四章 ファミリーエンブレムー4
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十一月二十九日は、アンソニーの百二十四回めの誕生日。
いろいろあって、早められるはずだったパーティーが、けっきょく、誕生日当日におこなわれた。
キリコの絵のなかに入ったような、白い幾何学的な建物のならぶ、ムーンサファリシティ。
今日は、ここが、アトキンス家の貸し切りだ。
夜まで催しものが目白押し。
アンソニーや家族の友人知人、話題の有名人や政財界の大立者を招いた、華やかな宴だ。
ダイアナをおとしいれようとする、ベランダの密談の首謀者の正体はわかったので、それを探す必要もなくなった。
タクミとユーベルも、自由に会場の遊園地で遊べる。
ピエロや着ぐるみをきたキャラクターたちが愛嬌をふりまき、マジックやパントマイムや、たくさんのショーがくりひろげられている。
一時間ごとに花火があがり、パレードが始まる。
園内の飲食店は、すべて無料で飲みほうだいの食べほうだい。乗りものだって、乗りほうだいだ。
「ユーベル。なんか乗ろうよ。今日なら人気のジェットマウンテンだって、ツインスパイラルだって、龍神だって、待ち時間なしで乗れるよ」
タクミは、すっかり、はしゃいでいたが、あいかわらず、ユーベルはむくれている。よっぽど、この前の件が気に食わないらしい。いまだに口をきいてくれない。
このところ調査は足ぶみ状態だ。
ほんとは、はしゃいでる場合じゃないことぐらい、タクミもわかっている。
コンスタンチェが帰ってきたので、ダイアナやアンソニーの相手をする時間が減ったので、ダイアナの過去について調べてみたのだが、どうも、思うようにいかない。
オリジナルのダイアナの親族に、ナイショで会って話を聞きたかったが、ダイアナの両親は、すでに他界。兄弟も、とうに死亡していた。
近親者と言える人が誰もいないのだ。
かろうじて、イトコの家族の消息かつかめた。が、現在は火星に移住していて、ちょくせつ会うことはできなかった。
オンライン回線で通話はできたものの、イトコは亡くなっていた。残された家族は、ダイアナについて何も知らなかった。
イトコの息子が通話に応えてくれたのだが。
「申しわけないですが、その人のことは、ほとんど知りません。一度だけ母から聞いたことがある。その人は若いころに家出して絶縁状態だったらしい。だから、その人の話題は、親類縁者のあいだで、タブーだったようです。素行が、あまり、よろしくなかったようで」
イトコの嫁ぎさきは、きまじめなエリート官僚の家系だった。それで、なおさら疎遠になっていたらしかった。
オールバックにした詰襟の官僚服の青年に謝辞をのべて、タクミは通話を切った。
それが、おとといのこと。
(あとは、ほんとに、またいとことか、甥の子どものなんとかとか、遠縁しかいないんだよなぁ。オリジナルのダイアナって、孤独な人だったのかな)
若いころに家出して、生家とは絶縁。
両親の葬式にすら帰らず、親族からは
親しい友人くらいはいたのかもしれないが、クローンのダイアナには、その記憶がない。
オリジナルの遺品は、どんなふうに処分されたのかもわからない。
生前のダイアナについて、多少なり知ってるのは、アンソニーしかいない。
しかし、アンソニーから思い出話を聞きだすのは、至難の技だ。じつは一、二度、それとなく水を向けてみたが、アンソニーは答えてくれなかった。
「悲しい事故を思いだすから、その話はしたくないよ。私は今、ダイアナが、ここにいてくれるだけでいい」と、にべもない。
あんまり、しつこいと疑いを招く。
それ以上は聞けなかった。
(しょうがないなぁ。またいとこに連絡をとつてみるか。せめてオリジナルの通ってた学校でもわかればな。学友なら、何か知ってるかもしれないぞ。晩年の親しい人とか)
まあ、それはそれ。
今日は気持ちをきりかえて羽を休めよう——と思うのだが……。
「あっ、ほら。ユーベル。見てごらんよ。女優のアメリア・ロッティだよ。やっぱりキレイだなあ。あっちのはサッカー選手のロベルトだね。握手してもらおうよ。ねえ」
さそってみるものの、完全に無視される。
「ユーベルぅ。いいかげん機嫌を直してくれよ。僕は同居を強制してるわけじゃないんだよ。君が家族と暮らしたいんなら、そうできるように方法を考えてみる」
これには反応があった。
「ぼくが怒ってるのは、そこじゃない」
わかってますよぉ。承知してますよぉーだ。
「じゃあ、僕と暮らすことはオッケーなんだね?」
通りすがりのバニーガールがポップコーンをくばっていた。キャラメル味をもらって、ユーベルにさしだす。ユーベルの大好物なのだ。ユーベルはだまって受けとり、バリバリかみくだく。
「なら、何が不満なの? 僕が君の恋人になれないって言ったから?」
ユーベルの手と口の動きが止まって、肯定の意思をしめす。
タクミは近くの花壇わきのベンチに、ユーベルを手招きした。
「ねえ、ユーベル。僕は君のこと好きだよ。ただの患者だとは思ってないよ。だけど、今のままの君が恋愛対象になることは、絶対にないよ」
「……知ってるよ。タクミはノーマルだから。おれが女になればいいんだろ? 十八になったら、性転換手術の申請ができる。おれ、タクミのためなら女になるよ」
タクミは困った。
グルグルまわるメリーゴーランドを、わけもなく見つめる。
「そういうところがだよ。君は相手に従属しすぎるんだ。そんなふうに強要されて育ったから、しかたないけど。
恋愛ってのは、本来、そうじゃない。対等な立場に立って、初めて成立するものだ。
君みたいに相手に
でも、それじゃいけないって、わかるだろ? これまでの男が、君にさせてたことと同じじゃないか。
僕は君に早く自立してもらいたい。一人の人間として、自由でいてもらいたい。そのうえでなければ、恋愛なんてできないよ」
ユーベルの瞳から、ぼろぼろ涙がこぼれて、ポップコーンをぬらした。
「ぼくのこと、めんどう見きれないってこと? 早く独り立ちして、離れていってほしいの?」
「そういう意味じゃないよ。君が、もっと自分のことを大切にできるようになって、思いやりと隷属の違いがわかるようにならないと、恋はできないって言ってるだけさ。それまでは、何年だって、何十年だって、僕は君をなげだしたりしない。絶対に、どんなことがあっても守るから。僕を信用してほしいんだ」
ユーベルは首をふった。
「そんなこと言って、サリーだって最初は、そう言ってたよ! ぼくが家族と暮らせるまで、ずっと見守るって。なのに自分が危なくなったら逃げたんだ。
ぼく、なんでだか知ってるよ。 サリーが愛してたのは、ぼくじゃないからだ! サリーは恋人だけ、つれていった。ぼくのことは置き去りにして。
恋の前では、みんな、そうなんだ。タクミだって恋人ができたら、ぼくのことなんて、すてていくに決まってるんだ!」
ポップコーンが宙を舞う。
ユーベルがなげつけてきたのだ。
タクミは頭からポップコーンまみれになった。
そのすきに、ユーベルは走っていく。
「うわあー。髪がキャラメルでベタベタだ!」
遠くなっていくピカチュウの背中を見ながら、タクミは頭をかかえた。
(そうだったのか。ユーベルはジャリマ先生のことが、そんなにショックだったのか。しょうがないか。あんなに、なついてたんだもんな。生まれて初めて優しくしてくれた人だから)
それで、タクミの恋人になることに、こだわっていたのだ。
だからと言って、ユーベルの恋人にはなれない。
わかってもらうには、どうしたらいいんだろう?
そんなことしなくても、タクミは裏切らないと。
(僕がジャリマ先生くらい強いエンパシストなら、サイコダイブをこころみて、ユーベルの不安をとりのぞくことができるのに……)
タクミだって、Aランクのエンパシストだ。
ふつうの患者相手なら、エンパシーを使って催眠療法ができる。
だが、ユーベルほど強力なエンパシスト相手では、そうもいかない。
逆にタクミのほうが、ユーベルのエンパシーにつかまってしまう危険性がある。ユーベルの意識の一部として、タクミの意識がとりこまれてしまうのだ。
せっかくのエンパシーも、これじゃ、なんの役にも立たない。
しかたなく、タクミはポップコーンまみれのまま、ベンチから立ちあがった。
言葉でユーベルを説得するために、走りだす。
時刻は十二時になりかけていた。
招待客がいっせいに、レストランへと移動している。
人ごみにまぎれて、ユーベルを見つけられない。
「おーい、ユーベル。どこ行ったんだよ。ユーベルー!」
呼びながら探し歩いていると、うしろから笑い声が聞こえてきた。
「いやだ。トウドウさん。どうしたの? その頭」
ふりかえると、イチゴバニラのソフトクリームをテにしたダイアナが、一人で立っていた。
着ているハーフコートもイチゴミルク色で、食べてしまいたいくらい可愛い。
「いや、どうも。みっともないとこ見られちゃったなぁ。ユーベルをさがしてるんですが、見なかったですか?」
「見てないわ。いっしょに探してあげましょうか?」
「でも、アンソニーさんが心配しますよ?」
そういえば、アンソニーの姿が見えない。
いつも、ダイアナに、ひっついてるのに。
ダイアナが、ぺろりと舌をだした。
いつになく、浮かれてるらしい、その仕草に、タクミはドキリとした。
「今日は、いろんな人が、あの人につきっきりだから。はぐれたことにして、逃げだしてきたの」
「じゃあ……いっしょに探してもらおうかな」
「見つかったら、三人で遊びましょ?」
腕をくまれて、タクミは顔が紅潮してくるのがわかった。頭が熱い。
(こんなにステキな子なのに、なんで、オシリスは、あんなこと言ったんだろう? ダイアナのことを調べろなんて。まさか、オシリス。ダイアナを犯人だと思ってるのかな?)
ふわふわと雲の上を歩いているような気分。
そんな疑念も消えていく。
「わたし、こんなふうに男の人と手をくんで歩くの、初めてよ」
「こ……光栄であります!」
「あ、観覧車。トウドウさん。あれに乗りましょ? 高いところから探したら、見つかるかもしれないわ」
「さようでありますね!」
な、なんなんだ。この軍隊口調。
美少女と二人で、観覧車に乗った。
ちょうど真上に来たときだ。遊園地の大時計が、十二時の
いっせいに花火があがる。
二人の乗った小さな船は、音と光の大海原に包まれた。
すぐ目の前に、大小の光の花が、ぷかり、ぷかりと、浮きあがっては沈んでいく。
ダイアナのカレイドスコープの瞳が、花火を映して七色に輝いた。
二人の船は、天空の楽園を進んでいくよう。
必要以上にロマンチック。
タクミの胸は、さざなみのように乱れる。
すると、うっとりと花火を見つめていたダイアナが、ふりかえった。ゆっくりと、タクミの胸にもたれてくる。
「わたしと逃げて。トウドウさん」
「えッ?」
おどろきすぎて、声がひっくりかえってしまった。
「逃げる? なんで?」
「わたし、あなたのことが好き。だから、わたしをつれて逃げて。今なら、誰にも見つからない」
「いや、でも……」
「わたし、こんなときのために、現金とパスポートを貸金庫にあずけてるの。それを持って、今すぐ、宇宙ステーションへ行きましょ? 火星行きの船に乗りましょうよ」
「でも、ユーベルが……」
「あの人はトウドウさんの恋人なの?」
「いや、違うよ」
「なら、いいじゃない。おねがい。わたしと逃げて」
ついさっき、ユーベルの言ってたことが、いきなり現実になってしまった。
世紀の美少女に、うるんだ瞳でせがまれれば、たいていの男は家族も仕事も、何もかもすてていいという気になるだろう。
数瞬のあいだ、タクミの心は、本気でゆれた。
彼女と行ってしまいたい。
このまま遠い星空の果てまで。
彼女をそくばくするものの何もないところまで。
だが、しかし——
「……ムリです。僕には、ユーベルを置いていくことはできません。僕が置いていったら、ユーベルはもう誰も信じられなくなる。僕は、たとえ何があっても、ユーベルを裏切っちゃいけない」
それに……。
頭をかくと、二つ三つ、ポップコーンが落ちてくる。
われながら、カッコ悪い。
とても絶世の美少女に恋こがれられて逃避行とシャレこむ、ヒーローには見えない。
「それに……僕だって男ですから。わかりますよ。本気で、それほど女性に慕われているかどうかくらい。あなたはアンソニーから逃げだしたいんであって、相手は僕でなくてもいいんでしょ?」
ダイアナは、急に、しょんぼりした。
シートのなかで肩を落とす。
花火はやんでいた。
ゴンドラも下降する。
恋の夢は一瞬で、さめてしまった。
「ごめんなさい。わたし、逃げだしたいけど、一人じゃ怖くて……」
「いいですよ。わかってましたから」と言いつつ、やっぱり、心が痛い。
うう……そんなもんだよね。僕なんて。
「でも、そんなウソつかなくても、あなたが、ほんとに逃げだしたいなら、協力するのに。もう少し信用してほしかったなぁ」
「ごめんなさい……」
「あなたが火星で生活できるように、向こうの知りあいに紹介するし。
いや、いっそ、僕とユーベルもついていっちゃおうかな。あなたが向こうになれるまで、いっしょに暮らしましょう。
僕も火星は初めてだけど、三人いれば、なんとかなりますよ」
ダイアナはタクミを見つめた。
ほんのりと、さみしげな笑みをうかべる。
「やっぱり、やさしいのね。トウドウさん。わたし……」
ダイアナは、このとき、何を言いかけたのだろうか?
観覧車が一周して、地面が近づいてきた。
タクミは急いで、伝えたいことを言ってしまおうと、あせった。
「もうちょっとの辛抱ですよ。アンソニーがアルバートだってことが立証されたら、あなたは晴れて未亡人ですから。逃げる必要もなくなります」
「……もちろん、そう。でも、わたし、なんだか怖いの」
ダイアナの不安がなんなのか、タクミには感じとることはできなかった。
観覧車は昇降口についた。
外からドアがひらかれる。
外へ出たところで、タクミは気づいた。
遊園地のなかのふんいきが、さっきまでと違う。
スタッフが、ざわついている。警備員の数もふえている。
「何かあったんですか?」
観覧車の係員に聞いても、営業スマイルで否定された。
「いえ。なんでもありません。お客さまには、決してご迷惑はおかけしません。お気になさらず、お楽しみください」
気にするなと言われれば、よけい気になる。
サファリパークから動物でも逃げだしたんだろうか?
まあ、逃げだしたのが猛獣なら、避難勧告くらいあるだろう……とは思うのだが、落ちつかない。
遊歩道におりて歩きはじめると、パークの警備員にまじって、つんと鼻をつく薬品の匂いをさせる男たちが右往左往していた。
私服をきて、パーティーの客のふりをしてるが、あきらかに異なる。
タクミは、彼らの薬品の匂いに、おぼえがあった。
(メアリと同じだ。彼ら、メアリの仲間なんだ。ということは、もしかして、ここに、オシリスが来るのか?)
オシリスはダイアナの命を狙ってる。
タクミはあわてて、ダイアナをかえりみた。
「ここは物騒だ。みんなのいる場所へ帰ったほうがいいよ」
今日一日、自由行動のつもりでいたダイアナは、気落ちしたようだ。かわいそうだが、命にはかえられない。
タクミはダイアナの手をひいて、ホテルや飲食店の集中しているエリアへ歩いていこうとした。
そのとき——
目の前に、急激に、今いる場所とは違う風景が広がってくる。
密林を模した深い緑。
木立ちのなかに、数頭のホワイトタイガーがいる。
それらをしたがえて、オシリスが立っていた。
オシリスは片手でトラのあごの下をくすぐりながら、片手にはユーベルをかかえている。ユーベルは気を失っている。
トラのしたがユーベルのほおをなめるのを見て、タクミは冷たい感覚を味わった。
幻影の向こうから、オシリスの深緑の双眸が、タクミを見つめる。
『おいで。タクミ』
心が吸われる。
あざやかなグリーンの瞳が、じょじょに大きくなり、タクミの意識を飲みこもうとする。
『やめろ!』
タクミは全力で自分をガードした。
やっとのことで、オシリスのエンパシーを遮断する。
ダイアナが、タクミの腕をにぎりしめてくる。
「トウドウさん! 顔色が真っ青よ」
「いいんだ。僕は行かなくちゃ。ダイアナ、君は、みんなのところに戻るんだ。いいね?」
言い残して、タクミは走りだした。
だから、もちろん、気づいてはいない。
うしろ姿を見送っていたダイアナが、こっそり、あとを追ってきたことに……。
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