10. 「サボってやった」快感。

前にも書きましたが、私は(ごく一部を除いて)決して家事の作業そのものがキライなわけではない。


ではなぜ、「人がふつうに想定している頻度やタイミングで家事がなされない」のか。それは「『家事自体がキライ』でやってないこと」と、どう違うのか。


7話目で、「やる気になってる時にやる家事は、その行為一つ一つをむしろ好きと言えるのだけど、自分のやりたいタイミングでない時に家事をするということが大大大っキライ」「そして、そのやりたいタイミングが、あんまりやって来ないだけ」などなどとグータラの極意を披露して、さぞかしヒンシュクを買ったことだろうと思われる。


いや、きっとグータラ道を貫く方々にだけは共感していただけると思いたいのだけど、夫のM夫くんも当初はこれが理解できないらしかった。


それで、一度、この上記「やりたいタイミング」の問題を話したことがある。

加えて、これまで生きてきて、私の台所に立つ回数は一日中家にいた場合で4回(できれば3回が理想)というふうに定着していたので、それもタイミングの例えとして説明した。それ以外は立ちたくないのだ、と。


1.朝ごはんの支度(前日の洗い物が残っていた場合はそれも)

2.朝ごはんの洗い物をして昼ごはんの支度

3.昼ごはんの洗い物をして夜ごはんの支度

(4.夜ごはんの洗い物)


ふぅ〜んと、わかったようなわからないような顔をしてM夫くんは聞いていた。

まあ、彼は体重が私より倍近く重いのに、私よりもずっと腰が軽く、一人暮らしが長かったせいもあって苦もなく家事をする人なので、しょうがない。


なおも、私は続けた。

「家事はこうすべきという基準でやると、『意に反してやらされてる』感が出てやりたくなくなるし、やらねばというプレッシャーを感じて苦痛になる。あくまでも、自分の意思でやりたい時にやると、むしろ楽しくできたりする」


そして、最後に私が繰り出した一言。これが、けっこう効いたらしい。

「それに、本来やるべき時にやるべき家事をやってない結果を見ると、『サボってやった!』っていう快感というか、満足感を感じる(ことがよくある)。そのあとに、満を持して取りかかると、鼻歌まで出ちゃうわけなのよ」


実際、たとえば、夜ごはんが終わってそのままのんびりモードに入ってる時に、あぁ、やらなくちゃとのんびりをいったん断ち切って台所に立って洗い物をする時は、ものすごく面倒くさくて不本意な感じがしてやりたくないのに、朝起きて、シンクの周りに放置されてる洗い物をする時は、ふんふんふーん♪って感じだ。


え、これって、私だけですか??


★今日のグータラ指数90/ダメダメ指数10

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