第2話 黄色のゼラニウム

 ふと気がつけば、晴太はるたは花の植え替えにせっせと勤しんでいた。

 すぐ隣で、砂場で遊ぶ幼児のようにほっぺに泥をつけたたちばな 冬美ふゆみに、恩着せがましく言いくるめられたのだ。


「あの、頬に土付いてますよ。あと髪にも」


 手を動かしつつ、横目で伝える。


「ほんと?」


 きょとんとした顔で彼女は、肩で拭うと、


「ほんとだ」


 と満足そうに、えへへと子供みたいにはにかんだ。


「まだ髪にも付いてますって」

「えー取ってー」

「自分で取ってくださいよ」

「私、軍手してるもん」


 見てわからない? と言いたげな顔で、ひらひらと軍手を見せびらかす。


「僕もしてますけど」


 土をいじるので、もちろん装着済みだ。それに渡してきたのは彼女だ。


「いいから早く!」


 何が楽しいのか、やけに楽しそうに催促してきた。


「はいはい」


 軍手を外して、土の付いている顳顬こめかみあたりの髪の毛を少し摘んだ。

 たった十数本程度しか摘めてないであろうにもかかわらず、彼女の黒髪は晴太の指先で物凄い存在感を放っていた。絹なんて触った事も見たこともないのに、晴太の脳みそはこれが絹だと錯覚してしまったほどだ。


「取れた?」

「あっ、はい。取れました」


 思わず髪の毛に見入ってしまっていた。離した指先は、まだ触れていたかったと言わんばかりに寂しげだ。


「この花ってなんて名前なんですか?」


 なんだか自分を気持ち悪く感じて、振り払うように話題を変えた。晴太が指差したのは、素人目には少ししょぼく映る黄色の花だ。


「あーこれ? ゼラニウムっていうんだー」


 それから彼女は、ゼラニウムの花弁を人差し指で突きながら、


「花言葉は『予期せぬ出会い』。今の私たち見たいじゃない?」


 と、いたずらな笑みを浮かべてそう付け加えた。


「......」

「無視?」


 よく笑う人だな、とそう感じた。まだ出会ってものの数分間で、彼女は何回笑っただろう。それも、一つ一つニュアンスが違くて子供の様だったり、大人びて映ったり。

 そんな彼女に一歩踏み込んでみたくなったのかもしれない。


「橘冬美先輩ですよね?」


 思考を終える頃には、無意識にそう問うていた。


「あちゃー、やっぱり知ってるかー」

「まあ」

「私の名は滞りなくとどろいてるもんねー」

「そうですね」


 晴太の予想していた通り、冬美は平然とした態度でおどけてみせた。


「あの噂って本当なんですか?」


 今度はより深く切り込んだ。


「あの噂って?」


 動揺などおくびにも出さないで、冬美はとぼけた。作業の手も止めずにニコニコしている。

 そんな態度の冬美を無視して続けた。


「ヤリまくってるとか、援交してるとか」


 晴太の言葉に、一度肩をびくっと振るわせて、


「もー、人が折角とぼけてるのになんで踏み込んでくるかなー」


 と困ったように笑みを作った。


「とぼけてるのは知ってました」


 だからこそ踏み込んだのだ。

 好奇の目に晒されていてもなお、冬美からは芯の強さを感じていた。その強さの根源を知りたい。なぜそんなに笑っていれるのかを。晴太にはなかった強さだから......。


「君にはどう見える?」


 見るとはなしに花を見ながら、冬美は何かにすがるように、か細い声で呟いた。


「僕には......僕にはそんなことしてるようには見えないです」


 会って間もないけれど、あの噂は嘘なんだと晴太の心は感じていた。悪い噂通りの人間が、あんなに綺麗に笑えるはずがない。


「ありがとう。君だけだよ、そう言ってくれるのは」

「そんなことは......」


 そんなことは無いと思います、なんて無責任なことは言えなかった。

 一年と二ヶ月この学校で生活してきたけれど、一度も彼女を擁護するような声は聞いていない。「君だけ」というのは事実なのだと思う。


「君の爪の垢を煎じて、全校生徒に飲ませようか」

「流石に足らんでしょう」

「そうだね......」


 再び「ありがとう」と、悲しさを目尻に滲ませながら笑った。

 膝に顎を乗せながら、花弁をなぞる。

 そんな彼女の姿は、儚く、そしてもの悲しく映った。今にも消え入りそうで、晴太は目を離せなかった。


「他にも、花と話してるとか、実は宇宙人とか聞きましたよ」


 暗くなった雰囲気を和ませようと冗談混じりで口を切った。


「そんなわけないじゃん。でも花と話してるのは、あながち間違いじゃないかも」

「そうなんですか?」

「話してるって言うよりは語りかけてるって感じだけど」

「『元気に育ってね』とか『かわいいね』とか?」

「バカにしてる?」

「滅相もない」

「絶対バカにしてるじゃん!」

「してないですって」

「どうせ花が好きじゃない人にはわかりませんよーだ」


 今度は子供のように舌を突き出して、拗ねた振りをする。

 すっかり先程までの空気は無くなっていた。

 晴太達がしているのは普通の会話なのに、何故かすごく心地がいい。こんなに楽しい会話はいつ振りだろう? 久しく感じていなかっただけに浸ってしまう。

 そう感じていた矢先。


「そういえば、授業いいの?」


 冬美のこの一言が、晴太を一気に現実へと引き戻した。


「やっば!」


 授業はもちろん、落とした消しゴムを取りに来たことさえ忘れていた。


「すいません! ありがとうございました!」


 すぐさま軍手を外して、駆け出した。

 冬美が何か叫んでいたけれど、焦燥が邪魔をしてうまく聞き取れなかった。

 

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