第16話 胡車児・方天戟

魏延は襄陽城に入ると張飛の元へ向かった。城内は張南と馮習が手分けして治安確保と魏軍兵士の捜索を行っていた。


「魏文長、入ります。」


「魏延、この通り襄陽は占領したぞ。」


「おめでとうございます。」


「お前の立てた作戦が嵌ったお陰だ。張南や馮習もよくやってくれた。」


張飛は一度の攻撃で襄陽を落とせた事に満足している様子だった。


「将軍、襄江に至る街道を警戒している最中に魏軍と遭遇しまして。」


魏延は襄陽から逃走しようと試みた魏軍と遭遇し、戦闘に至った件を報告した。胡車児を一騎打ちの末に拘束した事も含んでいる。話を聞いた張飛は魏延を伴い城内の牢屋へ向かった。


「お前が胡車児か。見るからに力が有りそうだな。」


「誰だ、お前は?」


「俺は張翼徳だ。張飛と云えば分かるか。」


「その張飛が何の用だ。」


「話があるから来たんだよ。」


張飛は胡車児に対して劉備に降る事を提案した。断られるのが当たり前、断らなければ逆に怪しむところだった。


「断る。」


「魏に帰って居場所があると思ってるのか。」


「どういう意味だ?」


「魏延、教えてやれ。」


魏延は降伏した魏軍兵士から聞いた情報を基に胡車児が置かれている状況を説明した。胡車児は魏軍生え抜きでなく曹操の独断で配下になっていた。加えて宛の時代に仕えていた張繍が先年病死した事もあり後ろ盾が無くなり立場を悪くしていた。


「曹操は仇でも役に立つなら許す度量を持っているが他の者はそこまで寛容でないという事だ。」


「魏に戻ったところで殺されてしまうのか。」


「その可能性は大いに高い。」


胡車児は自身の置かれた状況を聞いて落胆した。賈詡が考えた作戦に従って動いただけだが結果的に曹昂・曹安眠・典韋を殺してしまった。三人とも曹操に近い者である為、曹操以外の諸将からも恨みを買っている。胡車児が劉備軍に降った事で恨みを抱く者からすれば復讐出来る状況が整った事になるのをようやく理解した。


「お前の取る道は三つだ。この場で死ぬ、魏に戻って死ぬ、我が君に仕える。」


「仮に魏に戻って生き延びたとしてもいずれ我が君に潰される。漢室を蔑ろにした不忠者の配下としてな。」


「俺は帝を蔑ろにしていないぞ。」


「お前がしていなくても親玉の曹操がしているから同類だ。」


張飛と魏延から散々脅し言葉を聞かされて胡車児は魏に戻る事に恐怖感を覚えた。仮に曹操が許したとしても周囲がそれを許さず早かれ遅かれ命を失う事は明らかだった。


「帝に不忠を働いた者として死ぬか、帝に忠義を尽くした者として生きるかだ。」


「劉備に仕えたら帝には忠義を尽くせるんだな?」


「その通りだ。」


「俺を劉備軍に加えてくれ。魏に戻って野垂れ死にするぐらいなら劉備軍で帝の為に戦って死ぬ方が悔いもない。」


胡車児は吹っ切れた表情で劉備に降ると言った。魏に残っている同胞賈詡の事を気に掛けたが当の本人は曹操の軍師兼側近としての地位を確立しており胡車児がどのように動こうとも影響がない立場にあったので胡車児の事はどうでも良いという姿勢だった。


「話は終わりだ。魏延、縄を解いてやれ。」


「承知しました。」


「胡車児、しばらくは魏延の下で動いてくれ。」


「心得ました。」


張飛は魏延を伴い政庁に戻った。胡車児は傷の養生が必要なので城内に設けた収容施設に向かわせた。


「魏延、やはり長刀は使い物にはならんか。」


「はい。新しく作り直す必要があります。」


「俺の武器を一つ譲ってやる。」


張飛は立ち上がると近くに立て掛けていた武器を手に取り、魏延に渡した。


「方天戟だ。この蛇矛と同じ時期に誂えたが使う機会が無くてな。」


「良いのですか?」


「使わないまま置物にしては武器に申し訳ないだろう。お前なら使いこなせる筈

だ。」


「それでは有難く拝領致します。」


方天戟は槍の穂先の両側に刃を備え付けた物で呂布の愛用武器として名が知られているが実際使っていたとされるのは片刃の方天画戟である。張飛は長年長刀を使っていたが徐州騒乱で劉備とはぐれて放浪生活を送っていた際に蛇矛と方天戟を誂えた。蛇矛を使っているうちに馴染んでしまい、方天戟は手入れを常々行っていたが飾り物のようになっていた。部下の魏延が愛用の武器を失った為、襄陽攻略の褒美代わりに譲渡した。


魏延は外に出て方天戟を扱ってみたが長刀より使い勝手が良さそうに感じた。この後、両刃の方天戟は魏延の代名詞として名を残す事になる。

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