3:進撃:六月十九日 午前十時半から 六月二十二日 午前一時二十五分まで 2

 中継が終わると、妻は疲れたわ、と一言漏らした。息子はスマホで友人と話し出した。(ちなみに息子は、会社が長期休暇になったので、これ幸いとデートしたり、ゲームをしたりと、すっかりボンクラ学生みたくなっていく最中だったので、話し方が、高校生の頃のそれに戻っていて、ちょっとしたタイムスリップ気分が味わえた)


 私はXと電話を再開した。


 貴重な中継であったが、馬鹿な連中が追っかけ動画を撮る可能性が出て来たな、と私が言うと、Xは、それがなあ、と言葉を濁した。

「実はその手の動画は、海外も含めてかなりの数が、もうあるんだよ。あのスタッフはそういうのを見て、研究したうえでの行動だったんだろうな」

 驚いた、というよりは、ああそうなんだ、とすとんと納得した。


 試しに検索をかけると、成程ぞろぞろとヒットする。

 動画によっては編集し、ゾンビ映画やゲームの音楽が流れている物もあった。海外勢は、銃を撃ちながらのお使い動画が多く、日本勢はゴルフクラブは有効か? とか、スコップはいけるか? 等の検証動画が多かった。(これら武器検証動画は、検証時間が短いので、参考になったとは言い難い。例えば、鈍器やスコップを高所から一回振っただけでは、検証も糞もないであろう)


 動画として、エンタメに振り切った物もあった。『聖書の朗読や般若心経は有効か?』とか、『パルクールでお使い』とかだ。

 この手の動画が、事態から二日で、大量にアップされているわけである。


 つまり、618事件は、震災と違って、早くも『消費』され始めたのだ。


 Xが言うには、自然災害や大事故、事件と違って、対峙可能な事象は、娯楽になりやすいのだそうだ。700万弱の亡くなった方がいる事態なのに、収束後に娯楽フィクションが大量に出されたのは、ここら辺が鍵になるのかもしれない。(例によって、出版社の人間に酒の席で話を聞く機会があったが、彼が会議時や編集時に頭の中で思っていたことは過激すぎて、そのままここに書くことはできないが、要は、散々ビビらされたことへの意趣返しで、そういうものが大量に出版された、ということらしい)



 その日は、Zからも連絡があった。

 被害にあってない横繋ぎの県で、連携することが決定したそうだ。これは、例えば『物資、人員等を高速道路等を使って移動させる場合に、料金を取らない』等、緊急時に助け合うのが目的のものだった。

 また、各県で被害地域からの避難者を滞在させる場所、割り振り等も決定したという話も聞いた。とはいえ『618避難者』は読者諸君もご存知のように、かなり少なかったので、私の地元では、宿泊施設の不足分は県内各所でホームステイの募集をかけると、六割がすぐに決定した。


 続いてYからの連絡で、窃盗団が県内各所に出没している、と情報があった。

 私は自社の倉庫に、一応連絡を入れておいた。警備員はこれを見越して増強しておいたし、通報しても警察が来るのは遅くなるだろうから、ゾンビ対策という名目で、スタンガンやさすまた等を支給しておいた。

 幸いにも、自社の倉庫は襲われることは無く、窃盗団は、二十一日深夜一時過ぎに、全員現行犯で逮捕された。




 開けて六月二十一日午前七時。都内に電話が繋がるようになったが、回線が一瞬でパンク寸前になり、十五分で規制に逆戻り。




 午前八時、Zからの電話で、根回しが終わり、正式に県をあげてゾンビ対策に乗り出すことが正式に決まった。

 この時、自衛隊は原発等の警備に半分が駆り出され、残りの半分は五大都市から伸びる、大きな幹線道路にて警察と連携し、封じ込め作戦を展開することになった。

 ここら辺の攻防戦は、ネットだとBOUT氏のブログのエントリー『三大ゾンビ 地上最大の決戦』、もしくは海木若乱氏の著作『撃てども撃てども』を参考にしていただきたい。(両方とも、こちらで紹介する許可はいただいております)


 その日の昼、我々は再び、X宅に集まった。食事をとりながら報告しあうが、この頃から進展は殆ど無くなった。


 思いの外、準備が早く完了してしまったのだ。


 重病人、要介護者、妊婦等は例の県協定により、北部に移動。東京に近い南部は八割の人間が避難を完了。先にも述べた通り、仮設住宅、及びホテル、民宿等を開放し、避難者を入居させ続け、国道、県道、市道にはバリケードが作られた。(廃材等を使って簡易的に作られたものなので、設置が早かった。事態終息後に五割は残っていたので、効果は十分だったと考える)

 地元に残る警察官達は、二人一組で、巡回ルートを作成し、念の為に地元の人間による見張りを設置。(私の地元では、全員が志願者である。一部地域では、所謂『引きこもり』『自宅警備員』を導入したと噂されているが、強制的にやらせる見張りは、見張りの役目をしないと、少し考えれば判ると思うのだが……)


 また、この頃から、不思議な事に、地元では居酒屋が大繁盛し出した。

 理由の一つは、避難者の方々が、こちらの宿泊施設でホッと一息をついた、という時期であったこと。

 もう一つは、一向に収束する気配のない事態に、発散の場を求める人が多くなってきた、という事だと思われる。


 我々はそのままX宅に居続けた。

 彼の家は、県内で一番情報の突合せが上手くいく場所になっており、しかも、ある瞬間が、そろそろ迫っていると我々は感じていたからだ。



 日が変わり、六月二十二日、午前一時二十五分。

 ゾンビのあまりの物量に、封じ込め作戦は失敗。一時期は400万とも言われた東京ゾンビ。その約四分の三が、関東各県に進撃し始めた、という情報が入ってきた。

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