第七話 それぞれの時
ハザメたちのいる部屋から出たリゼイラは、その足でギャラナのもとへ向かった。
ちょうど世話を終えて出てきたミレイオへ聞くと彼は起きているという。
重い木戸を押して彼女は中へ入った。
寝台に腰を掛けているギャラナのすぐ近くの壁には鮮やかな緋色のローブが掛けられていた。
「だいぶ顔色もよろしいようですね。もう魔道も使えるのでは?」
「こんな所で使っても何にもならぬだろう。魔道杖もないしな」
鼻で笑うギャラナをリゼイラはフードの奥からじっと見つめる。
「お前も無理やりここへ連れて来られたのだろう? 帰りたくはないのか」
ここでは口にするのもはばかれるようなことを、素知らぬ顔でギャラナが訊ねた。
「私はここでの生活に満足しています」
「なぜだ」
「医者としての力量を認めて頂いているからです。街にいた頃は、女だからという理由でつらい目にもあいました。毒を利用した医術の研究も非難されていましたから。ここでは必要な薬も毒も頼めば手に入りますし、十分な研究もさせて頂いています」
「我欲のためか。俺と同じだな」
両手を膝のうえで組み、体をやや前に傾けたまま顔だけをリゼイラへ向ける。
端正な横顔の口角は上がっていた。
「ギャラナ様は何を望まれたのですか」
「俺は闇の魔道という強大な魔力を得る代わりに、魔導士たちの
「それはまたおぞましい……」
リゼイラは右手を口に当てたが、深いフードでその表情は読み取れない。
「何に使われるのか知っていながら、魔道王になるという己の欲望に勝てなかった」
そう言いながらもギャラナが後悔しているそぶりは見えない。
彼女を見つめる目には強い意志を宿している。
「いったい何のためにハザメ様たちは魔導士の血を?」
「暗黒神、蠍王ディレナークの復活のためさ」
間を置かずに彼は言い放ち、さらに言葉を続ける。
「奴は死んではいない。封印され仮死にあるディレナークを目覚めさせるには、魔力を持つ血が大量に必要らしい。気の遠くなるような年月をかけてハザメたちは血を集めてきたようだが、ここにきて一気に復活をさせようと俺を引き込んだのだ」
「蠍王ディレナークの復活……」
「どうやらその日が近いのかもしれぬ。それでもお前はここでの暮らしを望むのか」
「今さら命を惜しいとは思ってもおりませんし、そんな世となる前にわたしの生は尽きているかもしれません」
彼女の迷いない答えが意外だったのか、少し驚いた表情を見せたギャラナだったが問いただすこともなくそのまま口を閉ざしてしまった。
同じころ、ハザメが復活の儀を執り行うと決めたことを二人は知らない。
リゼイラもまた、用は済んだとばかりに黙ったまま一礼し部屋を後にした。
*
ハザメたちが決めたその日まで十五日。
黒灰色をした石造りの廊下を、手押し車に腰を下ろしたギャラナがロトドスに後ろから押されながら進んでいる。
「その
「そんなことまでお聞きになったのですか? まったくミレイオときたら口が軽いのだから」
「お前は何も感じなかったのか?」
「はぁ、特に何も。ハザメ様の前でしたので頭も下げていましたし、自分のときに何が起きたのか、あるいは起こらなかったのかはわかりません。でもジョセアのときにはぐるぐると玉石が回っていました」
「何かしらの魔道を感じるのかもしれぬな。嘘まで見破ることは出来ぬだろうが」
ギャラナは皮肉めいた笑みを浮かべた。
古くからの彼を知るものであれば、その笑みも若々しい顔色も美しい栗色の髪も端正な横顔も、みな以前のままのように思えたであろう。変わってしまったことと言えば、右目を覆う緋色の眼帯と歩くのにも難儀する両足だ。
ただ足の怪我はすでによくなり、歩く練習をするようリゼイラからは度々言われている。それでも手押し車が楽なせいか、こうして付き添いのものに押してもらいながら館内を見て回るのが日課になっていた。
「あの扉は何だ」
初めて通った廊下の突き当りにちらと見える青銅製の扉をギャラナは指し示す。
ここだけには腕の太さほどもありそうな
「ここは……」
口ごもったロトドスをギャラナが
その左目は心までも射貫くかのように鋭かった。
無言の圧に負けたロトドスが重い口を開く。
「……玉座の間、と呼ばれています」
玉座の間への扉から一.五タルザン(二メートル強)ほど手前で、ロトドスは手押し車を止めた。
フードを被った頭をさらに低くする。冷え冷えとした館の中にいるにもかかわらず、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
思い出したくもない本能的な恐怖を感じているのだろう。
手押し車の向きを変え、来たばかりの廊下を戻っていく。
それにあらがうこともなく、自分が知らない情報を得ようとギャラナは問いかけを続けた。
「なるほど。するとあの部屋の先に山を下りる出口があるのだな」
「出口と言っても大小の岩でふさがれておりますから、あそこから誰も出入りすることは出来ないかと。そもそも玉座の間には私たちは入ることが出来ませんし、あの恐ろしいものがいるその先には行こうとも思いません」
青銅製の扉から遠ざかるにしたがい、ロトドスの舌は滑らかになっていった。
「お前のおかげでだいぶ様子が分かった」
「あなたに問われると、つい余計なことまで話してしまう。不思議なお方だ。まさか私に何か魔道を掛けているのではないでしょうね」
「そんなことをしたら、あの玉石とやらでハザメにも筒抜けであろう?」
部屋に戻り、寝台に腰を下ろしながらいたずらっぽく笑う横顔は人を魅了するものがある。
あの魔道闘技会の折にも若い女性たちから多くの声援を受けた。彼の残虐な一面が明らかになるまでは。
一方、チャザイたちも慌ただしい。
ビヤリム、ルバンニと代わるがわる街へと出向いては食料やら
濡羽色のマントを引きずりながら何やら薬を調合しているチャザイの背中へルバンニが声をかけた。
「精が出るのぉ。ハザメ様がお決めになってからは今まで以上に嬉々として働いているように見えるぞ」
「ハザメ様が長きにわたり願われたことがもうすぐ叶おうというのだ。おぬしも喜びを感じているであろう」
「それはそうだがな」
ふくよかな体を持て余すかのようにゆっくりとチャザイの前へ回り込む。
「ハザメ様よりもお前の方がうれしそうな気がしてな」
「なにを言う。ハザメ様は元来お気持ちを顔には出さぬではないか」
「お前、何か隠しておるのではないかな」
かがみ込んで覗き込むルバンニは歯茎を見せて笑ってはいるが、腫れぼったい二重の目がいぶかしむように細められている。
チャザイは手を止めて顔を上げた。瘤の下からのぞく小さな目に妖しい光が浮かんでいる。
だが、それも一瞬のこと。
すぐに作業へと戻り、普段と変わらぬ様子で答えた。
「
「まぁよい。そういうことにしておこう」
鼻白んだ表情を見せながら大きなお腹を抱えるようにして机へと移動し、そこに積まれた絹の束をルバンニは記録していく。
できた薬を小分けにし、チャザイは休むことなく白い紙に包んでいく。
復活の儀に向けてそれぞれの時が流れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます