結婚の限界 ~リターンズ~

 4つ前の記事(愛は新年とともに?)でした宣言通り、街コンに行ってきた。そこで知り合った二人の男性とデートをしたのだが、両方とも普通に上手くいかず、その後連絡を取っていない。




 いやー、血迷った。




 別に、デートが上手くいかなかったことは気にしていない。もともと期待はしていなかった。


 そう、期待していなかったのだ。ぶっちゃけ、初対面に近い人間とのデートなんて、上手くいかなくて当然であり、そのことをよくわかった上で、私は街コンへ赴き、あまつさえデートにまで行った。何も期待していないくせに、わざわざ時間と労力を割いてまでして一体何がしたかったのかというと、多分、現実逃避がしたかったのだ。




 以前にも二度ほど、今回と同じように『出会い』を求めて猛然と行動したことがあり、その両方とも動機は「失恋から立ち直るため」であった。これはまぁ、そんなに悪いことではない。失恋の苦しみというのは間違いなく『人生三大無意味』のうちの一つであるため、それを新しい恋や仕事といった別のストレスでカッ飛ばしてうやむやにすることは、それなりに合理的と言える。




 でも今回、私がカッ飛ばしたかったのは、失恋の苦しみではないのだ。








 2019年に入ってすぐの1週間で、私は友人たちから4件立て続けに「婚約した」「恋人ができた」との報せを受けた。もちろんめでたく思う気持ちもあったが、それを飲み込む勢いで激しく荒れ狂い、しぶきを立てる感情があった。嫉妬である。




 あぁ……。何者かに脅かされることもなく、穏やかで不自由ない生活を送っているはずなのに、どうして他人を羨むような気持ちが湧いてくるのだろうか。




 恥を忍んで言わせてもらえば、私はそのときまで自分自身についてもっと、泰然とした人間であると思っていた。私には一人きりでも人生を楽しむことができる豊かな人間性やユーモアがあり、「うちはうち、よそはよそ」と心から言い切れる悠々自適の精神を持っていると思っていた。




 だからこそ、友人たちの吉報に対して抱いてしまったその浅ましい感情を素直に認めることができず、「やっぱ一人は寂しい~!」と茶化して、とりあえず街コンに行ったりして行動してみることで、うやむやにしようとしたのだ。実際、街コンに行くための準備をしているときは気が紛れていたし、今は時間の経過によって気分も落ち着いている。でも、そんなのは何も意味のないことだ。根本的なところが何一つ解決していない。また友人たちから吉報が舞い込めば、私はまた自分を誤魔化すために同じ愚行に走ることだろう。大切なのは、私が今しなければいけないことは、「なぜ、私は嫉妬したのか」ということをよくよく考えることなのだ。




 パートナーを持つ人々に対しそのような感情を抱いたということはつまり、私は「パートナーが欲しい」と思っているということだ。それではなぜ、私は「パートナーが欲しい」のだろうか?




 思うに、私はおそらく、「いま、一人でいることが寂しい」のではなく、「将来、独りになることが恐ろしい」のだ。




 正直に言って私は、いま現在、一人が全然寂しくない。見栄を張っているわけではなく、本当にそう思う。もともと「他にすることがないから」という消極的な理由でなく、「今日はこれがしたいから」と友人の遊びの誘いを断ってまで本を読んだりアニメを観たり、はたまた小説を書いたりしていた人間であるため、いくらかの本とPCさえあれば、特につまらないと感じることはないのだ。


 


 でも時折、ずっとこのままでいられるのだろうか?と、思ってしまうのだ。




 ある日突然目が覚めたように、昨日まで好きだったことに何の意味も感じられなくなって、仕事でも私生活でも誰からも必要とされない、価値のない中年の自分だけが残っていて、あとは死ぬまで漠然と、孤独なまま生きていかなければならない……そうなったらどうしようと、思わずにはいられないのだ。


 誰も必要とせず、一人で生きようとすることはそれほど難しいことではない。難しいのは、誰にも必要とされないことを受け入れることである。


 私は、今はまだ若いから、同世代の友人たちも独身が多いし、みんな社会的な地位も低い。しかしあと5年、10年も経ったらどうなるだろうか?多分ほとんどの人が、結婚して子どもを作ったり、出世して部下がいたりして、色々な人に必要とされるようになっていることだろう。そんな友人たちと、誰からも必要とされない、何も持たない自分を比べたとき、私はそれでも、私自身に価値を見出せるだろうか。……多分、できないんじゃないだろうか。


 だから、ある程度 歳をとったときに自分自身に価値を感じられるよう、私を必要としてくれるパートナーや、ひいては子供などが欲しいのである。




 ………自分自身の思いを分析し、文章に起こしてみたわけだが、書けば書くほど私という人間のしょうもなさやロクでもなさが露わになってしまった。でもまぁ、世の中の人も大抵はこんなもんだろう。落ち込む必要はない、もうひと頑張りしてみよう。




 以上のことをまとめると、私は将来寂しくならないように、惨めにならないようにするための保険として、「パートナーが欲しい」のだということである。




 なるほどなるほど、わからないではない。むしろよくある思考である。


 しかし、この「パートナーが欲しい」理由をまじまじ眺めていると、あることがどうしても気になってしまう。寂しくならないように、惨めにならないようにするためにパートナーが欲しいと私は考えているわけだが、それだとまるで、パートナーさえいれば寂しくも惨めにもならないかのように聞こえる。


 そんなわけはない。そんなわけはないのだ。私はそのことをよく知っている。




 長くなるので、今回は一旦ここで切ろう。


 続きは以下の記事でまた話す。疲れてきたので、ここからはざっくばらんに、ロックンロールに行かせてもらうとしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る