龍驤【航空母艦】
RYUJO【Aircraft carrier】
起工日 昭和4年/1929年11月26日
進水日 昭和6年/1931年4月2日
竣工日 昭和8年/1933年5月9日
退役日(沈没) 昭和17年/1942年8月24日(第二次ソロモン海戦)
建造 横浜船渠
横須賀海軍工廠
基準排水量
①8,000t
②10,600t
水線長
①175.89m
②176.62m
水線幅
①20.32m
②20.78m
最大速度
①29.0ノット
航続距離
①14ノット:10,000海里
②14ノット:10,000海里
馬 力
①65,000馬力
※
①昭和8年/1933年(竣工時)
②昭和11年/1936年(改装完了後)
【装備一覧】
昭和8年/1933年(竣工時)
搭載数
艦上戦闘機/12機
艦上攻撃機/24機
補用機/12機
格納庫/昇降機数
格納庫:2ヶ所
昇降機:2機
備砲・機銃
40口径12.7cm連装高角砲 6基12門
13mm四連装機銃 6基24挺
缶・主機 ロ号艦本式ボイラー 6基
艦本式ギアードタービン 2基2軸
飛行甲板
長156.5×幅23.0
昭和11年/1936年(改装時)
搭載数
艦上戦闘機/12機
艦上爆撃機/24機
補用機/12機
格納庫/昇降機数
格納庫:2ヶ所
昇降機:2機
備砲・機銃
40口径12.7cm連装高角砲 4基8門
25mm連装機銃 2基4挺
13mm四連装機銃 6基24挺
缶・主機 ロ号艦本式ボイラー 6基
艦本式ギアードタービン 4基2軸
飛行甲板
長156.5×幅23.0
【空母の仕様を決定づけた、のにこのアンバランス】
「ワシントン海軍軍縮条約」によって、日本は保有制限の関係で【赤城・加賀】と同等の大型空母を建造することができなくなりました。
そこで日本は、制限のなかった排水量10,000t以下の軽空母を建造することになりました。
それが【龍驤】です。
【龍驤】は【鳳翔・ハーミーズ】に続き、世界で三番目の純正空母で、計画当初の基準排水量は7,100tでした。
しかし建造途中の昭和5年/1930年、今度は「ロンドン海軍軍縮会議」が開催され、そこでは10,000t以下の空母の保有制限もかけられてしまいます。
せっかく10,000t以下にするように建造したのに、こうなるとその努力もあまり意味をなしません。
そこで日本は、制限下で建造されていた部分の計画変更を行います。
格納庫は一段から二段へ拡張され、計画搭載数は当初の24機から36機へ増加。
浮力が失われたためにバルジを増設し、さらに機関はベースとなっていた「高雄型重巡洋艦」の半分の状態から変更がなかったので、速度は当初計画の33ノットから29ノットへ低下してしまいました。
などなどやっていると、どんどん船体の上部が膨れ上がり、いつのまにか逆三角形のようないびつな空母ができあがっていました。
なにせすでにベースが出来上がっている状態に格納庫を上積みしたわけですから、飛行甲板は水面上から14.8mもの高さになるのも当然で、これは大型空母であった「翔鶴型」よりも高いものです(14.2m)。
なんとか重心を下に下げようと努力するものの、この構造では焼け石に水で、安定感が大きく損なわれてしまいます。
あまりにも低い乾舷に波を打ち消す力はほぼなく、穏やかな洋上でもひときわ大きな波音を立てて航行していました。
重心を下げるためのバルジは燃料タンクの役割も果たしましたが、「燃料抜いたら軽くなってバルジの意味なくなるじゃん」と使えない燃料を積む貧乏性も露呈。
見た目の異常ぶりは、【扶桑】と対をなすぐらいのものではないでしょうか。
「友鶴事件」「第四艦隊事件」による改善の対象になったことも言うまでもなく、特に「第四艦隊事件」では自身も波の影響で艦橋が壊されたり舷外通路が破壊されるなど、低い乾舷が仇となっています。
これにより艦首側の乾舷は甲板を一段上げることで改善されましたが、艦尾の方まで改造するとまた復原性が損なわれるという元も子もない事態になるため、前と後ろでは見える景色が全く異なりました。
それでも、特に艦橋を甲板上に設置しないことや、煙突を右舷に固定することなど、今後の空母建造に一役買っています。
【龍驤】は太平洋戦争で実践を行った正規空母では最小サイズで、そのサイズにもかかわらず36機の搭載が可能であったことなどから、世界からは見た目以外でも注目された存在です。
建造時から変更に次ぐ変更に追われ、【龍驤】の竣工は昭和8年/1933年までずれ込みます。
すでに【加賀】と【鳳翔】が昭和7年/1932年に「第一次上海事変」で初陣を飾る中、【龍驤】は本来いるべき戦場で暴れまわることができませんでした。
その後も上記の理由によりバルジやバラストの増設、主砲を機銃へ換装、防水扉の増設などが引き続き行われ、【龍驤】は昭和11年/1936年5月31日の修理・改装完了をもって、ようやく落ち着いた日々を迎えることができました。
【見た目で判断するな 鬼をも黙らせる龍驤の活躍】
【龍驤】の初陣は「支那事変(日中戦争)」。
【赤城・加賀・鳳翔】とともに一航戦として活躍します。
「支那事変」には次の正規空母【蒼龍】は参加していないので、日本の機動部隊はこの4隻によって率いられました。
太平洋戦争開戦までは発着訓練艦として、パイロットの育成に入りますが、この訓練が非常に過激だったそうです。
「赤鬼、青鬼でさえ【龍驤】と聞いただけで後ずさりする」と言われたほどですが、その成果は上々で、【龍驤】は今後大活躍する逸材を多数輩出しています。
大型空母が多数建造されたため、太平洋戦争では【龍驤】は主戦場ではなく、第四航空戦隊として第二戦での作戦に多数参加しています。
参加作戦数は軽空母一、最後まで生き残った【隼鷹】よりも多く、ベテランにもかかわらず縦横無尽に駆け巡りました。
船体こそ異常ですが、とにかく元気かつ優秀だった【龍驤】は常に一級品の戦果を日本にもたらし、快進撃を続けます。
軽空母の中では多めの搭載数と、その厳しい訓練で鍛えられたパイロットは敵を翻弄し、旧式の「九六式艦上戦闘機」でも自在に飛び回りました。
「零式艦上戦闘機」に更新されてからは、日本を見下していた連合軍を次々となぎ倒し、要塞と言われたマレー半島とシンガポールを陥落することに成功しています。
輸送艦を沈め、駆逐艦を沈め、軽巡洋艦を沈め。
大型艦を沈めるのではなく、連合軍の輸送経路や機動性を削ぐ、重要な役割をこなし続けました。
一方で、空母のくせに12.7cm高角砲で連合軍哨戒艇を沈めた経験もあり、本当になんでもこなせてしまう空母でした。
それはたまたまではなく、その後も砲撃をした経験は多くありました。
【龍驤】の最期は「第二次ソロモン海戦」。
作戦の概要は、【龍驤】が先陣を切って囮役を担い、護衛が疎かになったガダルカナル島を【翔鶴・瑞鶴】で叩くというものでした。
その囮作戦は見事成功し、米軍は主力部隊を【龍驤】追撃に向かわせます。
米軍をはじめ連合軍は、上記のように【龍驤】にはいいように暴れ回られていました。
決して主力ではないですが、かと言って野放しにしている訳にはいかない、非常に危険な空母だったのです。
【米ヨークタウン級空母 エンタープライズ、レキシントン級空母 サラトガ】から放たれた攻撃機の空襲により、【龍驤】はいびつな艦体で回避行動を取りますが、まもなく爆弾と魚雷の被害を受けます。
【龍驤】の艦載機は残念ながら米空母に損害を与えることはできず、【龍驤】は被害が増大、ついに大炎上してしまいます。
浸水も酷く、やがて鎮火には成功するものの、航行不能、傾斜回復も不可能になり、ここで【龍驤】の命運は尽きます。
誕生の経緯こそつらいものでしたが、【龍驤】の活躍なくしては日本の躍進はありえませんでした。
鍛え、育ち、結果を出す、その姿は非常に輝かしいものだったと思います。
【零戦流出 「アクタン・ゼロ」】
【龍驤】が唯一やらかしたことは、「アクタン・ゼロ」と呼ばれる、「零戦」の流出です。
当時「零戦」は連合軍にとって脅威で、悠々自適に飛び回り、異常なまでの航続距離、それに搭乗しているのは凄腕のパイロットと、対策が全く取れない状態でした。
しかし、「ミッドウェー海戦」の陽動も込めて行われた「アリューシャン作戦」では、キスカ島とアッツ島の占領に成功しますが、「零戦」で未帰還機が発生します。
その「零戦」はアクタン島に不時着するも、パイロットは死亡。
「零戦」は無傷で横たわっていました。
日本はその「零戦」を回収もしくは破壊することができず、やがて米軍に接収されてしまいます。
米軍は日本の快進撃を支えた「零戦」を徹底的に調べ上げ、驚くべき軽量性と、それによって損なわれた脆弱な防御力を知ることになります。
それを知った米軍は、「零戦」対策を徹底し、王者「零戦」の時代は急速に短くなってしまいました。
「ミッドウェー海戦」で敗北していた日本は、勝っていたはずの「アリューシャン作戦」でも、今後の日本の劣勢につながる事態を起こしていたのです。
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