人生最後に告白を
Kuruha
第1話
福永時子に告白しようと思う。
これは突発的な感情ではなく、前々から思っていたことだ。
いや?
いざやろうと決めたのはたった数分前のことなのだから、これは突発的といっても過言ではないのか。
いいや。
いずれ告白すること自体はほぼ確定だったのだから、これは計画的犯行だ。
計画的蛮行だ。
それが例え、今日という日にここにいるのが俺と福永時子だけだと気が付いた瞬間に、決行を決意したのだとしても。
人類最後の日。今日がそう呼ばれだしたのは半年ほど前だろうか。
回避不能な隕石の衝突。それが人類の終末だという。
発表された初めの内は、様々な機関が回避に向けて動いていた。しかし、回避不能は覆らなかった。
やがて、誰もが終末を受け入れ――諦めたのがつい先週。
この1週間は、全ての人間が労働から解放され、残りの人生を謳歌することに使われた。
もちろん、学業なんてする必要もない。だって1週間後には死んでしまうのだから。来たるべき将来に向けて、の将来がなくなってしまったのだから。
残りの人生のため、解放された学校をたまり場にするやつらもいたが、さすがの最終日にまで来るようなやつはいなかった。――俺と、福永時子以外は。
福永時子は窓際の席で本を読んでいた。ハードカバーの表紙に難しい漢字が並んでいて、俺が知っていそうなタイプの本ではなかった。
窓から射し込む燃えるような光を浴びて、伏し目がちに活字を追いかける姿は非常に画になる。こんな様子を俺は幾度も見てきたわけだけど、とりわけ今日は美しく見えた。
覚悟を決めたからか?それともこの光とのコントラストのせい?
どちらにせよ、俺がこの姿に目を奪われていることには変わりなかった。
それにしても、福永は俺がここにいることに気がつかない。
教室に入ることも出来ず、廊下で立ち尽くしている人間なんてほとんど外界の人間ということなのだろうか。この扉1つ隔てて、俺と福永時子の世界は分かたれている。
……いや、そもそも今、福永時子の世界は本の中にあって、俺のいる世界にいなくて当然じゃないか。
だから、廊下と教室という世界の隔たりは、俺の認識次第でどうとでもなる。一歩踏み出せば、俺は福永時子の世界に一歩近づくことが出来る。
足を動かした途端に心臓が早鐘を打ち始めた。
そもそも、俺が何故福永時子のことを好きになったのか。
それは入学式後のホームルームにまで遡る。
よくあるような、偏差値50程度の県立高校。
出席番号順に割り当てられた席の隣に、福永時子は座っていた。
その様子は今でもよく覚えている。隣にいた彼女は文庫本や新書ではなくハードカバーの洋書を読んでいた。
それも、およそ持ち運びには向いていないような分厚さの。
映画化もされた、日本でも人気の海外児童文学のハードカバー本、といえば想像つくだろうか。そういうやつだ。
あれ、小学生の頃にずっと持ち歩いて読んでるやついたよな。あと三国志とか。
ともあれ。
その姿が目に焼き付いた瞬間、俺の中での第一印象は『文学少女』に決まった。多分、俺だけじゃなくて、他の誰もが思ったことだろう。
福永時子は文学少女である、と。
けれど別に、この瞬間に一目惚れをしたとか、そんなことはなかった。
読書が好きなんだろうなあとか、そういうことを思った。
そこから、十数分後。
俺は福永時子と言葉を交わすことになる。
隣の奴と自己紹介をし合いましょう。っていうお決まりのあれだ。
正直、俺は困った。何を話したらいいんだ? この文学少女と?
だからとりあえず、互いに名乗り合った後、当たり障りのないことを聞くことにした。
「それ、ずっと読んでるけど、面白いの?」
そのつもりだった。
「そんなに。でも、自分の人生と比べたら、それなりに」
最初は理解ができなかった。
けれど、すぐに、彼女は「物語」と「自分」を比較しているのだと気が付いた。
「魔法とか超常現象とか、現実よりも面白い要素ばっかり。ファンタジーは素晴らしいわ」
「恋愛ものも好きよ。誰かを好きになるのは素晴らしく劇的だわ。でも、自分は誰も好きになれそうにないわ」
「洋書なのは、単純に今の趣味ね。日本の作品も好きよ。でも、海外の作品を知らないなんてもったいないじゃない?」
福永時子は語る。俺の生返事なんてどうでもいい。そこで印象づけられるのは、彼女の異常なまでの物語に対する執着と、現実と乖離したい欲求。
話し方がどこか物語の登場人物のようで、それだけ現実よりも物語の中で過ごしていることが長いことが窺えた。
それ以来、俺は福永時子と会話をすることはなかった。
しかし、彼女の『役割』ともいうべき生き方を知ってしまった。
福永時子は『文学少女』なんていう生易しい存在なんかじゃない。
福永時子は『観測者』だ。
何千、何億とある物語を観測し続ける存在。
それは、一切文学を嗜まない俺にとっては未知の存在だった。俺が読むものと言えば、せいぜい漫画くらいだ。
文章ばかりの本なんて、読んでいられない。
だからこそ、福永時子の生き方に興味が湧いた。そして、俺は福永時子のことを気にするようになった。
無表情で読んでいたはずが、ふとした瞬間に肩を震わせて笑っていたり。
同じく肩を震わせていても、どうやらそれは泣いていることに気が付いたり。
授業の開始時間にも気付かないほど集中して、教師に声を掛けられたり。
いつの間にか、気にするどころか、福永時子から目が離せなくなっていた。
観測中の彼女の姿だけじゃない。実は運動が得意だとか。調理実習は苦手だとか。バス通学なんだとか。
福永時子という存在そのものが、気になってしまっていた。
けれど、やはり本を読む姿こそが福永時子だというように、その姿には特別見惚れていると気が付く。こっそり覗いた横顔はまつげが長く、綺麗だと思った。
だから、俺は福永時子に対する感情が『興味』から『恋愛感情』にシフトしてしまっていることを自覚させられた。
だから、いつかは告白もするのだろうと、思っていた。
いや。いつか告白しようと、画策していた。
“俺は何をしようとしているんだ?”
今更、そう自問する声が響く。
告白?福永時子に?
高嶺の花。孤高の華の彼女に?
そう自答をすればするほど、身体にストップがかかるのを感じた。
俺は今、とんでもないことをしようとしているんじゃないのか?
あの福永時子に声を掛けて、あまつさえ自分の胸を内を告げようとしているのか。
そんなことが許されるのか?
いやしかし、俺に残された時間は多くはない。今日を逃せば、他に日を選ぶことなどできないのだ。
……けれど、それは福永時子にしたって同じことだ。
今日あの本を読み終えなければ、彼女はもう2度とあの本の結末を知ることはない。
福永時子の邪魔をすることは許されない。
それは俺に課せられたルールだった。
きっと彼女は、現実を見ていない福永時子は、今日が世界の終わりということすら知らないのだろう。
本を読み続けること自体が人生で。
自らの生きる世界を見ていないのだから、そりゃあ現実はつまらないだろう。
でも、彼女はそれでいいと思っていそうだ。
どれだけ世界が面白かろうと。
福永時子は物語を観測し続ける。
それはまるで三千世界を見守り続ける神のように。
そして俺の意識は、再び目の前の事象についての思考を始める。
やはり、福永時子は『観測』の真っ最中だった。
そうやって、世界が終わるその時まで、福永時子は観測し続けることをやめないのだろうな。
ふと、自分の欲求を振り返ってみる。俺は福永時子と何かをしたいのか?
…………。
告白ってそういうものだろ?
人類最後の日に、福永時子に気持ちを伝えて、仮に、もし仮にも恋人になったとして――
なりたいのか? 福永時子と? 恋人に?
今日で終わりなのに?
そりゃあ健全な男子高校生である以上、恋人とのあれやこれやに対する欲求はあるにはある。
そして、福永時子が好きであるという気持ちは本物だ。彼女と“そういう関係になる”ことは悲願と言ってもいい。
が、しかし。俺が好きな福永時子は、そういうのじゃない。
そもそも俺は何で福永時子を好きになったんだ?
その姿が好きだからだろ?
それを邪魔するのか?
俺が告白をすることによって、何かが劇的に変化してしまうのではないのか?
そう思うと、足がすくんだ。やはり、俺は告白をするべきではない。
でも、今日だけは。今日だけでも。
俺は福永時子の世界の、少しでも近くにいたかった。
そして、ひとつの案を思いつく。むしろ、何故今の今まで思いつかなかったのだろうか。
俺は踵を返して教室を後にした。目指す先は、校舎の最上階。図書室。
難しい本じゃなくていい。俺でも読めるようなやつでいい。興味を惹かれたタイトルの本を数冊見繕って、俺は足早に図書室を後にする。貸出処理はしない。方法がわからないってのもあるし、第一したところで意味がない。
どん、と福永時子の隣の机に本を置き、席につく。俺も本を開き、読み始めた。
ドラマになったやつとか、アニメ映画のノベライズとか、比較的人気があって敷居が低そうなやつを選んだつもりだったが、どうにも頭に入ってこない。
それは、俺に文章を読む才能がないからだろうか?
それとも、隣に福永時子がいるからだろうか?
どれくらいそうしていたか。集中が続かないながらもなんとか読み進められていく本たち。なるほど。現実にはない超常現象に彩られた物語たちは、起承転結のしっかりした物語たちは、現実よりも派手で、わかりやすくて、面白かった。
俺が福永時子の気持ちをようやく1つ理解できたかと思うところで。
「面白き事もなき世を面白く、すみなすものは心なりけり」
「……え?」
ふと、福永時子が言葉を発した。彼女の声を聴くのは、授業以外ではこれで2度目のことだった。
「私は、この人生は悪くなかったと思っているわ。物語の登場人物はたった1つのお話にしかいられないもの。でも、私はとてもたくさんの物語を体験することができた。私はなんにでも、誰にでもなれた。だから、満足」
本に視線を落としたまま、福永時子は独り言のように言う。
それは、2度目の福永時子の人生観だった。
――そうか。と、小さく呟く。
知っていたのか。……それでも、お前は観測を続けるのか。
それが聞けただけでも、俺も満足だ。
俺という存在は、福永時子の世界に必要ない。
それでも、少しだけ近くに。
それから。
2人で行儀良く席に座り。
赤い夕陽のような輝きを帯びた流星が落ちてくるまで、俺たちは物語を観測し続けた。
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