Chord2: Encounter
中河と別れてさほど時間も経っていないとき、拓真はゆっくりと家に向けて歩を進めていた。彼は特に何も考えず、半ば上の空で歩いていた。いや、何も考えていないといえば嘘になる。拓真は基本的には何も考えない人間だが、このときに限っては、先刻偶然出くわした中河阿澄のことについて考えていた。とりわけ胸のことについて表情一つ変えずにぼんやりと思い出していた。
「Fか……」
もともと人通りの少ない住宅街で、誰かに聞かれるかもしれないつぶやきに拓真は一瞬あたりを見回して人がいないことを確認し、安堵した。
刹那せつな、何かが拓真の前を横切った。
「近所の子供か。危ないな。」
拓真は気にもとめていなかった。しかし、再びその誰かは姿を現した。
「お願い助けて!!追われてるの!!」
目の前の誰かは叫んだ。
拓真の前に堂々と、だが焦りを見せて立っていたのは、中学生くらいに見える女の子だった。どうやら日本人ではないらしく、瞳はクリアな黄緑色に左目の下の泣き黒子ぼくろがよく目立つ白い肌、薄紫色の美しい髪は腰まで伸びており、後ろ髪は根元付近で二分されている(はっきり言って表現するには難しい髪型である)。服装はド派手、腕とスカートの下の部分が透けた黒地のレースワンピースに、ブレスレットだのネックレスだのアンクレットだの様々な金色の装飾品を身に着けている。
急な事に戸惑うことしかできなかった拓真にもう一度彼女は繰り返す。
「ねえ聞いてる?助けてって言ってるのよ!!」
「いや急にそんなこと言われてもわかんねえよ、追われてるって一体何があったんだよ。」
しかし彼女は一向に詳細を語ろうとはせず、とにかく助けてと言うだけである。
「もう時間がないの、アイツがすぐそこまで来てる!!とにかく訳は後で話すから今は」
と言いかけた途端、彼女の後ろ、つまり拓真の目の前で信じられない光景を目の当たりにした。
空から"何か"が落ちてきて大きな音を立ててアスファルトの舗装道路に勢い良く着地した。ズゥーンという地鳴りとともに砂礫されきが舞い、"何か"が姿を見せた。
「探したぜ、お嬢ちゃん。」
「もう追いついたの!?くそっ……早いわね……。」
彼女は振り返り、睨みつけながらその男と対峙たいじした。
「鬼ごっこはもう飽きちまったぜ。お嬢ちゃん足速いんだからさ、追いかけるのも疲れんだよ。」
その男はため息をつきながら言った。男は背が高く、真っ黒の髪をオールバックにしており、真っ黒な背広に真っ黒なネクタイ、真っ黒なサングラスを掛けて言うなれば某番組のハンターのような格好である。彼は黒い箱からタバコを取り出し、吸い始めた。白い煙を吹きながら男は言った。
「おい坊主、怪我したくなかったらとっとと消えな。」
拓真は呆然とこの非現実的な光景を見ていたが、我に返り今その現状を理解しようと頭の中を整理し始めた。
「何が一体どうなってるんだ……。あいつはなんで傷一つないんだ……。空から落ちてきたんだぞ。ていうかそもそも空から落ちてくるってなんだよ……。もうわけわかんねえよ……。」
しかし拓真にはそれが理解できず頭の中が混乱していた。
そこで紫髪の彼女が突然、
「アタシがアイツの動きを少し止めるわ、その隙すきに逃げるわよ。」
拓真に小声でそう呼びかけ、臨戦態勢に入る。彼女は両手を横に広げ、両腕にある金色のブレスレットが重なり合って小さな波紋が発生し、周囲に金属音が響き渡る。その瞬間、周りの空気が歪み、異様な空間が彼女の周りを囲み始めた。
「静寂に響く魅了の音色 明鏡止水 虚心坦懐きょしんたんかい 邪悪な心に突き抜けろ!!イマジネイティブエア!!」
彼女が叫ぶと、その周りにあった歪みが綺麗な音色を奏でながらまるでかまいたちのような形状に変形し、男に向かって飛んだ。男は軽く舌を打ち鳴らし、後ろに跳ぶ。しかし歪みは依然勢いを殺さず男を狙い続ける。動きの鋭さを増していく歪みをすんでのところで躱かわす。上空へ飛んだり急落下したりと忙しなく避け続ける。タバコの煙が歪みに捕まり不規則に揺れる。
彼女はゆっくりと両腕のブレスレットを外し、地面に置いた。
「これは一度発動したら壊れるまで発動し続けるの。長くはないと思うけど、一先ず何とかなりそうだし、逃げよう!!」
「あ、ああ…。」
彼女は拓真を連れて男の前から逃亡した。
暫く走るとそこは自分の家の前だった。
「なんだかよくわからないけど、助かったんだな?じゃあ俺はこれで……」
「何いってんの?あいつがあの程度で追跡をやめるわけないじゃない。」
「じゃあ一体何なんだ。」
拓真は家の玄関を開け、この無礼極まりない少女とその厄介事から逃げようとした。
「へえ、そこがあんたの家なんだ。」
そう言うと、彼女は不敵な笑みを浮かべて、言った。
「じゃあ、お邪魔するわね。」
「誰も許可はしてない、勝手に入るな!!」
「いいじゃない、か弱い女の子が助けてって言いながらすがりついてあげたのよ、感謝こそされど、怒られる筋合いがないわ。」
「自分の都合を赤の他人に押し付けるな。」
拓真の制止を振り切ってズカズカと家の玄関をまたぐ少女はやはり土足で家の中に侵入した。
「あら、もう出会って会話した時点でもう赤の他人ではなくてよ。」
「せめて靴を脱げ。」
少女はまた不敵な笑みを浮かべた。
「家に上げるのを許可したわね。」
「いつまでも言い争っててもしょうがないからな。」
諦めたように拓真はため息を付いて肩を落とした。
「俺の部屋は二階だ。一番奥にあるドアを開けろ。」
拓真はそう言って階段を指差してリビングへと向かった。京子は買い物に出ているのかいなかった。
冷蔵庫から麦茶の入ったペットボトルを取り出し、コップ二つに注ぐ。それを持って自分の部屋に向かうと、彼女はベッドで寝転んでくつろいでいた。
「あんなことがあったのに呑気にくつろいでて大丈夫なのか?」
「別に家の中にいるのに焦って慌てても仕方がないでしょ。だから思いっきりくつろぐことにしたのよ。」
なんとも楽観主義な子だと拓真は思いながら、麦茶を彼女に渡した。彼女は一気に飲み干し、
「なにこれ!?美味しいじゃない!!日本のお茶もすごく美味しいのね!!」
彼女は目を輝かせて麦茶を褒め称えた。おかわりをせがまれた拓真はペットボトルごと持ってきて彼女に渡した。彼女は嬉しそうにガブガブと飲んでいる。
「美味しすぎるわ、この暑い気温の中冷たくてこの体に染み渡るような感じ!!なんていうお茶なの?」
今はまだ4月、暑いだなんてとんでもない。寒いくらいだ。
「それは麦茶だ。」
「ムギチャ!!ムギチャというのね!!」
いちいち反応がオーバーで、五月蝿い。
「さて、そろそろ詳しく教えてもらえないか。色々ありすぎてわけがわからない。オレは奥山拓真、高校生だ。それで、君は一体何者で、なんで追われていたんだ?」
拓真は本題を切り出した。彼女も真剣な表情になってゆっくりと話し始めた。
「アタシの名前は、ローレライ。ドイツから逃げてきたのよ。」
「へー、遠いところからわざわざここまで来たのか。」
「本当はドイツ国内を動き回ろうと思っていたんだけどね。最初はベルリンからフランクフルトまで行くことはできたんだけど、アイツらがしつこく追いかけ回してくるからまた動かないといけなくなっちゃって、今度はフランクフルトからミュンヘンに行こうと思ってたんだけど、間違って日本行きの国際線に乗っちゃって……。」
「…………は?」
拓真は一瞬よくわからなかった。国内線で逃げ回ってるはずがいつの間にか国際線に乗ってはるか極東日本にやってきたなんて想像もつかない。
「アタシ方向音痴なのよ。だから道も間違うし迷うし。」
(それって方向音痴なんてレベルじゃねえよ。天然とも言えねえよ、ここまできたらもはや才能だぜ。)
半ば感心とも言える解釈をした拓真に対してローレライは話を続ける。
「そんなのは良いのよ。話の続きをするわよ。」
ベッドに座って足を組み直して再び話し始めた。
「アタシを追ってきていたあの男はレオンハルト=タンネンベルク。ドイツでは有名な極悪非道のコンビSchröシュレdingerディンガ―の一人よ。」
「猫の敵みたいな名前だな。」
「で、アイツらはアタシの持ってるあるものを狙っているの。」
ローレライはそう言いながら可愛らしい小さなレッグポーチからそれを取り出した。
「えっと…………よいしょ……。確かこの辺りに……あった‼︎これがそのフェニキアの宝玉……なんだけど……。うん?」
彼女が宝玉を見て首を傾げる。
(おかしいわね、こんなに反応してるの見たの初めてだわ……。まさか……。)
怪訝そうな眼で鈍く光る宝玉を見ていたが、やがて口を開いた。
「タクマ、これちょっと持ってみてよ。」
「初対面で下の名前を呼び捨てかよ。」
「なんだっていいじゃないのよ、ほら、これ持ってみてよ。」
ローレライが宝玉を拓真に手渡す。すると宝玉はさっきとは比べ物にならないほど強く光り輝いた。
「うお眩しい……。なんだこれは……。」
「やっぱりそうなのね。」
ローレライが納得したようにうんうんと頷いていた。
「なんなんだよ一体……。何がわかったんだよ。」
拓真の無愛想な疑問に対して、ローレライから衝撃的で非現実的で理解し難い一言が返ってきた。
「タクマ、……あなた能力者よ。」
「………は?」
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