七十三話 魔王国
ダークゲートをくぐるとそこは、質素な部屋の中だった。大きな机があって、その上に書類が整理しておかれていた。
どうも、クランジェの執務室か何かにお邪魔したようだ。
『女王。こっちに戻られて、大丈夫なのでございますか? せっかく外で活動されていたのに、また出られないのではないのですか?』
『それについては篤紫が大丈夫だって言ったわ。だから何の問題もないわよ。
それより、急いで国民を集めるように手配をしてちょうだい。人間の国の王様が危機みたいなの』
『はっ? 初耳ですぞ。どうして女王はいつも突然――』
『今はそんなこと言っている暇ないのよ。早く動きなさい』
ペアチフローウェルが恐ろしい勢いでクランジェに近づいて、角を持ち上げた。そのまま部屋の入り口に放り投げると、ドアを突き破って廊下に飛んでいった。
さすがに、篤紫達も唖然として目の前の光景を見つめるしかなかった。
「ね、ねえペアチェちゃん。ちょっとやり過ぎじゃないかな?」
『いつものことだから、大丈夫よ。
それより急ぎなんでしょ。さっさと城の前に行くわよ』
ペアチフローウェルに続いて廊下に出ると、既にクランジェの姿はなかった。
全員で廊下を駆け抜ける。廊下は静まりかえっていて、篤紫たちの靴音だけが響いていた。大きな城なのだろうけど、誰ともすれ違わない。
「なあ、ペアチェ。この城には誰も居ないのか? さっきから人っ子一人居ないんだが」
『この城に居るのは、私とじぃじだけよ。
そもそもこの城は、勇者を迎え撃つためだけに建っているのよ。城自体に浄化の魔法がかけられているから、掃除の必要すらないのよ』
廊下の装飾も、あくまで実用的なものだけしかなかった。花瓶すらもなく、どちらかというと殺風景な廊下だ。役割が決まっている世界なのだろう。
まさに、勇者が魔王を倒しに行くために、最後の決戦場としての役割しか持たされていない感じだった。
「ペアチェさんは、ずっと魔王をされているんですか?」
『魔王は引き継ぎ制なのよ。私の前には、パン屋のおじさんが魔王をやっていたわ。崩御したときに、一番強い悪魔族が次の代の魔王なの。
ちなみに私は二万五千年くらい魔王をやっているわ。じぃじはずっと魔王補佐だから、百万年くらいやっているみたいよ』
走りながら、質問したリメンシャーレが絶句していた。ただいくら強くなっても、ずっと国から出ることは叶わなかったようだ。
大きな扉を抜けると、赤絨毯が城の奥まで伸びていた。
『この先が、魔王と勇者の決戦の間ね。勇者が魔王国領に入ると、城中にベルの音が鳴り響くから、その時に魔王の椅子に腰掛けて待つ仕組みよ』
当然、魔王の座には用が無いので、城の表に向けて走り始める。
恐ろしく高い天井からは、豪華なシャンデリアがたくさん吊されていた。通路には等間隔に、無駄に太い柱が立ち並んでいる。
無駄な装飾はここの通路にはたくさんあった。壁には誰だか分からない肖像画が飾られ、柱の向こうには見るからに高価な壺が置かれていた。壁や柱は金縁で飾られていて、聞けば本物の黄金のようだった。
城を出ると、左右に大きな堀があって、なみなみ一杯水が湛えられていた。道は真っ直ぐ城門まで続いている。堀には、金色の魚が優雅に泳いでいた。
城に入って真っ直ぐ、完全に寄り道無しで魔王の座まで進めるようだ。
しかし、ここが城の前のはずなのに誰も居ない。未だに走り続けているペアチフローウェルに追い付いて、篤紫は声をかける。
「さっき言っていた城の前って、城門の向こうなのか?」
『ええそうよ。一般国民は、城門から中に入ることが出来ないのよ。だから本当に勇者のための城なのよ』
「うわマジか……」
城門を抜けると、恐ろしい規模の城下町が眼下に広がっていた。
魔王城は丘の上に建っているようで、なだらかな下り坂の向こうにたくさんの家が建ち並んでいた。ざっと見ただけでも、数十万戸の家はありそうだった。
それは、アーデンハイム王国の城下町に比べても、規模が十倍は違っているように見えた。これが魔王国か。
色とりどりの屋根が、朝の日の光を浴びて綺麗に輝いていた。
街のあちこちに緑が溢れていて、高台から見ただけでも素晴らしい街だと言うことが分かる。
魔王城から繋がる大通りは、遙か彼方に見える城壁の門まで一直線に伸びていた。城壁の門は霞んでいて、かなりの距離がある事が分かる。
何もかもが、想定以上の規模だ。
その大通り、坂を下った街の境目に黒い塊が見えた。
『ちゃんとみんな集まっているようね。篤紫、急ぐわよ』
ペアチフローウェルが走り出す。慌てて篤紫達も追いかける。
市街地に続く大通りも、綺麗な石畳に覆われていた。適度に磨かれた石には、滑らないように配慮がされていた。通りの端には排水用の水路も設けられていて、文化の高さが覗えた。
街の入り口からは石畳の色が違っていて、より落ち着いたベージュ系の色合いが使われている。
そこに、クランジェを先頭に百人くらいの悪魔族が待っていた。
思わず篤紫は首を傾げた。街の規模からすると、この人数は明らかに少なすぎる。
『女王。もうじき門番が二人来れば、全ての国民が集まりますぞ』
本当に少ないらしい。
篤紫は急いで、樹と馬車の魔石を取り出すと、少し離れた空いたところに馬車を展開させた。御者台に魔石をはめ込む。
「クランジェ、後ろの扉から人と物資を運び込んでくれ。
さすがに着の身着のままじゃないほうがいいから、近くにある食料品や身の回りの物を中に運び込むように、みんなにお願いして欲しい」
『なんですと? 女王から急げしか聞いておりませぬぞ……』
慌ててクランジェが指示を出すと、悪魔族のみんなが蜘蛛の子を散らすように走り去っていった。
しかし、悪魔族の動きは凄いの一言に尽きる。全員が力持ちで、大きな荷物を平気で馬車の裏から運び込んでいた。
腕がたくさんある悪魔は、同時に複数の樽を運び込んでいる。越下が蛇になっている悪魔は、大きな牽き車一杯の荷物を牽いてきて、小柄な悪魔と協力して荷物をピストン輸送していた。
馬車の大樹ダンジョンでは、クランジェが荷物の置き場所を指示していた。どうやら入って左側を魔王国で使うようで、次々に荷物が山積みになっていった。
一時間ほど経って、門番と伝令の二人が戻ってくる頃には、必要になるだろう物資は全て馬車内に運び終えていた。
悪魔族、凄すぎ。
『お前達二人は、家に荷物はあるのかしら?』
『『あります』』
ペアチフローウェルに問われた二人は、慌てて自宅へと駆けていった。
「すごいな、本当にいろいろな種類の悪魔が集まっているんだね」
夏梛が簡単の声を上げる。
今の二人にしても、牛頭の大男に背中から翼が生えているミノタウロスタイプの者と、女性の豊満な肢体に羽根と尻尾が生えた、いわゆるサキュバスタイプの悪魔だった。
他にも天使のような容姿の悪魔もいる。その全ての悪魔には、必ず側頭に角が生えていた。おそらく、側頭の角が悪魔の証明なのだろう。
『みんな寿命が長すぎて、なかなか子どもが増えないのよね。この中では私が一番年下なのよ』
「ふええぇぇぇぇ」
夏梛が驚くのも理解できた。
寿命が長いからこそ、この国の人口なのだろう。聞けば百二十三人しか居ないのだとか。
「だから最初に、人数が少ないって言ったんだな。
ちなみに空き家の管理はどうしているんだ?」
『魔王城と同じなの。街全体に浄化の魔法がかけられているわ。
みんな普段は、思い思いの仕事をしながらゆっくりと生活しているのよ』
城の後ろ側に広大な農場があって、数十匹の家畜が飼育されているのだとか。後で回って回収していかないといけない。
ヒスイがゴーレムをポーチから取り出して、大通りを散歩している。よほどあのゴーレムが気に入ったらしい。
そんな様子をほのぼのと見ていると、荷物を取りに行った二人が戻ってきた。
中に全員が入ったのを確認して、一旦馬車を魔石に戻した。
ペアチフローウェルの案内で農場まで行って、再び展開した馬車の中に、手分けして家畜を運び入れた。
これで、魔王国での全ての準備が終わったことになる。
『それじゃ、あの正門を出たところで私を出してちょうだい。そうしたら交代ね』
ペアチフローウェルが大樹ダンジョンの入ったのを見送って、馬車を魔石に戻した。夏梛とリメンシャーレにも、念のため中に入ってもらった。
この状態であれば、全員が国から出られるはず。
「そうなんだよな、ヒスイ?」
足元でコクコクと頷くヒスイを抱き上げると、篤紫は大通りを魔王国の正門に向けて駆け出した。
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