第42話 なぜわたしは黙るのか

 もしこれで常温超伝導を研究しているとか、遺伝子マップを研究しているとか言えばそれなりに場は盛り上がるに違いない。理論物理学で宇宙の研究をしているなんて言うのも食い付きが良さそうだ。あるいは文化人類学とか犯罪心理学とかでも話は弾むに違いない。でもわたしが研究テーマを告げると微妙な間合いが生じる。


「蟻、ですか?」

「蟻です」


 そして不可解な沈黙が訪れる。どちらかが次の一言を口にするのを待ってしまうのだ。お互いに譲り合ううちポテンヒットになってしまう野手たちのような、礼儀正しくも気まずい沈黙。わたしが進んで話を続けるべきなのだろうが、そういう時、何を言ったらいいのかわからない。苦手なのだ。聞かれれば答えられるが、相手が望んでいるかいないかわからない話をまくしたてるなんてわたしにはできない。尋ねてくれさえすれば蟻について語るべきことは無限にある。きっとあなたが興味を持つような話もできるはずだ。それは自信がある。でも誰も何も尋ねてくれない。そこにあるのはエアポケットのような一瞬だ。


 なぜそのような間が生じるのか。遺伝子とか犯罪心理学といえば、相手は何がしかの関心を示すはずだ。少なくとも「それってどんなことを研究するんですか?」と聞いてくれるだろう。ところが蟻の場合、それがない。蟻という単語が短すぎるのが原因なのだろうか。あるいは蟻があまりにも身近過ぎて「どんなことを研究するんですか?」という質問が成り立たないのかもしれない。ではわたしが言い方を変えて「蟻における社会構造研究を研究しています」とか、「蟻のコミュニケーション理論を研究しています」とか、言えばいいのだろうか。たぶん、そうではない。これは推測だが、人々は蟻を研究すると言うことがあまりまじめな行為ではないように感じるらしいのだ。


 質問。蟻の研究は不真面目な行為なのか?


 とんでもない! 例えば蟻は人間以外に唯一牧畜をする生物だ。蟻の巣は現存する全生物の中でも最も長い歴史を持つ完成された建造物のひとつだ。蟻の集団思考とでも呼ぶべきものはコミュニケーションの本質に古くて新しい光を当てるはずだ。永遠のように古くて、同時に未来を照らす清新な光をだ。蟻の研究からしか得られない知見や洞察があるからこそ研究しているのだ。


 でも人々はそうは思ってくれない。微笑みを浮かべて「蟻、ですか?」というその表情には、どことなくわたしが「うそだっぴょーん!」と続けるのを期待している気配がある。蟻の研究をしているなんて冗談だと思うらしいのだ。そしてそれが冗談ではないらしいとなると、次に続けるべき言葉の不在に気づくのだ。人々は、蟻について何を質問すればいいのか思いつかない。恐らく最も身近な生き物のはずなのに。子どものころからさんざん踏んづけたりしゃがみこんで観察したりしてきているはずなのに!


 だから最近わたしは小さく「なんてね」とつけるようになった。蟻です。なんてね。「うそだっぴょーん」だと、蟻の研究をしていないことになってしまう。「なんてね」でも効果は同じなのだが、わたしの中では少なくとも事実はゆがめていない。みるみる相手は安心した表情になり、わたしを面白いジョークを言う人とみなし、以後、会話が弾むことになる。そしてわたしは可愛い蟻たちのことを思い少し胸が痛むことになる。


 だから彼女と初めて出会ったときも「蟻です。なんてね」と言った。すると彼女は「蟻を研究しているんですかいないんですか?」と尋ねてきた。口ごもりながら「研究しています」と答えると「じゃあなんで『なんてね』なんてつけるんですか」と食い下がってきた。だからいままで話したようなことを説明すると大きくうなずきながら「聞いているだけで胸が痛みます」と言った。その途端にわたしは恋に落ちてしまった。だからせっかく蟻について根掘り葉掘り聞いてくれる相手が現れたのに、やっぱりわたしは口をきくことができないのだった。


(「蟻」ordered by shirok-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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