第6話:合わない歯車
この場所にもう一人誰か居る。ミスズは翼にそう言った。確かに、この隠れ家の一室には一人の少女が居る。何故ミスズにはその事が分かったのか。翼には不思議だった。
「どうしてわかったんですか?」
「私はこの隠れ家全体を三次元的に把握することが出来ます」
「三次元的?」
少々理解が追いついていない翼にミスズは分かりやすく解説していく。
「要は立体的に見えるんです」
「どこにどんな物があるか全部?」
「大体そんな感じです。で、寝室に人影が見えましたので」
今も寝室で眠っている少女。翼はその少女の事をどうやって説明して良いのか分からない。知り合いでは無い。だが、名前は知っている。顔を会わせたことも、言葉を交わしたこともない。なのに、名前を知っている。
「あの子は、私がここに入って来たら床に倒れていて」
ミスズはそれまでの翼との会話から、今日の段階でこの場所を知っているのは翼の関係者に限定されていると見て居る。その事から、翼が全く知らないとされる人物が居ると言う状況は謎を呼んだ。
「久根さんは、その人の事は?」
「会った事無い子、だと思います」
翼の何かを含むような発言に違和感を持つミスズ。翼の表情を観察すると、翼自身もよくわかっていないのが見て取れる。
翼が驚いたのはこの場所に人が居たそのものの事ではない。夢の中で見たことのある少女が居たことだった。
夢の中に出て来た、と言う事はもしかしたらどこかで出会っていて自分が忘れているだけなのかも知れない。そう思った。
「成程。承知しました。その子が目を覚ますまではここで保護致しましょう」
「保護、ですか?」
翼の話から、寝室で眠っている人物は正規の方法で隠れ家に入っては無いと推測したミスズ。ミスズは自身がどういう存在なのかを鑑みたうえで自分を作り出したのと同じ場所の人間である可能性を考えた。であるならば、不用意に連れ出すよりもこの場に置いておく方が安全だ。
何より、今も眠っている人間を翼の様な少女がどこかへ連れていく事自体、現実的ではない。
「ここでしたら、生活に困りませんし、何より外部の人間に見つかることありません」
「確かに、そうですが・・・」
この場に自分と同じ年頃の女の子を放置することに抵抗感のある翼。もし目が覚めた時、外の状況が分からない様な場所に居たら不安で押しつぶされるはず。じゃあ、今の自分に何かできるのか、となれば何も出来ない。悔しいが、ここで保護してもらうのが一番の安全策。
「久根さん」
「ひゃいっ」
思わず声が裏返る翼。その様子を見て微笑んでいるミスズ。
「一つ、依頼をしてもよろしいですか?」
「依頼、ですか?」
ミスズは黙って頷く。そして、ミスズの隣にこの隠れ家の地図と思われる物が映し出される。
「こちらは、この隠れ家の全体図です。今久根さんが居るのがここになります」
翼の居る通信室に赤い点が記されている。それともう一つ、あの少女が眠っている場所に青い点がある。
「久根さんは普段どこから出入りしているか、分かりますか?」
翼は自分がこの場所に入って来た場所を思い出す。翼がこの隠れ家の本体に入ったのは、寝室の奥。隠されるようになっていたもう一つの部屋。その場所はすぐに見つかった。
「えっと、朱鷺ノ丘中学です」
地図には出入り口が何処にあるのかが記載されている。それも正確に。ミスズは朱鷺ノ丘中学の位置を確認してから黙ってしまう。
ミスズは今、各出入り口の場所と地上の地図を当てはめてどこに出るのかを調べている。場所によっては誰かに出入りが見られ、面倒な事になる。それと同時に、そこからの入室に必要な鍵の種類を見て行く。パスワードタイプの場合、変更が可能だが今の状況下で変更が望ましいとは考えていない。
「この場所にはよく来られますか?」
「そう、ですね。入って直ぐの場所にはほぼ毎日」
その場所が翼にとって一番のお気に入りの場所。学校で他に行くような場所もない。
「久根さん。あなたのおじいさんか、おばあさんに連絡を取っていただく事は可能ですか?」
「おじいちゃんたちに、ですか?」
この場所を知っている人間が翼の祖父母であるならば、知っている人間に現状を知ってもらう必要がある。前回の管理者権限が放置され再起動したミスズ。翼の話を聞いたところ、前回までの管理者はそのどちらかの可能性が考えられる。恐らく今何が起きているのか知っている可能性もある。
何も知らない翼にこの場所を事を伝えたことも気になっている。
「お母さんに聞いてみれば分かるかも知れない」
現在翼の祖父母は共に海外に行っており連絡しようにもどこに行っているのかは、帰国した時にしか教えてもらっていない。今もどの国に居るのか翼も知らないのだ。唯一知っているのが定期的に連絡を取っているらしい母親。と言うのも、翼が訊いても詳しく教えてもらえていない。
「では、お手数ですが明日、また教えて頂いてもよろしいですか?」
「分かりました。放課後、で良いですか?」
「そうですね。確保できる時間が長い方が色々と話しやすいですし」
放課後の方が都合が良いのはむしろミスズの方である。朱鷺ノ丘中学の入り口は植物園の奥に設置されている。元々人の出入りが少ない様な場所とは言え、人の多い学校。誰かに見られる可能性は他の場所よりも高い。
ミスズは、入る時と出る時。どちらも人に見られては困るが、より面倒なのが、出る時だった。入ったところを見られたとしても入るための鍵を知らなかければそもそも入って来ることは出来ない。出る時は、最悪別の出口から出てもらう事も可能。出入り口は監視できるので、入ったところも見られたことを伝えれば、翼に誤魔化してもらう事が出来る。
「あ、私そろそろ帰らなきゃ」
スマホの時間を確認すると下校時刻を過ぎている。植物園の鍵を返却しなくてはならないので上に翼が不在なのは都合が悪い。
「分かりました。寝室の子が目が覚めたらこの場所に来るよう、メモを残しておいてください。状況の説明くらいは出来ますので」
「分かりました」
そう言って翼は通信室を後にする。翼が居なくなった後、ミスズの独り言が静かに流れた。
「これも、何かの因果、でしょうかね」
翼はミスズに言われた通り、少女の枕元にメモを残して帰宅する。念のため、クローゼット側の扉は閉めた。
外に出ると5時を回っていた。翼は周囲に誰も居ないのを確認して、植物園を後にする。多くの生徒に混ざって翼も下校する。その時、ずっと足元を気にしながら歩く。この下に、あの空間が広がっていると思うと不思議な気持ちになった。
それと同時に朱鷺ノ丘と言う物も別の物に見えた。まるで、あの隠れ家を隠すためにある様な。そんな感じに。
「ただいま~。」
帰宅すると既に父が帰って来ていた。キッチンで夕食の準備をしている。普段、それは母の仕事。父が食事を準備をするときは母の居ない時だが、今日はずっと家に居ると言っていた。
「あれ、お母さんは?」
翼はリビングに鞄を置いて父親の元に向かう。
「臨時の自治会の会議だって」
「そっか」
母が居ればと思ったが思うように事が進まない。
翼はかつて祖父に渡されたメモを探す。何故か不思議と捨てられずに取っておいた。
色々な小物がしまってある箱を持ち出すとそこからメモを探して行く。小学生時代の物とかも一緒に出て来て中々見つからない。
何かと一緒に挟んだかと思い、心当たりのありそうな本をパラパラと捲って行くが見つからない。
「捨てちゃったのかな~」
一通り探して見つからないと言う事は何かの拍子に捨ててしまった。そう思った翼。詳しい事は祖父母に訊ねるのが一番早いのだろうが、今は連絡の取りようがない。唯一知って居そうな母も今は外出中。
「なんかついてない」
思わずため息が溺れる。
自分の知らない何かが起きようとしている。その事を考えた時どうしたら良いのか分からなくなる。何も知らない自分に何が出来るのか。今でも悩む。あの少女を一人にして良かったのか。あそこが安全だと言うのは翼にも理解できる。入ろうと思って簡単に入れる場所ではない。
「けど、目が覚めてあんな場所に居たら、普通逃げちゃうよ」
天は夕焼けから星空へと変わって行く。日が完全に落ちる前に見える星々。翼が一番好きな天
がそこにはあった。
「翼~」
父に呼ばれ翼はリビングへ向かう。
「先にお風呂入っちゃいなさい」
「は~い」
父に促されてお風呂場へ向かう翼。
入浴中も今日起きた出来事は頭から片時も離れなかった。
隠れ家と呼ばれる場所は生活に困らないと言われていただけあって設備は充実していた。ただ、食料品だけは保存期間が長い物しか置いていなかった。翼は帰る前に一通りの部屋を見て回った。蛇口も捻れば水が出たので水道や電気は普通に使えた。
「あそこ、何に使う為の場所なんだろう」
考えても答えは一向に見つからない。ただの秘密基地にしては完成しすぎている。何より一番の謎はミスズと言う存在だった。あの隠れ家の全てを理解した上で翼には話していない。
ミスズが何を知っているのか。今の翼には話せないと言って居た。なら、いつになったら教えてもらえるのか。翼が誰かに隠れ家の詳細を聞いた時なのか。それとも、翼の知らない世界を知った時なのか。あそこが何なのか、今の自分はほんとに知りたいと思っているのか。
考えれば考えるほど頭の中がぐちゃぐちゃになって行く。
「何も知らないままの方が、良かったのかな」
考えたところで何かが変わるわけではない。起きてしまった事に背を向ける事、目を向けない事は簡単だ。けれどその反対に向き合うのはとっても難しい。今まで流されるように生きて来た翼にはあまりに自分とかけ離れすぎている。
夢の中で見た少女。その少女が今自分の目の前に現れた。それは一体何を表しているのだろうか。何かを暗示しているのだとしたら、何故自分だったんだろうか。
祖父なら何か知っているのだろうか。
「お母さんに聞いてみよう」
お風呂からあがると夕食の準備が整っていた。
「お母さんまだ?」
「そうだね。まだ帰って来て無いな。そんなに遅くはならないと思うけど」
自治会の会議なら帰りは遅くなっても仕方が無い。それに今日のは元から予定されていた物でなく、臨時の物。こういう時はいつも帰って来るのが9時頃とか。
「遅く帰って来た時に聞いても悪い、よね」
夕食を食べながら、翼は父に祖父の事について訊ねる。
「ねぇ、お父さん」
「ん?」
「おじいちゃんとおばあちゃんて、何してる人なの?」
「どうしたん、急に?」
今までこういう質問を両親に投げかけた事が無い。勿論、祖父母にも。
「それは、母さんの方のか?」
「うん。」
「う~ん、実は僕もお義父さん達の仕事とかは知らないんだよ」
「え、そうなの?」
意外だった。そういうのって、知っているもんだと思っていたから。
ただ、隠れ家の事を考えると、あまり表だって伝えて居ないのも不思議ではない。何か理由があっての事なのかも知れない。
「ああ。確か公務員って言うのは聞いた事あるけど」
「そう、なんだ」
箸の進むスピードが遅くなる。
「なにか、知りたいことでも出来たのか?」
「う~ん、ちょっと気になったから」
「確かに、年中海外に行っていると、そうなるよな」
上手く誤魔化せたのか、父が翼に合わせたのか。これ以上、父の方から翼に何かを聞くことは無かった。
「ご馳走様~」
「流しに置いておいて」
「はーい」
食事を終えると、翼は自分の部屋に戻る。
翼は今も隠れ家に居る少女、ティアの事を考えていた。あの少女が夢に出て来た通りの少女だとして、あの場所に現れた経緯まで夢の通りなのかどうか。
本当にしろ、違うにしろ、あの少女がこの世界の外側の存在なのは間違いない。どうして、翼の夢の中に現れたのかは定かではない。少女の助けが翼に届いたのか、それとも全くの偶然なのか。
一度関わってしまった以上、暫くは関わり続けなくてはならないだろうと考える翼。そんな事が自分に出来る自信は、どこにもなかった。
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