。


「……まあ、嬢ちゃんからは真面目そうな匂いがするな。それに、殿下や、気のよさそうな匂いのする婆さんや、いつも世話になってるリンゴ屋の坊主に、わざわざ頭を下げられちゃなぁ……だがなぁ……」


「樫村の旦那ー!ごめんくだせぇ!」


 樫村がぼやいていると、五人の背後からハスキーボイスが響いた。五人が同時に振り返ると、赤いチョッキを着てベージュ色のズボンをはいたカナヘビが、虫かごを両手に抱えて駆け寄ってきていた。


「あー!チョロさんだー!」

 

 モロコシが耳と尻尾をピンと立てて、手を振るとチョロは円らな目を更に丸くした。そして、五人の元にたどりつくと、ペコリと頭を下げた。


「皆様!どうもこんにちは!」


 チョロが挨拶をすると、五人も同時にペコリと頭を下げて挨拶の言葉を口にした。


「チョロちゃんや、今日はお仕事かね?」


 頭を上げたはつ江がニッコリ笑って尋ねると、チョロも円らな瞳を細めて笑顔を浮かべながら頷いた。


「へい!本日は樫村の旦那からご注文をいただいた、ギンバネスストリマメバッタをお届けにあがりやした!」


 チョロはそう言うと、虫かごをはつ江の顔の辺りに掲げた。虫かごの中には、灰色の体と銀色の前翅を持つ小さなバッタがワサワサと入っていた。虫かごの中身を見たモロコシは、ボダンのように丸い緑色の目を輝かせた。


「わあ!ギンバネスストリマメバッタさんだぁ!殿下、はつ江おばあちゃん、蘭子さん、このバッタさんは、煤しか食べない、凄く珍しいバッタさんなんだよ!火山の近くとか、山火事の後の山でしか見つからないの!あとね、あとね、色がとってもカッコいいから、人気なの!」


 モロコシは耳と尻尾をピンと立てて、鼻をピスピスと鳴らしながら説明した。すると、シーマは片耳をピコピコと動かしながらフカフカの頬を掻き、はつ江はニッコリと笑いながらモロコシの頭をポフポフと撫で、蘭子は感慨深そうに頷いた。


「そ、そうなのか……相変わらず詳しいな、モロコシ」


「ほうほう、そんなに珍しいバッタが見られるなんて、嬉しいねぇ」


「一昔前は住宅地でもよく見かけたそうですが、最近では煙突があるご家庭が少なくなったから、あまり見かけなくなった、と聞いたことがありますね……」


 四人の反応を見て、樫村は再び頭をボリボリと掻いた。


「大した額でもなかったから、炭窯の煙道掃除用にと頼んでみたが……そんなに珍しい奴だったのか。世話かけたな」


 樫村はそう言うと、チョロに向かって軽く頭を下げた。


「いえいえ!とんでもございやせん!樫村の旦那には、親方共々いつも世話になっておりやすから、このくらいの依頼はなんのそのでございやすよ!」


 チョロは首を左右に振ってそう言うと、樫村に虫かごを手渡した。そして、蘭子の方に顔を向けると、キョトンとした表情を浮かべて首を傾げた。


「ところで、樫村の旦那。そちらのカッパのお嬢さんは、どなたでございやすか?」


 チョロの言葉に、蘭子はハッとした表情を浮かべてから、慌てて頭を下げた。


「申し遅れてしまいました。私は、魔界水道局中央本部水源管理科の緑川蘭子です」


「そうでございやしたか!アッシはバッタ屋さんのチョロでございやす……ん?」


 チョロは名乗った後に、再びキョトンとした表情を浮かべた。そして、口元に細長い指をあてると、眉間にしわを寄せて、うーん、と唸った。


「水道局の……緑川さんってーと……」


 そして、そう呟くと、再び腕を組んで、うーん、と唸りだした。


「蘭子ちゃんや、チョロちゃんと知り合いだったのかい?」


「知り合いだったのー?」


 はつ江とモロコシが首を傾げて尋ねると、蘭子も眉間に指をあてて、えーと、と呟いた。


「いえ……お会いしたのは、今日がはじめて……だと思うのですが……」


 蘭子が悩みながらも答えると、シーマが尻尾の先をクニャリと曲げて首を傾げた。


「でも、あの感じだと、どこかで会ったことがあるような雰囲気だぞ?」


 シーマがそう尋ねると、樫村もチョロに目を向けてから訝しげな表情を浮かべて、そうだな、と呟いた。


「そう……ですよね……あと、少しで何か思い出しそうなんですが……」


 蘭子がそう口にすると、不意にチョロの円らな目が見開かれた。


「そうだ!思い出しやした!」


 チョロはそう言うと、蘭子の手を両手で握りしめた。


「え、えーと、チョロさん!?」


 混乱する蘭子をよそに、チョロは手を握りしめて拝むように頭を下げた。


「緑川のお嬢!その節は、大変お世話になりやした!バッタ屋さん一同、緑川のお嬢には感謝していやす!」


「あ、あの、申し訳ございません。私、まだ何のことか思い出せていなくて……」


 チョロの言葉に、蘭子を含めた全員があっけにとられていた。しかし、チョロは動じることなく蘭子に向かって、ニッコリと微笑んだ。


「ほら、あのときでございやすよ。一ヶ月前に、水道が使えなくなった、って連絡して……」


 チョロがそう言うと、蘭子は視線をずらして考え込んだ。そして、少しの間を置いてから、蘭子は目を見開いた。


「ああ!あのとき、ご連絡いただいたのは、チョロさんだったのですね!」

 

「へい!その通りでございやす!あのときは、本当に助かりやした!」


 チョロは嬉しそうな表情を浮かべてそう言うと、蘭子の手を再びギュッと握った。二人の様子を見たシーマは、尻尾の先をクニャリと曲げて、フカフカの頬を掻いた。


「えーと、詳しい事情はよく分からないが……二人は知り合いだったってことでいいのか?」


「思い出せて良かっただぁね!」


 シーマに続いて、はつ江もカラカラと笑いながら声を掛けた。 すると、チョロは二人に顔を向けて、ニッコリとしながら頷いた。


「へい!緑川のお嬢は、アッシらバッタ屋さんの恩人でございやすよ!」


「お、恩人なんて……そんな、滅相もありません……」


 チョロが意気揚々とそう言うと、蘭子は恥ずかしそうに頬を赤らめて視線を反らした。


「ねーねー、一ヶ月前に何があったのー?」


 モロコシが鼻をピスピスと鳴らして、興味津々といった表情で尋ねると、樫村も腕を組みながらコクリと頷いた。


「そうだな。バッタ屋の連中がなんでこんなに恩に着ているのかは、少し、興味がある」


 樫村がそう言うと、チョロは蘭子の手を放してから、コホンと咳払いをした。


「それでは……知らざぁ言って聞かせやしょう!」


 そう言ってチョロが片足を踏みならすと、はつ江はパチパチと拍手を送った。


「よっ!待ってました!」


「まってましたー!」


 はつ江が相の手を入れると、モロコシも真似をして、ポフポフと拍手を送りながら相の手を入れた。


「はつ江もモロコシも、なんでそんなにノリノリなんだよ……」


「まあ、芝居みたいな切り出し方だったからな……」


「何というか、恐縮です……」


 二人の様子を見て、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力し、樫村は気まずそうな表情で頭をボリボリと掻き、蘭子は恥ずかしそうに下を向いた。

 そんなこんなで、期待と脱力が入り交じる中、チョロの口上がはじまるのだった。

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