第九話 決行

 ものを言わぬ建物にも感情を表すすべがあるのかもしれない。

 魔の山ラガーンダイの中腹にある黒灰色をした石造りの館には、主の帰還を今か今かと待つような歓びの空気が満ち始めていた。

 明日となった復活の儀を、もう隠すことは出来ない。

 その時を心待ちにしている影の者たちだけでなく、何も知らされていないガーのような下々の者たちでさえことを感じていた。


 長机を前にしたハザメの横顔に燭台の炎が揺らめく影を作る。

 細く切れ長の目は半ば閉じられ、眠っているのかどうかもわからない。

 ここにいる他の者たちと同様に濡羽色のマントを身に着けてはいるが、フードを下ろしているため剃り上げた頭もあらわになっていた。

 その肌艶はとても数百年という長い年月を生きてきたものとは思えないほど、若々しい張りを見せていた。


「入れ」


 扉をたたく音に反応し声をかけると、リゼイラが水差しを持って入ってきた。


「チャザイ様から言づかり、お薬をお持ちしました」


 机の上に白い紙の包みを置き、ハザメの前に差し出す。

 影の者を束ねるハザメは蠍王ディレナークの復活を願い、ギャラナと同じく仮死のときを使い生きながらえてきた。それだけでなく、魔力を維持するために気を充実させる秘薬を一日おきに飲むことをつねとしていた。

 リゼイラは長机を回り込み、器に水を注ぐ。

 表情を変えないハザメが包みを開き、薬を水で飲みほした。


「ハザメ様は私がここへ来た時のことを覚えていらっしゃいますか」


 隣に座るハザメを立ったまま見つめ、リゼイラが静かに語りはじめた。


「きっと気にも留めていないのでしょうけれど、私は今でもはっきりと覚えています。あの日はヒグナスと結婚式の相談をしたあと、二人で食事をした帰り道でした。遅いから送ると言ってくれた彼が、目の前で殺されました。突然現れたルバンニがいとも簡単に……」


 リゼイラへと顔を向けることもなく、目だけがゆっくりと細くなっていく。


「あの男と同じように、いや、それ以上にあなたのことが許せなかった。自らは手を汚さず、この薄暗い館でほくそ笑んでいるだけのあなたが。だから何とかしてあなたに認めてもらい、近づけるときを待っていたのです」


 相変わらずハザメはまったく表情を変えないまま目も閉じてしまった。


「この日のために研究を続けてきたその毒は神経を麻痺させる効果があり、やがて呼吸も止まります。ハザメ様は急な病で死んだ、みなはそう思い誰も私が殺したとは考えないでしょう。もう私の声など聞こえていないのかもしれませんが」


 ハザメは身体の力が抜けたように長机に突っ伏した。


「私にはまだやることがあります。ヒグナスの仇を討たねばなりませんから」


 そう言うとリゼイラはフードを被ったまま一礼をした。

 そして部屋を出ようと顔を上げた、そのときだった。


 目の前に見えているハザメの剃り上げた後頭部へ縦に一筋、切れ目がすぅっと現れた。その切れ目がみるみる広がり口を開いていく。

 赤い鮮血がほとばしることもなく、代わりに湧き出てきたのは――赤黒く小さなさそりだった。

 まるでどす黒い血が流れ出すかのように、小指ほどの蠍が両腕のようにはさみを振り上げながらかさかさと六本の足を動かし、あとからあとから湧き出てくる。

 そのあまりに異様な光景に、リゼイラは声も出せずに立ちすくんだ。

 何百匹という蠍がハザメの背中を覆いつくす。

 空洞となった頭部の底に張りつく暗闇からは青白く光る二つの目玉がリゼイラを見上げていた。


「そういうことか、リゼイラ」


 闇の中の目玉がぎろっと動き、彼女もよく知っているハザメの声が聞こえてくる。


「我に毒などが効くとでも思ったか」


 リゼイラは目をいっぱいに見開き、絶望の叫びをあげた。





「いかがなされましたか!」


 女の悲鳴を聞きつけ、ビヤリムがハザメの部屋へ駆けこんできた。続いてルバンニが大きなおなかを揺らしながら、そしてチャザイはいつものようにマントを引きずりながら現れた。

 中央の長机には――何事もなかったかのように、表情を変えない切れ長の目をした男が座っていた。

 その足元には濡羽色のフードをまとった者がうつ伏せに倒れている。


「この者が我をこれで殺めようとした」


 ハザメはそう言って白い紙の包みを長机の上に置いた。

 その言葉に驚いたビヤリムが倒れていた者の体を裏返すと、張り裂けんばかりの恐怖を浮かべたまま息絶えているリゼイラの顔があらわになった。


「なんとリゼイラが……」


 言葉をなくすビヤリムの隣で、チャザイは別のことに驚きを隠せずにいた。

 ハザメが差し出した白い包みに見覚えがあったからだ。

 それを目ざとく見つけたルバンニが振り返る。


「チャザイ、まさかお前がハザメ様の命を狙わせたわけではないだろうな」

「当たり前だ! なぜ私がそんなことをする必要がある」

「中身は毒に入れ代わっておった。我を殺めた後はルバンニ、そなたを狙うと申しておったぞ」


 めずらしくハザメが口元をほころばせ楽しそうな声を出した。

 しかし、すぐに笑みも消える。


「これの代わりとなる者を連れて参るように。ま、急がずともよいが」


 三導師ティガランジャが揃って頭を下げる。

 そこへ合図もせずに入ってきた者がいた。

 よほど慌てているのか濡羽色のフードもかぶらず、顔があらわになっていた。

 キリフだった。


「何事だっ!」


 振り返ったビヤリムが怒鳴る。

 我に返ったキリフがフードに手を掛け頭を下げながら言った。


「あ、あの、ギャラナ様が……ギャラナ様がどこにもいません!」


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