第35話偽りの狼

 この世の春を謳歌した時代。と言えば聞こえもいいのだろうが、それは富裕層以上にとっての話であった。


 生まれ持った身分だけが自分の一生を左右した時代。貴族に生まれた者は一生貴族、貧民に生まれた者は一生貧民であった時代。




 そこに、一人の少女がいた。




 父親は誰なのか分からず、母親は生活の労苦からなのか生まれたばかりの娘を孤児院に置き去りにした。


 当時には何でもない、ありふれた話だ。


 そこからのサクセスストーリーなどあるはずも無かった。何せ孤児だ、夢も希望も無い。男も女も同じ。孤児院の生活は貧しく、満足に食べられない日々は彼女の体を年相応以下に留めた。




 彼女が神を呪ったのは言うまでも無い。




 十を超える頃、孤児院を抜け出した。行く当てなど無かったが、自らの境遇をやたらと主がお与えになった試練とのたまう修道女たちに嫌気が差していたのも事実だった。


 都市であればどこにでもあった暗黒街。彼女がその宿に流れ落ちるのは当然と言えば当然だった。


 当時敷かれていた夜間外出禁止令。泊まると言えば宿屋。そう、一部の宿屋にはそうした社会からみればクズ同然の犯罪者がたむろしていたのだ。




 御多分に漏れず、彼女もそうした者の一人となった。小さく身のこなしも軽やかな彼女は、捕まる事無く空き巣を続けた。


 ある家に盗みに入った時に見つけた狼の毛皮を気に入り、常に身に着けるようになった。そこから、彼女は狼とあだ名された。彼女も悪い気はしなかった。そして彼女は言ったのだ。自分の祖先は狼、俺はその末裔だと。




 フォークロアに語られる狼男。女と侮られないように彼女が吐いた真っ赤な嘘。




 狼少女は嘘吐き少女、赤い瞳のジルベルタ。








「おらぁ!」




 虚しく空を切る拳。アスワドにはかすりもしない。


 アスワドの動きは明らかに心得ている動きだ。体幹に乱れなく、地に足がついている。




「だから無駄だって、大体君そんな力自慢でも無かったでしょ?門を抜けて少し体が変わったからって、君が君である事には変わらないんだから。もっと身の程を知って行こうよ、狼少女ちゃん。」




 アスワドはふざけた口調で喋りながらもジルベルタの攻撃をかわしていく。完全に読み切られている。というより、ジルベルタの動きが単調すぎるのだ。




「ウェアウルフだかライカンスロープだかを自称してたから、門を超えて本当にそうなればよかったのにさ。中途半端に人間だったものだから、中途半端に強くなっちゃってまぁ。」




「うるせぇ!避けるしか能がねぇくせに。」




 拳を突き出しても、蹴りを放っても、アスワドにはギリギリで当たらない。


 正確にはアスワドの方がギリギリでかわしているのだが、その違いはジルベルタには分からない。およそ野に生きる獣であれば拳を放てば当たっただろうが、そう言った動きを熟知しているであろうアスワドには難しい。




「おいおい、思い出せよ。君は本当にライカンスロープだったかい?君がこの世界に来る前にいた場所は、暗い森の中なんかじゃなかっただろう?クズ共の掃き溜め、暗黒街の街角だったじゃないか。」




「お前、何を・・・言って・・・」




 動きが止まり、ジルベルタは軽く頭を押さえる。


 おかしい、何かが変だ。自分はライカンスロープで、両親はいつの間にかいなくなっていた。仲間達も気づけばその数を減らしていて、もう名前を思い出せるのもわずかだ。




「両親は君を孤児院に捨てていったし、孤児院の仲間達は半数以上が死んでいったねぇ。君は境遇をすり替えてライカンスロープとしての自分の人生に置き換えてただけさ。君が王子様達に言ってた事は真っ赤な嘘!そうだろ?狼少女。」




 明らかに動きの悪くなったジルベルタにアスワドが蹴りを放つ。殆ど無防備な今の彼女がこれをかわせるはずもなく、ジルベルタは蹴りを喰らって横っ飛びに吹き飛ばされた。




「ジル!アスワド、貴様。」




 アルベールが憤慨してアスワドに言う。しかし、アスワドには何を言おうがカエルの面に水だ。




「聞き耳立ててるのは結構な事だけどさぁ、真面目に戦わないと死んじゃうよ?フルカスは強いからねぇ。油断してると首が無くなっちゃうかもよ?」




 そう、アルベール達の方に余裕がある訳では決してないのだ。アスワドが聞こえよがしな大声で喋っているから聞こえるものの、かといってそちらに集中してしまえばフルカスの剣の錆にされてしまう。




「ライカンスロープって言ったらさ、夜になると正気を失って大暴れするのが本来だろ?だから彼女を連れて来たのさ。小さい女の子だからって保護したら、夜中狼女に変身して辺り構わず大暴れ。楽しくなる予定だったんだけどなぁ。」




 がっかりした口調でアスワドが言う。お道化た口調は崩さずに、これ見よがしに肩を落として。しかし顔は笑っているのだ。




「あ、うぅ・・・」




 ジルベルタは倒れこみ、うずくまっている。アスワドの攻撃も勿論効いているのだろうが、それ以上に精神へのダメージが著しい。




「ほれほれ、儂の相手もしてくれよ。」




 一方アルベール達にはフルカスが猛威を振るっていた。とは言え、フルカスは何故か積極的に攻めてこない。明らかに格下と侮っているのか、魔術に対する防御とカウンターに徹底している。


 馬上の敵と対する時、同じく馬上にいないと言うのがこんなに大変なのかと全員が思った。何せ高い。魔術は剣と盾で払われ、武器による攻撃はよっぽど密着しないとフルカスに届かないのだ。あまつさえ後ろをとって切りかかろうとすると馬の蹴り足が飛んでくるのだ。




 距離をとって魔術を打とうとすれば、その前に横を向かれてしまい盾か剣で払われる。かと言って近距離で武器か魔術を使おうとすると剣で払われるか馬が体当たりをしてくる。




 ジョンがしきりにフルカスの後ろを取ろうとしているが、それも功を奏していない。




「ふぁふぁふぁ、どうじゃ?騎馬は強かろう?」




 アスワド程では無いのだろうが、このフルカスも遊び半分と言った所に見えた。何せ余裕がある。払った剣も軽く振っている節があり、避け切れない速さではないのだ。


 フルカスの方は嫌味っぽさが無い分アスワドよりよほど上等なのが幸いと言えば幸いだった。




「ご老人、随分と余裕に見えるが、何故手を抜かれる?」




 アルベールはフルカスに問う。殺気を放ってはいるものの、一向にこちらを殺す気配がない。殺すチャンスがそれこそ何回もあったにも関わらずだ。




「ん?おぉ、殺気は放っておったが流石に気づかれるか。いや何、儂等はそもそも契約を重視する。アスワドの坊主が殺せと言ったならばともかく、奴は遊べと言った。ならば、儂に殺す理由はないのじゃ。」




 理屈は分かったが、それは果たして言っても良かったのだろうかと敵の事ながらアルベール達は思った。




「まぁ、向こうの幼子は殺すとアスワドは息巻いておったがね。助けに行きたかったらほれ、儂を抜かんと話にならんぞ?」




「くっ。」




 剣を構え直すアルベール。アスワドはジルベルタは殺すつもりのようだ。しかし、それをさせる訳には行かない。皆に緊張感が改めて走る。




 しかし、意を決した一人の男の行動が事態を打開した。


 男の名はジョン。今までフルカスの後ろを取ろうと躍起になっていた男だ。




 転機が現れたのは正にアルベールがフルカスに話しかけたその時。まさかフルカスが対話に応じてくれるとは思わなかったが、動きが止まったのは千載一遇のチャンスだった。


 フルカスからしてみればそもそもがお遊び、ジルベルタへの足止めが目的なら話位してもいいだろうと思ったのだろう。




 ジョンは剣と盾をその場に捨てた。そしてスキップの魔術で飛んだのだ、フルカスの馬上へと。そしてそのままフルカスを羽交い絞めにすると力を込めて外れないように踏ん張った。




「ふおぉ、何じゃぁ!」




 一瞬何が起こったのかフルカスには分からなかった。飛び上がってくる気配も無しに、しかし後ろの男が突然自分の馬に乗ったのだ。馬に気取られる事も無く。




「おっしゃぁ!坊主、ここは任せて行けぇ!」




 馬は暴れようとするがフルカスがこれを制した。ジョンを落とすために暴れてくれるのはいいのだが、こんな状態で暴れられたら自分も落ちてしまう。右腕を後ろに差し向ければ剣でジョンを殺すことは出来るが、殺すのは目的ではない。


 フルカスはまんまと一本取られてしまった。




「任せたぞ、ジョン!」




 言うが早いかアルベールはスキップでジルベルタの隣に現れる。その様子を見ていたフルカスは、魔術もなかなかやるのぉと漏らしていた。魔術を侮っていた自分を少し反省していた。




「ジル、大丈夫か?」




 アルベールが駆け付けたが、ジルベルタは酷く憔悴していた。いつもみなぎっている自信が今は全く感じられない。




「おやおや、フルカスは抜かれちゃったか。人間もなかなかやるねぇ。でもいいのかなぁ王子様?狼少女を助けたりなんかしてさぁ。」




「私には、あれが嘘で言った事とは思えない。」




 アルベールは盾を前に構えて言う。ジルベルタを守る為だ。




「確かにわざと言ったわけでは無いだろうねぇ。門を抜ける際、彼女は半ばライカンスロープとなっていた。その変質の過程で彼女の人生も変質しかかってたんだろうね。ライカンスロープとしての人生に。」




「でも駄目さ、君等と会った事で彼女は人間の内に留まってしまった。全くつまらない、失敗作さ。淀みの底で腐った盗人風情が、変な正義感に目覚めて人助けなんて全く馬鹿げてる。ライカンスロープの本能のままに理性を失って暴れて、人間を殺していればよかったのにさぁ!。」




 踏み込んで突き込むアスワド。アルベールはしっかりと踏ん張ってそれを盾で受ける。重い突きだ。重心が揺さぶられそうになる。




「狼ちゃんは向こうの世界じゃ薄汚い犯罪者だ。親に捨てられ社会からも見放され、行く当ても帰る場所も無くした惨めな盗人だよ?王子様が守ってあげる事なんてないんじゃないの?」




 アスワドの言葉にジルベルタはビクつく。そう、彼女は元の世界では孤児院を抜け出した浮浪児で、さ迷い歩き盗人稼業に身をやつした犯罪者だ。


 しかし、アルベールはその盾に込める力を決して緩ませたりはしない。




「確かに盗みは悪い事だ、言い訳のしようも無いだろうな。しかし、子を守るはずの親はどうした!弱き者を守るはずの社会は!全てに見放された弱き者を責める権利が、一体誰にあると言うのだ!」




「インパクト!」




 アルベールは衝撃の魔術でアスワドを弾き飛ばす。優雅に着地するアスワドをしり目にアルベールは尚言葉を紡ぐ。




「ジル、顔を上げてくれ。君は確かに悪い事をしてきたのだろう。過去の事だからとて無かったことには出来ない。しかし、それでも、今は私たちの仲間だ。」




「アル、ベール。でも、俺は・・・」




 顔を上げるジルベルタ。しかし、その眼はどんよりと暗い。今までの人生が目に見えない足かせを彼女にかけているかの様に。




「向こうで吐いた嘘だろうと、こちらで誠にしてしまえ、ジルベルタ!あの力強さを私は見た。私の知るライカンスロープはジルベルタ、君を置いて他にはいない!」




 その時ミリアムもスキップでジルベルタの横に現れる。フルカスはジョンをロデオの形で振り落そうとしている。




「そうだよジル。ジルの言ったライカンスロープだけが、私達が知ってるライカンスロープなんだから。」




「ミリアム・・・」




 ジルベルタは立ち上がる、しかし力無く。それを見てアスワドは再度突き込みをかける。アルベールを弾き飛ばして、ジルベルタを殺すために。




「もういいんだって、三文芝居はさぁ。大根役者がいつまでいたって白けるだけ!とっとと幕引きにしようよ。」




 アスワドの肩からの体当たりで吹き飛ばされるアルベール。そして体勢を直し、アスワドはジルベルタに向かって拳を打ち出す。


 それは崩拳、体の芯を打ち抜く拳だ。




「ジル!」




 隣のミリアムを無視して放たれた拳は必殺。凄まじい速さで打ち込まれる殺人拳だ。正面からこれに耐えるのは難しく、喰らえば昏倒は必至。ジルベルタの命は無いものとアルベールもミリアムも思った。




 しかし




「まさか・・・」




 アスワドの拳はすんでの所でいなされた。誰によってか?ジルベルタによってである。


 ジルベルタの瞳が赤く光る。数少ない仲間達からとは言え、ジルベルタはライカンスロープであると強く認識された。この世界の人に、強く。


 魂の門が開く。精神世界と物質世界は相互に影響を与え合う。第一質量は全ての源だ。それはある時は魔力に、ある時は妖精に、様々に姿を変えてこの世に顕現する。




 ではジルベルタは?魂の門から流れ込む第一質量は彼女を真にライカンスロープへと作り変える。


 元の世界の凶悪なそれでは無い、アルベール達が知るライカンスロープ。この世界に新たに生まれたフォークロア、幻想が現実となって彼女の力を形作る。




「幻想が現実に生まれ変わっただって、そんな・・・へぶぁっ!」




 ジルベルタの強烈な蹴りがアスワドを捉える。驚きに一瞬気を取られたアスワドはもろに喰らってぶっ飛ばされる。この膂力、これこそが正にアルベール達が知るジルベルタの、ライカンスロープのそれである。




「ジル!」




 アルベールとミリアムは歓喜の声を上げてジルベルタを見る。真紅に輝くその瞳に最早迷いは一切無い。




「誰が何と言おうと俺はライカンスロープ。赤い瞳のジルベルタだ!」




 ジルベルタは大声一喝してその場に立つ。今まで以上の力が全身にみなぎるのを感じる。


 幻想は現実と相成った。この世界のライカンスロープは力強く、勇ましく、仲間と共に窮地を乗り切るのだ。もう彼女は迷ったりはしない。元の世界でどうであれ、この世界では正真正銘彼女こそがライカンスロープなのだから。

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