第94話 魏の旧臣

魏延は所要で江陵に赴いた際、劉封から夏侯楙と夏侯覇を紹介された。二人とは荊北侵攻の際に刃を交えた事があるので初対面ではなかった。因みに夏侯楙と夏侯覇は降伏後に劉封から牙門将軍を拝命して関羽の下に付いている。


「これを見てほしい。」


魏延は二人に書付を差し出した。


「これは張郃将軍の?」


「生きておられたのか。」


二人は張郃が生きている事を知り驚いた。司馬師から河北を乗っ取る企みが露見したので討ち取ったと聞いていたからである。その話が全くの出鱈目である事を知った二人は怒りを顕にした。


「君達の怒りをぶつける場を用意する事を約束する。それで怒りを収めてほしい。」


魏延は二人に頭を下げた。前世の魏延なら一喝して場を収めていたがそれでは二人の面子を潰す事になる。頭を下げる事で二人の顔を立てつつ怒りを鎮める方向に持っていった。


「申し訳ございません。」


夏侯楙は魏延の態度を見て冷静さを取り戻し、夏侯覇と共に頭を下げた。


「魏延将軍。」


その様子を見ていた劉封が魏延の肩を叩いて耳打ちした。魏延は劉封に黙礼すると二人の方へ向き直した。


「二人に頼みがある。」


「何なりと。」


「配下の者を晋に向かわせてほしい。魏の旧臣の動向を分かる範囲で調べてもらいたいのだ。」


「承知致しました。」 


「これは君達にしか頼めない事だ。些細な事でも良いから知らせてくれ。」


二人は蜀に降って以来客人扱いで何も命じられなかった。顔を合わせる度にこのままで良いのかと話し合い時には役目を与えてほしいと自ら願い出た事もあった。しかし劉封や龐統から二人に任せるような役目は無いから来る時に備えるようにと言い含められ悶々としていた。ようやく役目を任されたので二人は喜び、自分たちにしか出来ないと言われたので期待に沿うよう全力を尽くさなければならないと心に誓った。


◇◇◇◇◇


夏侯楙と夏侯覇が晋の各地に送り込んだ配下の兵士が次々と江陵に戻って来た。魏延も偶々江陵を訪れていたので報告の場に立ち会った。


「晋陽北部に張郃将軍・徐晃将軍・陳大夫(陳羣)が潜伏しております。また張遼将軍・李典将軍・楽進将軍・徐軍師(徐庶)が南皮西方で潜伏しております。」


「将兵の数は?」


劉封が夏侯楙に訊ねた。


「それぞれ千人程度です。数が多くなると目立ちますので人を集めにくい状況です。」


「一騎当千が揃っているが兵の数に問題がある。現時点では行動を起こす事が困難であろうな。」


夏侯楙の答えを聞いた関羽は両勢力が動いたところで瞬く間に潰されるという見解を述べた。


「元直でも劣勢を覆すのは困難を極めるだろうね。」


「注意を反らせる事が出来ればと思ったが…。」


龐統と劉封も関羽と同じように現時点では北伐時の補完勢力にならないという見解を持った。


「面白い手を思いついたよ。これは劉備様の許可が無ければ駄目だけどね。」


「鳳雛先生、公孫淵を利用されるつもりですか?」


じっと地図を見ていた馬謖が不意に顔を上げて龐統に訊ねた。


「その通りだよ。公孫淵を動かして同時に両勢力が動けば司馬懿も北に目を向けざるを得なくなる。」


「お待ち下さい。公孫淵は従う勢力を度々変えております。仮に従ったとしても直ぐに裏切るのでは?」


変わり身の早い公孫淵に対して馬謖は懸念していた。それはこの場に集まっている荊州軍関係者全員が思っている事だった。


「あの男は自分が生き残る為にはどうすれば良いかだけを考えて動いているように思えるね。地位と土地を約束してやれば劉備様に従うだろうね。」


「毒も使いようによっては薬になる。毒になるようなら切り捨てるしかあるまい。」


韓玄も龐統の考えに同意した。裏切るようなら潰せばよいと懸念を打ち消すように単純明快な答えを出していた。


「あっしは成都に行って劉備様と話をしてくるよ。悪いけど長安にいる法正に使者を送って成都に来るよう伝えてもらおうかね。」


龐統は劉封に使者を走らせるよう頼むと成都に向かう準備をする為に部屋から出て行った。


「軍師が成都から戻れば北伐が始まるだろう。全員そのつもりで準備を始めてもらう。」


「はっ。」


劉封の指示を受けてその場に居た全員が拱手した。劉備の決断如何で北伐が始まる事になる。各々胸に様々な思いを秘めながら任地に戻り来たるべき召集に備えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る