二話 隣のタナカさん

『……あ。もしもし、おとうさん? 何ですぐに電話に出ないのよ』

 久しぶりに耳にする娘の声は、何だか険のある声だった。

 篤紫が開きかけた口のまま次の句が継げないでいると、夏梛の声はさらに険しくなっていく。


『ちょっと。返事くらいしたらどうなのよ。どうせおとうさんが暇なの、知っているんだからね。電話ぐらいなんですぐに出ないのよ。

 ねえ、聞いてるの? いつも都合が悪いとすぐに黙るの、良くない癖だよ』

 夏梛からの電話は、篤紫の罵倒から始まったようだ。隣で聞き耳を立てていた桃華が、お腹を抱えて笑い始めた。

 待って待って。そもそも、喋る隙が無かったんだけどな……。


「いや、あのなぁ――」

『あ、ちょっと喋るの待って。隣におかあさんいるんだ? 笑い声が聞こえるよ。電話変わって、いいから早く』

 ため息をついて、喋ろうとしたところであっさり撃沈された。ずり落ちた眼鏡を定位置にかけ直す。

 篤紫は喋るのを諦めると、自分のスマートフォンを桃華に渡して、ぬるくなったお茶をすすった。あ、おいしい。


「はいはい、どうしたの夏梛。そろそろ卒業の目処が立ったのかしら?」

『うん、そうだよ。前から言っていたと思うけど、カレラちゃんと一緒に明後日、卒業だよ。特に卒業式とかはないからね。

 それで、明日みんなとお別れ会をやって、その次の日にオルフに車になってもらって、夕方までには帰るよ』

「わかったわ。大丈夫だと思うけれど、当日は気をつけて帰ってくるのよ。

 そういえば夏梛は、この間十五歳になったのよね? まだお祝いをやってないから、明後日の夕飯は豪華で盛大にするわね」

『おかあさん……。

 うん、ありがとう。楽しみにしてるね』

 桃華に言いたいことだけ言うと、夏梛はあっさりと電話を切ってしまったらしい。渡されたスマートフォンの画面は、既に待ち受け画面に戻っていた。

 篤紫は小さくため息をつくと、スマートフォンを腰の定位置に浮かばせた。


 ローディさんも帰って一段落付いたので、篤紫と桃華は対面で、椅子に座り直した。


「またこれから、賑やかになるわね」

「そうだな。あっという間の五年だったけど、晴れて夏梛達も大人の仲間入りだ。これでタナカさん家との約束も果たせるってもんか」

「くすくす、定期的に旅のお誘いが来ていたから、お断りするのも大変だったものね。

 噂をすればほら、来たみたいよ」

「うぇっ、まじか――」




 扉のノックの音ととほぼ同時に、盛大に扉が開けられた。

 男が一人、黒くて長い髪を流しながら、颯爽と部屋に入ってきた。その後から、黒髪ショートボブの女も慌てて部屋に飛び込んでくる。


「あら、タカヒロさん、それにユリネさん、いらっしゃい。そっちにもカレラちゃんから連絡が入ったのかしら?」

「桃華さんこんにちは、ええ。少し前にカレラから電話が来ましたよ。

 待ちに待った卒業です。

 そこで、篤紫さん。こちらは既に旅の準備ができています。明後日と言わずに、今から迎えに行ったらどうでしょう?」

「ちょっと、タカヒロ。駄目だって言ってるじゃないの。

 だいたい、明日お友達とお別れ会をするって言っていたじゃない」

 恒例の夫婦漫才が始まったのを見て、篤紫は思わず苦笑いを浮かべた。


 今年に入って、二日に一回はタカヒロの突撃を受けている。タカヒロは旅に出るのを、五年以上前から楽しみにしていた。ただ、はやる気持ちもわかるけど、限度ってものがあると思う。

 でもタカヒロは、性格が変わりすぎじゃないかな?

 スワーレイド湖国の宰相として手腕を振るっていた昔は、もっと泰然としていたはずだ。みんなの頼れるお兄さんポジションだったはずなのに。

 役が外れたことで、明らかに暴走が始まった。



「ユリネ。何故、駄目なのですか。

 お互いの娘が成人して、いつ、どの瞬間においても、世界漫遊旅行計画を実行できる準備が整いました。

 であれは、一日でも早く出発して、娘達にこの広い世界を見せてあげるのが、親としての努めでしょう。

 同級生よりも大切な何かが、世界には待っているはずです。

 さあ。こうしてはいられません、お義母さんに直談判にいきましょう」

 拳を握って力説するタカヒロに、一同は白い目を向けるしかなかった。


 そして言いたいことだけ告げると、タカヒロは来たときと同じように、颯爽と外へ出て行く。

「だから、まだ早いって言ってるじゃない。何でタカヒロああなっちゃったんだろ。ごめんなさい、また来るわね」

 ユリネも、慌ててタカヒロを追いかけていった。

 まさに、嵐が来て、その勢いのまま去って行った様なものだ。旅に出たら、また昔のような落ち着いた人に戻ってほしいものだけど……。




「ほんと、ごめんなさいね。責任の一端は私にあるのだけれど」

「いや、シズカさん。突然人の後ろに立つのは、心臓に悪いからやめてくれないかな」

 忽然と、背後に人の気配が生まれた。篤紫は大きく息を吐きながら、椅子から立ち上がって振り返った。


「あら、シズカじゃない。相変わらず雷のように動くのね。さっきの二人と入れ替わりに入ってきた、までしか見えなかったわ」

 篤紫の背後には、いつの間にか黒髪縦ロールの髪型をした女が、顎に手を当てながら立っていた。

 桃華には、入ってきたのが見えていたみたいだけれど、篤紫にはそもそも何も見えていなかった。魔法で雷のように動くらしいけど、魔法が苦手な篤紫には感知することすら難しかった。


「あらあら。今回は、絶対に誰にも気づかれない自身があったんだけど。やっぱり桃華にはお見通しだったたのね。私の負けよ。

 魔法で時間を操れるって、やっぱりすごいのね」

「そんなこと言ってもシズカ。私なんて、未だに他の魔法は生活魔法しか使えないのよ?

 生活魔法さえ使えれば、普段の生活には困らないけど……何だかもやもやするわね」

「あなたたち夫婦は、相変わらずそうみたいね。

 保有魔力はもの凄い量があるのに、本当に不思議よね」

 シズカは首を横に傾げた。黒髪縦ロールが、動きに合わせてふんわりと揺れる。


 と、そこで篤紫は、シズカが手に持っている箒に気がついた。


「シズカさん、箒の魔道具。どこか調子が悪くなったのか?」

 シズカが手にしているその箒は、数日前に篤紫が桃華と話していて、話のネタとして作った、お掃除用の魔道具だ。

 もちろん、空を飛ぶ機能なんてものは付いていない。



 この世界には、普段の生活の中に生活魔法がしっかりと根付いている。

 生活魔法は着火、湧水、微風、穴掘り、光球、浄化の六つある。

 その生活魔法の中でも浄化が使用頻度が高くて、本人が汚れと認識したものを魔法で分解する万能魔法として、頻繁に使われている。

 一日の汚れすらも丸ごと浄化で済ませられるので、世の中にお風呂が存在していない程だ。

 また自身の汚れだけで無く、部屋の中なら見える範囲までは浄化で綺麗にできるため、お掃除用具すらも必要ない有様だったりする。


 必要が無いのだけれど。


 それがわかった上で、どうしても箒が欲しくなった。

 やっぱり、床くらいは掃き掃除がしたい。ただ、どうせ掃くなら箒を魔道具にして、箒自体にゴミを吸着させればいいんじゃないか。ちり取りもいらないし、目に見えて綺麗になれば気分もいい。

 そんな流れで作ったのが、箒の魔道具だ。見た目は普通のホウキ草を使った箒なのだけれど、れっきとした魔道具だ。


『あら、それ何かしら。楽しそうね、金貨一枚でいただいていくわよ』

 さそく喜んで掃き掃除していたところを、忽然と背後に現れたシズカに、金貨と交換で奪われたのが昨日の出来事。

 手に握らされた金貨は、かなりの高額貨幣だ。


 貨幣は材質によって価値が分かれている。

 下から鉄貨、銅貨、銀貨、金貨、白金貨の順で価値が上がっていく。それぞれ百枚で上の貨幣に変えられるので、金貨一枚だと、銀貨換算で百枚の計算になる。

 そのまま百倍していって、鉄貨まで戻って換算すると、金貨一枚は鉄貨百万枚にもなる。と言っても、鉄貨使われることが少なくもっぱら価格比較に使われることが多い。

 屋台の串焼き一本がだいたい銅貨三枚、つまり鉄貨換算で三百枚程度の価格帯なので、金貨一枚がどれだけの金額か想像できると思う。


「あらそうそう、昨日いただいた箒で床がものすごく綺麗になったのだけど、見ていただけるかしら。すごく重いのよ。

 ほら見て、埃がいっぱいにになっちゃって、掃けなくなっちゃったの」

「……それは、説明する前に持って行くからだよ」

 持ち上げた箒には、びっしりと埃が吸い付いていた。想定していた機能は完璧に果たしているようだけれど、確かにこのままだと次の作業ができないな。


「この箒は、魔石に魔力がある間は、ずっとゴミを吸い付け続けるんだよ。

 この穂元にある魔石を外すか、隣のリングに軽く魔力を流すことで、埃が落ちるように作ってあるんだ。

 魔石を外したままで、柄に魔力を流し続けて、必用なだけ埃が吸い付いたら魔力を切れば、同じように埃が落ちるんだけどな」

 説明しながら、桃華が床に敷いてくれた布の上で、穂元のリングに魔力を流した。


 バサッ――。


 少し大きな音とともに、穂先に着いていた埃やゴミが、布の上に落ちた。

「あら、さっぱりと綺麗になったわね。

 この箒すごくいいのよ。初めて使ったんだけど、使い始めたら楽しくなっちゃって。

 自分の家だけじゃなくて、カツラギさん家とユーレスさん家、それからモモセさん家とロードウェルさん家まで綺麗にしてきたのよ。

 みんな目を輝かせていたから、そのうち買いに来ると思うわ」

「え、マジか……」

 何気にお気に入りで、近所の主婦達に自慢してきたようだ。

 今まで箒に付いていた埃が取れて嬉しくなったのか、シズカはその後少し話をしただけで、箒を大切そうに抱えて店を出て行った。


「この様子だと、これから忙しくなるわね。試しにって言いながら作ったから、材料が何もないわよね。

 確か、ホウキ草の群生地があったって、篤紫さん言ってなかった?」

 桃華の嬉しそうな声が、少し遠くに聞こえた。

 群生地、かなり遠いんだよな……


 その後二人で倉庫を確認してみると、縛り紐しかなかった。肝心のホウキ草も、柄にする竹すらも無い。確かこの間、違う魔道具の材料採取のついでに、道すがら目について採集してきたんだっけ。

 あとは針金はいつもの、ルルガ鍛冶店でいいか。


 篤紫は表に出ると、店の看板を仕舞う。夕日が空を赤く染めていた。


 明日は箒の材料を採りに行かなきゃか……。

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