　わたしの羈（き）旅（りよ）ははじまった。

　人類を幸福にする羈（き）旅（りよ）だ。

　わたしは人類のために歴史を改（かい）竄（ざん）してみた。窮極集合のなかには悉（しつ）皆（かい）のパターンの宇宙が包（ほう）裹（か）されるがゆゑにとまれかくまれ〈この宇宙〉を救（きゆう）恤（じゆつ）せんとした。世界から拳銃を消滅させた。銃殺事件は熄（そく）滅（めつ）した。世界から兵器を消滅させた。武力衝突は皆無となった。世界から金銭を消滅させた。経済的格差は雲散霧消し鐚（びた）銭（せん）のためにころすこともころされることもなくなった。世界から病（びよう）痾（あ）を消滅させた。永遠の生命とはいかないが宿（しゆく）痾（あ）で懊（おう）悩（のう）する人間は存在しなくなった。世界から宗教を消滅させた。宗教の棋（き）峙（じ）によって無（む）辜（こ）の人間がころしあうことはなくなった。世界から饑（き）餓（が）を消滅させた。人間の根源的なる欲求を満足せしめられない人間はいなくなった。世界から自然災害を消滅させた。宇宙の不条理によって魂（こん）魄（ぱく）が虧（き）損（そん）されるものは存在しなくなった。全世界を資本主義國（こつ）家（か）にした。幾遍もの危機と対（たい）峙（じ）したが経済的に発展していった。全世界を共産主義世界にした。資本主義世界における搾取や階級の問題は解決された。亦（また）無政府の世界をつくった。人類は原始的世界において春（しゆん）風（ぷう）駘（たい）蕩（とう）と生活することになった。世界統一國（こつ）家（か）もつくった。全人類は一（いち）蓮（れん）托（たく）生（しよう）の家族となった。

　人類は幸福にならなかった。

　人類の歴史を溯（さく）源（げん）から改（かい）竄（ざん）してゆくと根源的なる陰（おん）陽（みよう）は燮（しよう）理（り）されたかにおもわれたが翩（へん）翻（ぽん）として逆説的に人類は不幸になっていった。世界から拳銃を消滅させると無防備なる黔（けん）黎（れい）が原始的兇（きよう）器（き）の犠牲となった。世界から兵器を消滅させると経済格差によって國（こつ）家（か）たちは分裂された。世界から金銭を消滅させると金銭のかわりに暴力によって格差が誕生した。世界から病（びよう）痾（あ）を消滅させると二百年を凌（りよう）駕（が）する人生に慊（けん）焉（えん）して狂（きよう）癲（てん）するものが発生した。世界から宗教を消滅させると神様も天国も天命も信（しん）憑（ぴよう）できなくなった人間たちは魂（こん）魄（ぱく）が羸（るい）弱（じやく）となっていった。世界から饑（き）餓（が）を消滅させると世界人口が大爆発をおこして兵（へい）燹（せん）があがった。世界から自然災害を消滅させると自然を見（み）縊（くび）った人間たちは大自然を破壊してゆくこととなった。全世界を資本主義國（こつ）家（か）にすると熾（し）烈（れつ）なる労働によって弱者が蹂（じゆう）躙（りん）された。全世界を共産主義世界にすると権力が糜（び）爛（らん）して最下層から匱（き）乏（ぼう）に猛襲された。亦（また）無政府の世界をつくると人類は病（びよう）痾（あ）や自然災害や饑（き）餓（が）を超克することができなくなった。世界統一國（こつ）家（か）をつくると躬（み）自（みずか）らの故郷の自我同一性を冀（き）求（きゆう）して世界各地において独立戦争が勃発した。

　わたしは百折不（ふ）撓（とう）だった。

　素粒子の相補性レベルで〈この宇宙〉をあらゆるパターンで再起動させたが人類は窘（きん）迫（ぱく）しつづけた。世界の溯（さく）源（げん）を再構築すれば巨億の人類全員の幸福を醞（うん）醸（じよう）せしめられるという愚考を慚（ざん）愧（き）して人類を自然なる道程によって永遠の生命となるように操作する。百三十八億年已（い）往（おう）のビッグバンから人類の誕生を閲（けみ）して現代までの歴史は〈あるがまま〉にした。人類は竜（りゆう）驤（じよう）虎視の二〇世紀を超克して群（ぐん）雄（ゆう）割（かつ）拠（きよ）の二一世紀を驀（ばく）進（しん）する。幾度かの武力衝突が勃発し幾（いく）許（ばく）かは第三第四の世界大戦とも呼称されたが人類の鏖（おう）殺（さつ）までには到達せず二〇五八年にノイマン型コンピューターが技術的特異点に逢（ほう）着（ちやく）した。全知全能のコンピューターを隴（ろう）断（だん）した人類は世界規模の投票を遂行する。ゴッドライクマシン〈ヤルダバオート〉の能力によって電脳世界を構築し人類を移住させ永遠の生命となるか〈ヤルダバオート〉の権限を一軆の人間型サーバーに転送して神様を誕生させるかだ。神様を誕生させた場合人類は電脳世界に移住せずともあるがままの世界で幸福になる彇（はず）だった。恁（いん）麼（も）がわたしの誕生した歴史だ。其（そ）処（こ）で翩（へん）翻（ぽん）として電脳世界に人類を移住させることとした。

　人類は進化した。

　百億の全人類の意識は電脳世界にマインドアップローディングされて永遠の生命となった。電脳化された半径四百六十億光年の大宇宙で人類は風紀紊（びん）乱（らん）しないかぎり全知全能となる。現実の宇宙内に設置されたメインサーバーは宇宙のビッグクランチで殲（せん）滅（めつ）されないように真空空間の相転移で子宇宙へと継承されてゆく。電子情報となった人類は各各の理想とする外貌をアバターとして品（ひん）隲（しつ）し其（それ）其（ぞれ）の理想とする宇宙を電脳空間内に創造して棲（すみ）家（か）とした。躬（み）自（みずか）らの宇宙で神様となるものもいた。躬（み）自（みずか）らの宇宙で大富豪となるものもいた。躬（み）自（みずか）らの宇宙で藝（げい）術（じゆつ）家としての冀（き）望（ぼう）を実現したものもいた。躬（み）自（みずか）らの仮想脳髄における仮想神経伝達物質を縦横無（む）碍（げ）に操作することで窮極の愉楽も窮極の感動も造次顛（てん）沛（ぱい）もなく享受できた。媾合も痲（ま）薬（やく）も藝（げい）術（じゆつ）も最（も）早（はや）必要なくなった。軈（やが）て全人類は鬱病になる。永遠に生きることと永遠に死ぬことの峻（しゆん）別（べつ）ができなくなった。神様計（けい）劃（かく）の劈（へき）頭（とう）でもあった科学者の提案により全人類の意識が接続され〈電脳空間を継続させるべきか熄（そく）滅（めつ）させるべきか〉という投票が遂行された。電脳世界のサーバーの電源はおとされた。