第97話 新たに加わる者
魏延は楊儀に太守の引き継ぎを終えると馬忠を伴い上庸から南鄭を経て長安に向かった。魏延は武都を通らず敢えて子午谷を抜けた。
魏延は子午谷で小休止している時に前世の記憶を思い出していた。北伐において着実に歩を進めようとする諸葛亮に対して子午谷を抜け長安を急襲して橋頭堡を築くべきだと主張した魏延は必然的に対立する事になった。思い返してみると諸葛亮の取った策は長期戦を見越したものであり軍師を担う人材が不足していた蜀にとって最善の手であった。過去を思い返した魏延は前世の自分が武辺一辺倒の猪武者であったと嘆き自戒した。
◇◇◇◇◇
長安に到着した魏延は政庁に入った。
「魏延将軍、此度は申し訳ない。」
「魏の連中と交渉するには気の短い俺達には務まらねえからな。」
「私も父の件で蟠りがあるから平静を保てると約束出来ないのだ。」
「かと言って短気を起こして無礼だと斬り捨てたら問題になる。」
法正の言葉を切っ掛けにして張飛・馬超・黄忠の三人が次々に話を始めた。三人共それなりに駆け引きが出来るので交渉役は十分に務まる。ただ魏とは色々あった為に手を挙げにくく躊躇している内に魏延を漢中軍に回す事が決められた。
「その件は責任を持って何とか致します。」
魏延の言葉を聞いた三人は戦に専念出来ると安心したのか静かになった。
「助かります。因みに鳳雛先生からは何か聞いておられますか?」
法正は魏延に近づくと耳打ちした。
「某に一任すると言っておられました。」
魏延の答えを聞いた法正は何も言わず小さく頷いた。
◇◇◇◇◇
漢中軍は長安を出発して東へ向かった。道中では晋軍と遭遇したものの先鋒を務める張飛の相手にならず訳なく蹴散らした。その勢いのまま潼関を奪った漢中軍は弘農に向かった。
弘農に着く少し前、法正は軍の一部を魏延に預けた。その数は二万で姜維と呉班の二人が補佐役に付けられた。本隊が弘農を攻めている最中に黄河を渡河して河北方面に橋頭堡を築くためである。
姜維は前世において天水の麒麟児と称され諸葛亮の軍事面での後継者であった。諸葛亮の亡き後に北伐を行い、司馬一族が率いる魏軍と互角に戦っている。鄧艾の成都奇襲により劉禅が降伏したので対峙していた鍾会に降伏して蜀の滅亡を目の当たりにした。その後、鍾会をけしかけて共に離反したが警戒していた鄧艾に鎮圧され殺害された。魏延と姜維は互いに力量を認めていた事から馬が合ったので諸葛亮と楊儀は魏延に命令を下す際、姜維を伝言役に命じる事も度々あった。魏延も姜維が言うのなら間違い無いとして素直に従っていた。
呉班は劉璋に仕えて蜀の武官を務めており、劉璋降伏後に劉備の配下となった。漢中制圧後から張飛の副官を務めて魏延と同じく役目をそつなくこなすので張飛からも気に入られていた。呉班が張飛の命令で閬中を離れていた際、張達・范彊によって張飛が殺害されている。呉班は嫡男の張苞を総大将に立てて軍の動揺を最小限に抑えると共に遅参なく成都からの主力軍と合流を果たしたので劉備に称賛された。呉班は諸葛亮が生前最後に行った北伐で戦死している。
◇◇◇◇◇
魏延は姜維と呉班が合流するまでの間、馬忠から軍の編成について話を聞いていた。
「張達と范彊か。」
「二人をご存知ですか?」
「何処かで聞いた事があるような気がしただけだ。」
魏延は上手く誤魔化したが二人の名前を聞いて嫌な気分になった。張達と范彊は閬中で張飛を殺害した後、呉に亡命してまんまと逃げ延びている。張飛が孫呉討伐の為に東進する劉備に合流する際に二人に無理難題を命じた事が原因(副官を務める呉班が別件対応で閬中に居なかったので張飛の暴走を止める者が居なかった事も一因である)なので同情するべき点もあったが二人の暴挙で張飛だけでなく黄忠も間接的に死に追いやったと魏延は見ていたので二人を序列に加える事で何かが起きるのではないかと考えた。
「馬忠、その二人を私の直属に加えてくれ。」
「構いませぬが何かあるのですか?」
「鳳雛先生から将軍職を担う事が出来る人材を見出してくれと頼まれているからその二人を試してみようと思ったのだ。」
確かに魏延は龐統から人材の見極めを頼まれていたが漢中軍への転属によりその話は無くなった。馬忠への言い訳の為に利用しただけである。
「魏延将軍は人を育てるのが上手いと某も聞いております。」
「偶々だと思うがな。」
傅士仁のように良い方向に進めば良いが何度も成功するとは思えないので駄目な場合はそれなりの対処が必要だろうと魏延は考えた。
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