<6> 鬱金
館いちばんの上部屋である部屋を入ると、扉代わりに置かれた木製の背の高い衝立がまず訪れる者を迎える。七色に光る螺鈿が尾の長い鳥の姿を描き、黒褐色の地に彩りを添える。
控え室同様、小部屋を経て居間に入る。小部屋、居間、閨、湯殿という構造になっており、各部屋の出入口にもやはり衝立が置かれている。
先を歩いていた侍女が、小部屋の手前で、傍らに退いた。
「どうぞ、お入りください」
シュバリエは笑みを浮かべながら進み出て、自分の部屋の奥へと案内しながら、改めて客の男の顔を見つめた。
はっきりとした鼻梁や、薄いが形のよい唇の並ぶ顔は、彫刻のように整っている。若くして成功するだけあって、どことなく頭の切れそうな顔立ちだ。鋭角的な印象でさえある。堂々と落ち着いた趣は、満ち足りた生活の賜物か。
一代で財を築いた猛者なのだというが──
確かに、織物業界に留まらず、家具や食品といったあらゆる分野で引っ張りだこの素材、シェラナンはこの男が発見し、考案、開発をしたものなのだろうが、ぽんと成りあがった者のようには、シュバリエには思えなかった。
着ている衣にしても、新しく、すぐにいい物だとわかるような代物だ。しかし派手さはなく、ほどよく抑え気味に施された装飾が、趣味のよい上品さを演出している。金目の物をとりあえず身につけましたというような、全体の均衡を考えない格好ではなく、嫌味のない、どうにいった雰囲気を感じるのである。
シュバリエは、男はもともと、ある程度財のある家に育っていると、今までの客の様相から値踏みをした。
主人自らが客を案内したのを合図に、侍女たちは静かに頭をさげて退く。稚児であるクリーマは、裾を持つ手をおろして、そのまま続いた。
小部屋と居間を仕切る衝立のまえに来たところで、男が襟許の飾り布を解く仕草を見せたので、シュバリエはすっと手を差し出して受け取り、上着を脱ぐのを手伝った。シェラナンのものらしい、清涼感のある香りが漂ってくる。
襟巻きも、長身である男の足首まではあろうかという丈の上着も、思いのほか軽かった。手触りもよく、通気性のよい贅沢な生地という感じだ。
男は、上着のしたも、簡素に着飾っていた。ふくらはぎまでの長さの乳白色の衣を着、そのしたに白いズボンを履いている。胸許と腰の両脇に大きな切れ目の入った衣には、これといって目立つ刺繍や飾りはない。装飾品も、襟巻きと揃いの色と素材の腰巻き、糸ほどに細くした白金を編んだ帯、そして帯とおなじ細工の首飾り、と態よくまとめられている。
自分に見合う物をよく知った、さりげない着こなしに好感が湧く。
「どうぞ、なかでおかけください」
「……ああ」
男は部屋の奥へと入っていった。
「頼んだよ、クリーマ」
「はい」
シュバリエは、客の上着を彼女に託すと、腰を屈め、普段の口調よりもやや早口で、声音を抑えて言った。
「こちらに来てはいけないよ。大丈夫だから。判っているね」
「はい。シュバリエさま」
童女は主人の目を真っ直ぐに見つめ返しながら頷く。
そして、言った。
「がんばってください」
「──」
真顔でかけられた言葉に面食らう。
幼子の素直さは、かれに笑みをもたらした。
「ありがとう」
主人の背なかを、稚児は敬愛と誇りに満ちた眼差しで見送った。
「お待たせいたしました」
「いいや?」
シェラナンは、足のない長椅子に腰をかけていた。ゆったりと背もたれに体を沈め、片足を伸ばし、くつろいでいる態だ。
「雰囲気のいいところだな」
「ええ」
葡萄色の絨毯の隅に置かれている男の靴を揃えてから、シュバリエも長椅子のそばへと足を運んだ。引きずっている裾をうまく整えながら、座卓の横で膝を折る。
「わたしどもの、数少ない売りのひとつでございます。古い店には、それくらいしかお勧めできるものがございませんので」
「きみが、そんなことを言うのかい?」
男のからかうような口調に、翠眼の美姫は笑みで答えた。
「ほかにございまして? 若旦那様」
「おやおや」
朗らかな声を立てて、シェラナンは笑った。
シュバリエも笑って、腰をおろした。
「マクロイでいい。仕事を忘れさせてくれ」
「かしこまりました」
「ああ、かしこまった言葉も要らない」
「判りました」
「……いや、きみには、判らないようだね」
少し戸惑いを見せた相手の様子に楽しげに笑うと、マクロイは視線を部屋中に巡らせた。
「いいねぇ」
鬱金の瞳がきらめく。
シュバリエは、黙ってかれを見つめた。
マクロイは、黒い艶出しの塗料がかけられ、綺麗に磨かれている木製の卓を嬉しそうに撫で、中身のよく張られた厚い背もたれにぐっと身を寄りかからせた。
「看板娼妓の部屋だけのことはあるよ。この座卓と長椅子の造りが実にいい。素朴だが、一流の仕事がされたいい品だ」
言いながら、その手は上等な毛で織られた絨毯をしきりに撫でまわす。絨毯は、重みをかけると素晴らしい弾力で手のひらを押しあげてくる。
「衝立もいいし、この絨毯は特にいいね。ここの女将はたいそうな目利きだな」
「調度品がお好きなのですね?」
(集中せねば)
楽しげに賛美の声をあげる男に、シュバリエは尋ねるのだったが、この男に感じ始めたいわれのないおぞけに違和感を持ち始めていた。初対面の客に柄にもなく緊張をしているのだろうか。
かれは、絨毯の毛を未だもてあそんでいる客の手にそっと長い袖を重ねると、着込んだ薄布のなかから、素肌に触れた。
「ああ。とても興味がある」
そう言ってまた笑うと、男はシュバリエの腕を掴んで抱き寄せる。
かれは抱かれるままに身を寄せて、縋るように身をもたれかけた。
「興味があるよ……いいものには心惹かれるね。なんでも買えばいいってものではないんだよ。本当にほしいものは、それこそどんな手を使っても、手に入れたいと思うがね」
男はシュバリエの肩口に顔を近づけて、おかしいかい、とささやいた。男の息が、耳許を熱い手で撫でてゆく。
シュバリエは身じろぎをして言った。
「わたしは、あなたに興味があります……とても」
「そうか、シュバリエ」
マクロイはシュバリエの首、耳と唇を寄せると、かれに覆いかぶさり、深い接吻をした。
シュバリエは男の声と熱に身を震わせながら、それに応じた。
男は、襲の隙間に手を滑り込ませてシュバリエを見つけると、静かに手を動かした。
シュバリエは着崩れた衣の帯を慣れた手つきで素早く解き、熱い手を招き入れる。
そのまま絨毯のうえで激しく体をかわしあったあと、マクロイは性急に、シュバリエを衣ごと抱きあげ、奥の閨へと運ぶのだった。
シュバリエが肩を反らせ、息を吐きつつ首を巡らせると、マクロイはその白い首許に顔を押し付け、唇をなぞらせてゆく。
天蓋の襞に目を向けると、胸をあわせて重なる体が、影を平たく象っていた。闇に潜む幽鬼のように、影はゆっくりと不気味にうごめいていた。
赤い敷き布のうえで、かれの体は男の愛撫によって、白薔薇の花弁のように開かれていった。
かれはおぞけを拭い去るため、男を籠絡しようと動くつもりでいたのだが、交わりに酔う自分の声を耳にした。なにかに突き動かされるように求め、与え、シュバリエは己の欲望に囚われていくのだった。マクロイもまた、膨れあがった欲望をそのままシュバリエに打ち付け、注ぎんだ。
ぬくもりに瞼をあげると、ぽっと五感が返る。素肌を包む、未だ冷めやらぬ熱。かさねの残り香。シェラナンの香り。
シュバリエは、背に触れている客の胸の、穏やかな動きを思う。相手もまた、自分とおなじようにまどろんでいる。
緩くまわされた腕の重みが心地いい。ぬくもりと、かさねたあとの気だるさが、ずるずるとかれを平和な眠りに誘う。
再び眠るところを、ふと引き止められる。うしろから抱きしめる手をそのままに、マクロイが、かれの襟を唇で撫でたのだ。
男の口から、自分の名を呼ぶ哀切な響きさえある吐息がいくつもこぼれ出るのを耳にしながら、シュバリエは吐息の触れたところからざわざわと体が目覚めてゆくのを感じた。
「……シュバリエ。シュバリエ……」
ささやきは、自分にはない色。低く深みのある声に、シュバリエは覚えず聞き入る。この声に名を呼ばれると、全身が甘く痺れるようだ。
マクロイは、かれを自分の方へと向き直らせた。手を伸べ、汗に濡れたかれの髪を、うっとりとした顔で掻きあげた。
鬱金色の目を細める。
「シュバリエ……綺麗だ。見入ってしまう……」
「……」
「綺麗になった」
見あげる翠に、男は笑んだ。
笑みながら体を起こすと、マクロイは、おもむろに髪を束ねた紐を解く。軽くかぶりを振って揺らすと、やや重たく見えるくすんだ色が、肩から落ちて。
「──、」
シュバリエは嘔吐した。
驚くでもなく、そうだよ、と男は言った。
「やっと思い出してくれたようだね。シェラナンはただの通り名だ」
吐くもののない胃が、潰れんばかりに虚しい痙攣を繰り返す。口を押さえ、肩を丸めて、かれは激しく震え続けた。
「そうだよ。わたしは、あの日きみの母さまと出ていった、マーダル・オプタスの息子」
「……」
「隣の屋敷の兄さまさ」
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