八章 陽炎 4—3


 ああ、ダメだ。いくら猛でも、ピストルの弾より速く、僕を助けることなんてできない。


 と、そこで、猛が言った。


「蘭があんたを愛してるって、いつ言ったんだ?」


 あ、猛。そんな彼女を刺激するようなことを。

 こっちは銃で狙われてるんだよ。

 お願いっ。気遣って(涙目)。


 でも、おかげで、更科さんの気はそれた。


「もちろん、蘭は、あたしのこと愛してくれてるわ。だから、あんなに、いっしょうけんめい、ゲームに勝とうとしてくれたんだよね? 蘭?」


 つかつか歩みよってきて、更科さんは僕をつきとばした。

 撃たれなかっただけ感謝しなくちゃいけないかもだが、僕は尻もちついた。蘭さんをうばわれてしまう。


 更科さんに、のぞきこまれて、蘭さんは顔をそむける。


「どうしたのォ? もしかして、まだ怒ってるのぉ? あのこと。だって、蘭のお父さんだなんて、知らなかったんだもん。ゆるしてくれるよね?」


 デートに遅れて、ごめんね。だって、あなたのためにオシャレしてたんだもんーーとでもいうように、ぺろっと舌をだす。


 いや、そこは、テヘぺろで許される範囲では……。


「でも、よかったあ。蘭の綺麗な顔に傷がつかなくて。


 ねえ、こっち向いてよぉ。もっとよく顔を見せてェ」


 ますます、蘭さんは顔をそむけていく。


「もう、よせよ! そいつ、いやがってるだろ。優衣」


 速水くんが叫んで、とびかかろうとした。


 更科さんは、ふりむきざまに、二、三発、撃った。


 速水くんは、うめいて、ゆかに倒れる。


「もとカレってぐらいで、でしゃばんないでよ。蘭の前で、少しは空気読んでぇ。


 あんたなんかねえ、最初から、蘭の代役なの。なんとも思ってないの」


 速水くんは即死ではなかった。


 どっか撃たれたのは確かみたいだが、そう言われて、悔し泣きを始めた。


 彼女の復讐のために、何人もの命をうばったのに、速水くんの思いは、まったく、むくわれなかったのだ。


「ああ、ウザイ男。ごめんねぇ。蘭。あんなの、ぜんぜん、好きじゃないよ。蘭だけだから。

 あたし、キレイになったでしょ? ね、蘭。今度こそ、結婚してくれるよね?早くゲームに勝って、いっしょになろうね」


 その瞬間、蘭さんは、絶対やっちゃいけないことをした。自分のハートをむしりとり、彼女の足元に、なげすてたのだ。


「いやああアアアアアーッ!」


 絶叫がほとばしり、更科さんは蘭さんをつきとばした。


 よろめいて、倒れる蘭さんの上に馬乗りになって、更科さんは銃をつきつける。


「なんでェ? なんで、そういうことしちゃうのォ? 言ったよね! あたし、言ったよね! あたしのものにならない蘭なんて、こうしてやるって!」


 蘭さんは、ふいに彼女をまっすぐ、にらみつけた。


「おまえのものになるくらいなら、死ぬよ。今なら、大海と逝けるしね。殺せ! おれを大海と逝かせてみろ!」


 優衣の顔は怒りで真紅にそまった。だが、なぜか、撃つことをためらった。


 自分のものにならない蘭さんは許せないが、ここで殺すと、ほかのやつのものになってしまう。

 このジレンマに、ゆれたのだ。


 優衣は銃をなげだした。

 蘭さんの首を両手で、つかみ、激しく、ゆさぶった。


「なんで! なんで、ほかのやつのことなんか言うのッ? ずるいよッ。蘭は、いっつも、そうやって、ほかの人のことばっかり……。好きになってよ! あたしのこと、好きになってよォ!」


 子どもみたいに泣きわめき、完全に我を忘れている。


 蘭さんは首をしめられ、もう失神してしまいそう。


(助けなきゃ。蘭さんを助けなきゃ……)


 僕は意を決して、ガクガクふるえる足に力をこめて、立ちあがる。


 そして——決まった!

 背後からタックル、アーンド、一本背負い!


 もちろん……猛が。


「やったーッ! 兄ちゃあーん」

「蘭が、こいつの気をそらしてくれたからな。蘭、大丈夫か?」

「ええ、まあ、銃で撃たれるよりは……」

「おれの合図に気づいてくれて、嬉しいよ」


 そうか。蘭さんがムチャしたのは、相手をちょうはつして、注意力をさんまんにする作戦だったのか。


「かーくん。ロープ持ってきてくれ」


 猛に言われて、僕は野溝さんをしばってたロープをとりにいった。


 野溝さんは、もう、こときれてる。

 この人も可哀想な人だ。きっと、あたたかい家庭がほしかっただけだろうに。


 姉を撃ったあとの妹の暴言を聞かずに逝けたのなら、まあ、いいほうか。


「おーい、かーくん。早くしてくれ。こいつ、バカ力で押さえとくの——」


 とつぜん、猛の声にかさなって、パン、と音がした。

 あわてて、僕は、ふりかえる。

 まさか、猛が撃たれたのか?


 だが、かえりみると、銃を手にしてたのは、更科さんではなく、速水くんだった。


 更科さんの頭に向けられた銃口から、ほそいケムリがあがってる。


「こんなやつでも、おれには大切な女だった。すまん。こいつのワガママで、こんなことになって……ほんとに、すまなかった」


 そう言って、速水くんは自分のこめかみに銃を押しあてた。

 誰にも止めることはできなかった。

 最後の銃声が、せつなく、ひびいた……。

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