第41話 メリヤスはその地図をすっかり食べてしまった

 メリヤスの人当たりの良い笑顔が、逆にニコの警戒を強める。表情をどれだけ繕おうと、その奥にある好奇の念が滲み出ているのが分かる。

 幼いニコでも分かる。

「さあ」

 警戒するニコの目の前に、メリヤスの手が伸びる。

 ニコはその手をとった。警戒し続ければ、この羊の亜人から逃げる術はいくらでもある。

 相手が余裕を見せていることは、油断しているということだ。

 どこかで聞いたその言葉が、ニコの頭をよぎる。誰が言ったのかは思い出せないが、確かに信頼できる者の言葉のように、ニコには思われた。

「地図は」

 短く問われて、ニコは懐から地図を取り出した。片手でニコの体を支えながら、メリヤスはその地図をサッと掏り、確かめる。

「あっ」

「ふむふむ」

 少し見て頷くと、メリヤスはその地図をパクリと口に入れた。

「あっ!?」

「もぐもぐ」

 口が動く。喉が動く。ごくん。それで、メリヤスはその地図をすっかり食べてしまった。

「いいインクの風味ですねえ」

「ちょっ、ええ!?た、食べちゃったの!?」

「そりゃあ、ワタクシはシーピープですから」

「羊の亜人って紙を食べるの!?」

「ええ、まあ」

 曖昧に返事するメリヤスに、ニコはすっかり興味津々になって、そこがロ=ロルの屋敷であることなどすっかり忘れてメリヤスに近づいた。

「口の中見せて!」

「イヤですよ。さ、それよりも行きましょう」

 取った手からその体に引っ付こうとしてきたニコを払って、メリヤスは戸を開けた。

 広い廊下、高い天井、その全てが人間の規格から外れている。記憶の中の地図を広げても、ニコはそのスケールの違いにすっかり騙されて、居場所に見当をつけることさえできなかった。

「ロ=ロルの部屋はこちらです」

 周囲を見回していたニコは、軽く手を引かれてバランスを崩す。片足で何とか持ちこたえていたが、半ばメリヤスに持ち上げられるようにして歩いていた。

 廊下どころか、屋敷全体がシンと静まりかえっている。

 亜人一人、どころか屋敷にいる生き物はメリヤスと自分だけなのではないかと感じるほどの静寂に、ニコは思わず身震いした。コツコツと規則正しい音を鳴らす燕尾服の亜人の足音と、壊れたからくり人形のような不規則な足音を鳴らすニコ。

 腕をひかれて歩くメリヤスは、階段を一つ上がり、廊下をさらに進み、やがて一つの扉の前に立ち止まった。

「ここです」

 シックな木材の大扉があった。他の部屋のものとは明らかに材質が異なり、匂い立つような渋茶色の、堂々とした扉である。

 ニコは、その大扉を目の前にして、口をぽかんと開けたままメリヤスの隣に立っていた。

「……どうしました?」

 渋茶色の貫禄ある大扉を前にしてぼんやりと立ち尽くすニコに、メリヤスはわずかに腰をかがめて顔色をうかがう。

 目の前でその手が上下にふられて初めて、ニコは眠りから覚めたように体を一つビクンと跳ねさせた。

「う、ううん!なんでもないよ」

「そうですか」

 何かある。

 しかしそれに関して、メリヤスは聞くことをしないでおいた。

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