第24話 ニコは気絶し、その場に崩れ落ちた
モルーギはニコが眠っていたベッドの端に腰かけると、背中を丸めて腿に肘をついた。
「そう。ヤツは今、臆病風に吹かれている。人間解放共同体の出現によってな」
「ああ、なるほど」
人間解放共同体という単語を聞いて、ムヌーグが大きく首肯する。
「どういうこと?」
「これまで傍若無人にやりたいことをやってきたツケが回ってきているって話だ。オーインクたちの中でも、とりわけロ=ロルは人間というモノを蔑ろにし過ぎてきた。因果応報ってヤツだな」
「それで、人一倍権利を保有しているニコに目をつけた、と」
「嬢の言う通り。人間から身を守るために人間を利用しようって腹なんだが、何の気まぐれかそれをムヌーグ嬢が邪魔しちまった」
ムヌーグがモルーギに向かって冷えた皿を差し出した。
モルーギはそれに短くなった煙草を押しつけて火を消すと、軋むベッドに両手をかけて体を後方に預けた。
「じゃあ、ロ=ロルは今ごろ僕たちを血眼になって探してるんじゃ……?」
「それはないな」
顎髭をなぞりながら、ピシャリと断定する。
「ニコ、お前の杖はただの杖じゃあないんだろう?」
続けて、天井をぼんやりと眺めながら、モルーギが問う。
目を見開くニコと、何のことだか分からないという様子のムヌーグ。体を前後に揺すってニコの言葉を待つ老翁は、顔を上向けながらも、ニコの気配をずっと探っていた。
「……なんのこと?」
「とぼけんな、臭いで分かる」
二人のやりとりの中で、ムヌーグは考える。
その杖は、世界をつくるための杖だとニコは言った。もし、その杖に地下遺跡と歴史を同じくする物であれば、それはただの木の棒などではなく、高度にカモフラージュされた全く別の何かであることになる。
「モルーギ翁、やはりニコの杖は特別なものなんですか?」
「詳しいことは俺にも分からんが、特別か特別じゃないかって聞かれれば、唯一無二だろうな。俺の予想が間違っていなけりゃあ」
杖が大切なものであることはムヌーグ自身も感づいていた。しかし博聞強記のモルーギをして唯一無二と言わしめる。その希少性を思うとムヌーグは背筋の凍る思いがした。
なぜ、それほど貴重なものを、こんなみすぼらしい少年が持っていたのか。誰に騒がれることもなく、密かに。
「俺がほんの少し調べただけでそれが唯一無二だと分かる。だとすればロ=ロルがそれを知らなかったはずがない。杖がこっちの手にあれば、ニコはそれを無視するはずがない、奴さんはそう考えているんだろうよ」
そして、その思惑は今のところ全く外れていない。
ニコが杖に執心していることはニコを連れ戻そうとしていた連中によって明らかであったし、その一件がある以上、ニコが食い下がることは確実だ。
「俺らとホンキで事を構えるくらいなら、物言わぬ杖を餌に相手が網にかかりに来てくれるのを待つ方がいい。大方そんな感じだろうな」
開け放たれた窓から、ふわりと風が流れてきた。
「じゃあ、やっぱり取り返しに行かなきゃ……」
ニコがうわ言のように呟く。
「魚を殺す水槽の中に、わざわざ自分から戻るって言うのか?」
モルーギが言う。
頷こうとしたニコを、突如、猛烈な頭痛が襲った。
「うっ」
頭痛は眩暈を引き起こし、眩暈は全身の筋肉を弛緩させる。弛緩した筋肉は三半規管の混乱と相まって、ニコの平衡感覚を失わせた。
視界がホワイトアウトする。
再び、糸の切れた人形のように、ニコはその場に崩れ落ちそうになる。
その体を、あっさりとムヌーグが支えた。
「薬茶は飲ませたんだな、ムヌーグ」
「ええ、翁の言うとおりに」
ひ弱な人間をひょいと肩に担ぐと、もう片方の手で灰皿代わりの食器を握りしめる。
手の中でひしゃげた皿をゴミ箱に捨てると、ムヌーグは再びニコをベッドに寝かせるのだった。
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