第11話
素っ頓狂な声を上げた後、口をポカンと開けたままの奈緒に、翔は苦笑いを漏らす。
こんな表情でも間抜けな顔にならないなんて美人って得だななどと、現実逃避かつ的外れな感想を抱きながら、この状況をどうしようかと思案を巡らせ小さく溜息を吐いた。
それほど翔にとって、自分の身に起きたこの状況は頭の痛いことだった。
有り得ないにも程があるし、ある意味最大の懸念が一つ残されたままなのだ。
しかもそれは、奈緒と最低限の話をした後でなければ試すことも出来ない。
さてどうしようかとぐしゃりと髪を掻き上げると、小さく息を呑んだ奈緒が睨み付けるような視線を向けてきた。
「……なんで、少し前まで島根にいた人が、今現在福岡にいるのよ?」
あまりにも当然な質問に、認めたくはないが思い当たる可能性は一つしか浮かばない。
奈緒の疑念を隠そうともしない強い視線を受け止めながら、翔は溜息混じりにその可能性を口にした。
「…瞬間移動、そうとしか考えられない状況だな」
「まさか、そんなっ……!?」
信じられないと口では言いながらも、奈緒自身、翔の言葉が本当ならそれ以外有り得ないとは考えていたし理解もしている。
しかしあまりにも荒唐無稽としか言いようがなく、すんなりと受け入れることも出来ない。
それに翔が身に付けているのは、オーソドックスな黒の詰襟の学生服だ。
ありふれた制服であり、流石に他校の校章までは把握していない為、実は近くの高校に通う県内に住む高校生であるという可能性も否定出来ない。
だが、何故か翔の言葉が嘘だとは思えなかった。
だからと言って簡単に現実として受け止められることでもないのも確かだった。
「まあ、信じろって言う方が難しいよな……。俺だって信じたくない状況だしさ……。化け物の気配を二つ感じて、こっちの方が近いなって意識を集中させた途端、突然知らない場所に居たのにはまいったよ……」
言葉を失う奈緒に、翔が何度目かの溜息を吐きながら肩を竦める。
しかし直ぐに何かを思い付いたのか、翔が肩に掛けていたバッグの中に手を突っ込み、取り出した物を奈緒に差し出した。
「これなら、俺が島根県在住ってことぐらいは証明出来るかな?」
「えっ…?」
見るとそれは、知らない高校名が記された生徒手帳だった。
翔が指し示したところを追っていくと、翔の顔写真が貼られていることから彼自身の物であること、それが島根県内に存在する高校の生徒手帳であることが確認出来た。
よく見ると、彼が肩に掛けているバッグには、さりげなく生徒手帳と同じ高校名がプリントされている。
間違いなく翔が島根県内にある高校に通う高校生であるということを確認した奈緒は、頭を押さえながら深く溜息を吐いた。
「…つまり、さっきの力には瞬間移動も付随してるってこと?」
「多分……」
二人揃って複雑で厳しい顔を見合わせ、途方に暮れる。
そしてそこに続けられた翔の言葉で、更に頭を抱えることになった。
「問題は、同じように瞬間移動でちゃんと元の場所に戻れるかどうかだ」
「それは、確かに問題ね……」
もし戻れなかったらと考え、思わず顔が引き攣る。
一般的な方法、つまり公共交通機関を利用した場合、福岡から島根までの移動に要する時間と交通費はどれくらいだろうと考え、調べるのが怖いと乾いた笑いを漏らした。
「まあ、取り敢えずちゃんと帰れるかどうかは今から試すとして…。もしここから移動出来たら元の場所に戻れたかどうかだけは直ぐ連絡する。それ以外はまた後で改めて、だな」
「そうね、まずは戻れるかどうかだものね」
他にも話をしたいことはあるが、差し当たっての問題はそれだ。
それに、それ以外のことに関しては、お互いに状況を整理する必要もある。
「あ…、小早川君…」
「翔でいい。…って、流石に初対面で馴れ馴れしすぎるかな?」
そう言って慌てる翔に、思わず笑みを零す。
今までの彼の言動からして、気遣いが出来る人なのだろうなと好ましく思う。
「構わないわ、あたしのことも奈緒でいい。友達からは、男女関係なくそう呼ばれているし」
「そっか、じゃあ遠慮なく。俺も友達からは男女関係なく下の名前で呼ばれてるから、ついいつものように言って焦った…。それで、さっき何か言いかけたみたいだけど、何?」
「うん、出来れば連絡は、電話以外でお願い出来ないかなと思って。もし誰かに電話で話してる内容を聞かれでもしたら、色々な意味で心配されそうな気がして…」
「ああ…、それは、そうだよな……」
その状況を思い浮かべた翔が乾いた笑いを漏らす。
気が触れたと思われても仕方のないことであるのは間違いない。
翔は気持ちを落ち着けるよう深く息を吐くと、思い出したように奈緒に向き直った。
「そういえばさ、スカートの時は派手に動き回らないように気を付けろよ?」
「えっ?」
何のことかと奈緒が首を傾げる。
頼むから気付いてくれよと翔は呻きそうになるが、残念なことにそれに気付く様子はない。
仕方ないと諦めた翔は、視線を彷徨わせながら、絞り出すように口を開いた。
「いや、凄く言い難いんだけどさ…。さっきは見えなかったからいいけど、スカートで派手に動き回られると、眼のやり場に困る事態になるかもしれないというか、それは気不味いというか…」
「――っ!!」
漸く意味がわかった奈緒が、顔を真っ赤にして声にならない声を上げ、今は必要ないというのに両手でスカートの後ろを押さえる。
先程は、眼の前の事態に対処することに精一杯で、完全にそのことを失念していた。
だが冷静に考えてみれば、あのような動きをすればスカートがどのような状態になるか、言われなくても理解出来ることだ。
これは対策を考えておかなければならない。
(制服…、スラックスも購入しておけば良かった……!)
今更言っても仕方のないことであるが、そのことが非常に悔やまれる。
ただし、奈緒の好む服装を知っている者からは、彼女がスカートではなくスラックスを着用していれば不思議に思われてしまうことだろう。
「…取り敢えず、本当に見てないからそこは安心してくれ。慌てて眼は逸らしたし……」
「……」
つまり逸らしてなければ、奈緒にとっては悲惨なことになっていたかもしれないということなのだろう。
実際翔は、化け物に向かって跳躍し落下に転じた奈緒のスカートがふわりと膨らんだことに気付いて咄嗟に眼を逸らしたので、その後どのような状態になったのかはわからない。
化け物が攻撃を受けた気配を感じ視線を元に戻した時には、既に奈緒は着地しスカートも動きが落ち着いていた。
二人の間に気不味い沈黙が流れる。
翔としてはやましいことは何もないが、この場から早く逃げたいというのが正直な気持ちだった。
「……それじゃあ、戻れるか試してみるよ」
「えっ……?」
奈緒が泣きそうな顔で消え入りそうな声を出しながら翔に眼を向けると、真剣な顔で何かに集中しているようだった。
その直後、彼の姿は、そこから跡形もなく消えたのだった――。
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